見出し画像

転職と自分ブランド

「生き方革命」
「転職2.0」

これは、いつから意識したり憧れて来たのか。

「自分ブランディング」は、藤巻さんの著書「自分ブランドで勝負しろ」(発売:2004年)を読んで(「人生を楽しみたければピンで立て」もある。)
しかも、運良くセミナーで直接お話しを聴けた時に刺さったのを覚えている。

個人で仕事を受ける事に憧れて来た。
「まだまだだ。」と思っては、いるけれど
少し近づけて来たかもしれない。


高卒で、会社勤め&夜のスナックとカラオケパブにスカウトされて、ハタチ前後でWワークだった。
(中学生の時の新聞配達からかもしれない。)

バーでも働いていたおかげで、知り合いが増えた。
(気づいたら会社員+夜の仕事だけでトリプル掛け持ちになっていた20代前半。)

会社で携帯の売り上げが全社トップになった。
売り込みも営業もしていないのに。
(自分が携帯を持ちたくなかったし、元々は。)

たまーたま携帯の話題になった時に詳しくなっていたので、
その場で「ちょっと困った。」に対応していたら「なんで詳しい?」となり、どんどん口コミで、ご紹介の輪が自然と拡がって行った。

事務職だったのに、気づいたら、自分の車でお客様先へ行ってる時間が増えていた。

夜の仕事のおかげで
昼間の仕事の売り上げに貢献できていたのに
副業禁止で、居心地が悪くなった。。


そのせいだけでは、ないけれど
その利益を元手にギリギリなんとか北海道から単身上京できた。



ハタチくらいの頃には、「いつかは、経営できるようになりたい。」と思っていた。

経理は、高校生の時に母が勤めていた会社で夏休みとかにバイトで基礎は教わったし。
(でも、相変わらず数字とか計算は苦手だけど)

パソコンも高校の放課後にワープロ検定とか受けたし(母のススメ)

保険の普通資格も取ったし(当時は無期限だった。母のススメ)

借金が嵩んでも自己破産は、選ばなかった。念の為。
(社長になれなくなるので。)

後は、総務人事だった。
最初の就職でも総務人事希望だったのに、配属されたのは、営業事務。

未経験でも採用してくれる会社を見つけて
転職し、総務人事も一から学べた。
今思えば、安かろうが給与をいただけて、しかも社販で安く服が買えて(アパレルの本社だったから)、ほんとにラッキーだったと思う。

そんなこんなで、高校生の時のバイトも何度も変わったし。
(バイト禁止の校則でも、母子家庭だったおかげで堂々と働けた。)

ある日、数えてみたら転職の回数が
バイト含めると30回以上になっていた。

履歴書も職務経歴書も自分でフォーマットを作り直した。

日本で転職経験のある人なら
転職回数より勤続年数が重要視されて来た事をご存知のはず。

なので、後半は、ベンチャー企業でも働き、鍛えられた。
夜、ジャズクラブで歌う為に派遣にシフトしたけれど。

「お前に会社勤めは、向いていない。」と
高校卒業直後に同級生に言われた。
延べにすると会社勤めは、何社で何年になっただろう。
「向いているのか。向いていないのか。」は、今もわからないけれど
やってみて良かった事ばかりだったんじゃないかと思う。
その時は、そんな事を思えなかったけれど。
無駄な事なんて何一つない。

今も流れるように動いている。
泳いでいないと息苦しくなるんだと思う。

今は、伊豆半島に伊東市に住んでいるおかげで
いただけるチャンスや出会いに恵まれているんだと思っている。

同じことを出来る人は、きっとどこにでも居る。
思いつく人もきっと居る。
動けるかどうか。
発信しているかどうか。
それだけの差じゃないだろうかと思っている。
つまり、「私は、大したことないw」と相変わらず思っている。

評価は、いつか誰かがしてくれる。
生きているうちだといいなw

環境的に動けるおかげ。
家族のおかげ。

西原会長
西原ゼミ関係各位
いつもありがとうございます😊

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,447件

#最近の学び

181,387件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?