見出し画像

離婚式 26 

 その真意が袋小路だと思った。
 こんな場末の小便臭い裏通りと同じだ。
 常にひとを惑わせて不快にさせている。
 俺は畏れていた。これも離婚保険絡みの何かではないかと。
 妻は、いや相手方といった方がいいか、旧姓に戻した望月小夜から、不倫の事実を突きつけられた。結果として積み上げたデジタル通貨貯金から、金担保保険まで切り崩すはめになった。
 落剝というのはこれだと思った。
 そう寧々とかいう保険貴族の女に手を出したのが、そもそもの間違いだ。
「ごめんなさい、ちょっと怖くなって・・・こんなとこって思ってなくて。頼ってしまってすみません」
 怯えた声で、耳元で囁く。
 俺は、この手の女に弱い。
 腕に絡みつく細い力に抵抗できない。
 鼻腔に届く濡れた女の体臭に折れる。
 背は高い。ヒールを履いていることを割り引いても、長身だ。
 俺で何とか釣り合うが、クラスの半分以上は並ぶと見劣りするだろう。
 初対面でも遠慮なく体重を預けてくるので、彼女の胸の感触が左腕に伝わってくる。この固さはボディスーツまで着こんでいるだろう。
 身持ちの堅そうな女が、この路地には相応しくない。
 第一、痩せた野良犬のような俺に身を預けるなんて。
 背筋に冷えた汗が流れ、ぞっと悪寒に戦慄いた。これも何かの罠ではないのか。こちらの懐が寂しくなって寧々は離れていった。寧々とはまだ離婚保険を交わすまでは至っていない。お互いにシングルだからだ。  
 あるいは寧々の接近もすべては奸計かもしれない。保険金目当てに企んだ、小夜の仕込みではないのか。
 この通りにも保安カメラがある。
 あの大戦後に押し寄せた移民が、闇に巣食っているからだ。こんな女が独り歩きなど危なくてしょうがない。だがその保安カメラが捉えている映像を
利用されると弁解の余地はなくなる。
 ここで手放すか。
 走って逃げるか。
 逡巡したが、それを察知したのか。相手の腕に力がこもる。やっぱり猛毒を持った大蛇が巻き付いているようだ。
「ちょっと休んでいきません?」
 極彩色のネオンがアスファルトに映えている。吐しゃ物と排泄物でできたような水たまりがあるからだ。靴を踏み入れたくないその路地で、その女は足を止めた。
「待合せまで2時間あるのよ・・実は」
 ごくり、と喉が鳴った。
 同時に肌が総毛だった。
「いや、俺も仕事があるんで」
「お酒をもう飲んでいるのに」
「素面じゃなくてもできる仕事なんだ」
「忙しいのね、でも休憩時間っていうのがあるでしょう?」
 彼女が指さしたネオンにはその文字が瞬いていた。

 
 


この記事が参加している募集

#SF小説が好き

3,120件

#恋愛小説が好き

5,024件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?