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伏見の鬼 18

 伏見の裏街に鳶若衆の棲み家はあった。
 出稼ぎの普請職人に宛行あてがいの家屋だ。
 くだんの金子は長屋の床下の、油紙で封された壺に隠されていた。
 見た目には漬物壺、梅干し壺にも見える。
 弥助と名乗った彼の強張った頬が、こらえていた憑き物落ちた如き容貌をしていた。むしろ厄介事を差し出して柔和になった様子である。
 弥助は、生駒屋の花火を妹と語った。
 妹は幼少のみぎりより会っては居らぬ。幼くして彼は寺に出され、数年後に妹が人買いに出されたと、人伝に聞いた。
 それで果たして、本人と判るものかと総司は思った。
 
 早朝に壬生に戻った。
 巾着のなかには無造作に、金座包が三っつ入っていた。その重みだけで姿勢が歪みそうな重量があった。
 まずは土方の部屋に入り、微細に渡り仔細を述べた。
 土方は切れ長の眼の睫毛を重く動かしながら長考をして、でかしたと呟いた。文机を前に静かに聞いていたが、その文机の上の半紙には、歳三兄ぃが墨書したであろう新撰組の文字が雄渾に躍っていた。
 隣室で障子を跳ね開ける音がして、続いてだばだばと庭へ小水を垂れる音がする。二日酔いらしき芹沢鴨が大袈裟に唸る声がする。
「その者は明日にでも壬生屯所に引っ立てられて参ろうが、まずは腹ぁ仕って頂く。切腹を申し渡す。隊として、いやさこれを隊規と為せば、この俄か所帯がぴしりと締まる」
 眼を細めて天井を仰ぐ。総司の如く箸の上げ下ろしまで一緒の間柄ですら、蠱惑する如き眼をしている。
「この件、吝嗇りんしょくなる芹沢には知られとうなし。上手く立ち回るべし」

 平野屋の座敷に通された。
 主客は土方歳三兄ぃであり、その脇を総司が固めた。
 主人は脂の浮いた好色そうな鼻をした古狸である。四十年増で肥えた腹を羽織りで隠してながら、居心地悪そうに座っている。
 正面にはねんごろに封印された金座包がひとつ、和紙を敷いた三宝に並んでいる。その金座包の和紙は古びており、その上面に葵御紋が押印せられ花押が付されている。額面は百両の、綱吉公の砌の宝永小判のようである。
「じゃあ、百両をお返し仕る」
 しかし主人の困り顔は何か毒気に当てられているようだ。
「これはこれは祝着に御座りますが、果報に過ぎます。果て・・・」
「何、平野屋には今後ともよしなに。身共らをご贔屓頂きたく、宜しう仕る」
「壬生の・・・果て、浪士組さまですなぁ」
 歳三は被りを振って、「此度より新撰組を家名として参る」と言った。
「ではこうしまひょ、先にお貸しした百両にはこちらの金子は過分ですわ。さらにそうですなあ、差分といたしましては三十両をお出ししまひょ」
 この額面に対して百三十という歩合という。
 江戸も時代を下るにつれて、幾度も小判改鋳が行われ、その価値は落ちている。しかも金座包の封印紙を解くだけで、小判改鋳疑いの咎で町人では死罪に当たる。余程の格式のある両替商でなくば扱えまい。
 かの下手人はこの金座包を楼主に見せて、花街大門屋に居続けを行った。娼妓を毎夜上げようとも、大門屋では葵紋には手出しは出来ぬ。余程の名家との縁故在りうるを惧れて、それを容赦していたのであろう。
「承知した」
 だが主人の鼻面に、歳三は腰の巾着より、さらにもうひとつの金座包を置いた。
 ひっ、と主人が声をあげる。
「ではこちらは両替を仕る。先の三十と合わせて、そうだの・・・二百で如何であろうか」
 またも過分な談判である。
 脂汗を震える指で小鼻を撫ぞりながら、彼はようやくく承諾した。



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