伏見の鬼 I 創作大賞2024
あらすじ
文久三年弥生、沖田総司は上洛した。
壬生の豪農宅で間借りをしている浪士隊において、彼は無聊を囲っている。ばかりか彼は、医者の出戻りの娘に懸想さえしている。
ある晩のことだ。
総司は娼妓に腕枕を貸していた。手持ちの路銀が乏しいので、度々と娼妓を買うこともない。僅かばかりの贅沢だ。
その女から伏見に鬼がでると聞いた。
彼にとっては気まぐれだったろう。
だが浪々としていても心根が腐るのみである。
さても、と。
総司は宵闇に紛れてゆく。
1
伏見に鬼が出るという。
それを聞いたのは五条色街の二階だった。
総司が買うのは花魁大夫ではない。手順があり過ぎる。所詮はまぐ合いの道具である。やれ簪だの帯留めだのと、雛に餌を運ぶ燕のごとき付け届けの、手の篤さというものが彼にはない。
一夜がけで精を放てばそれで良し。
彼はそう単純に考えている。
その相手はまだ幼く、乳も張ってはいないが、耳慣れた江戸言葉を話していた。秩父の出自という。京言葉に嫌気が差してきた頃合いだったので、その音律が総司の耳に優しく届く。
「伏見に鬼がでるんでがんす」と娼妓が枕に顎を載せて言う。その細い下半身を総司の裸の背に絡ませている。その体温が心地よい。
「鬼とは」
「噂がんす。ただ襲うのは女子供つうぅんなあ」
彼女もその範疇にいるのだと思い、総司は半身を起こした。勘違いした娼妓は、もういっぺんかや、と艶っぽい声で囁いたが、彼は立ち上がるともう下着を巻き始めている。
「その鬼の出る刻限は、そなたは存じておるのか」
「ええ夜半の八どきでがんす」と語りながら褌の紐を結んでいる。
「この刻限に船はあるのか」
「今どきですれば、野菜売りの船がここより伏見に下るかさぁあ」
「そなた、具合もよし。明日もこの楼にあがる。身綺麗にしておれ」
闇のなかにも頬が染まるのは判るものだ、それを指先で感じながら、彼は階下に向かう。
総司は非番である。
非番であっても、浅葱色の隊服を着用するように求められている。
だがしかし。彼の非番は平服を貫いている。それを苦々しく副長は目線を向けるが、何も言わない。それは彼の腕を買っているのでもあり、惧れてもいるからだ。真剣で向き合えば勝負の行方を、彼は知っている。
そもそもが五条色街に泊まるのに、隊服では示しがつかないであろう、と総司は思っている。兄さぁは女子にもて過ぎて分からぬのだ、とも思う。
野菜売りの下り船はすぐに見つかった。
伏見で仕入れをして上京町で、明け五つより売るのだという。
総司は懐から銭を掴みだして、彼に渡して案内を頼んだ。
下り船はゆったりと揺れながら、滑るように下っていく。
船尾で棹をとる船頭の身動きが尻に伝わっていく。
「どうだ、商いの方は」
声が思いのほか大きく響くので、途中で声を窄めて話した。
「ええ、一時は辻斬りがありましてなぁ。あがったりの時期もなんなとありまして。ようやく最近はぼちぼちという塩梅ですかなぁ」
心得ている船頭の声は細く、手慣れている。
それを背後に聞きながら、総司は船の架台に腰を下ろし、長刀を立てて右手に持っている。
「伏見には鬼が出るそうだな」の声に一拍がある。
「ええ、ええ。女子供ばかりを手にかけておりまして。まぁ罰当たりも程ほどですなぁ」
「その場所に毎晩通って、そなたは怖くはないのか」
「商いは商いの活計というものがありまして。止めるわけにはいけませんなぁ、ですから飽きない、ともいいましてな」
上手いこという。だから京人とは水が合わないのか。やはり儂はの江戸下屋敷詰めの生まれよな、と彼は考える。
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