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伏見の鬼 9

 大門屋は老舗である。
 かの店舗前に五条大通りと、この遊郭を分かつ白木の門が立つ。
 外籠はこの門で止められ、如何な大名籠であろうと徒歩でそれを潜らなければならぬ。謂わずと知れた娼妓の門抜けを防ぐためである。
 総司は肩に隊服の羽織を引っ掛けて、懐手のままで、その構えを眺めている。件の店よりも余程商いに厳しいのか、張り見世には容色の劣る娼妓が既に居並び、艶のない嬌声をあげている。
 あら、いい男。
 お上がんなさい、お上がんなさい。
 あら、眼がうちきに。
 細い格子窓を介しても、衣装は脂染みて着古した感がある。
 総司はその声など頓着はしない。
 おれは歳三兄さぁの如き、衆目美麗な男ぶりではない。
 かような視線を浴び、浮ついた声が掛かることがない。
 平坦な面に離れた両眼、頬骨がその下に張り出している。なので殊更、かのような燕の雛の如く、おべっかで囀り立てる娼妓にはうんざりしている。
 剣の腕ならば随一だろう。
 然るに男女の途にはうとい。
 藍色の暖簾を左手で払うと、黒牛にも似た若衆が座っている。憮然とした顔でのっそりと立ち上がる。羆に並ぶ程の上背がある。しかし若衆にしては厳つい眼を無遠慮に貫いてくる。
 その男の背に隠れるようにして、癇の強そうな痩せた男が妓夫台ぎゆうだいについていた。皮膚には沁みが浮き出て、後頭部に僅かに残る白髪を結いこんでいる。
「壬生のお侍さんやね。朝からお遊びも有り難いですがね。付けが、ようけ溜まっているさかい、まずはそちらを」
 愛想笑いもない楼主が、腹底に溜めた苛立ちが、煮立ってくるような声をかけた。ははあ、年若過ぎて芹沢一派の小僧とでも受け取られたか。
「要件は別だね」
 吐き棄てた。
 内懐から右手を抜き、だらりと垂らす。
「おれを買わんか」
 黒牛が鼻息荒く、指先が襟首を狙って間合が詰まる。
 その刹那に黒牛には旋風が巻いたかに見え、指が空を切る。稲妻の如き一閃。そして喉元にぎらりと青黒い白刃が乗っているのを見るのだ。
 総司の小刀は小太刀である。
 加州清光の、二尺三寸三分。
 江戸侍の脇差より三寸程度長い。
 刃文は中直刃ちゅうすぐはで反りが少ない。狭所での暗闘に適している。
 それを逆手持ちに抜く。腰を落としざまに瞬時に左手で鞘を引き、逆手の右で抜く。白刃は円弧を描き、剣尖が腰下から跳ね上がるのだ。避けようがない。
「喧嘩慣れしてんな、ぬし」
 手首で刃を更に押し上げる。首筋からふつふつと血玉が浮き上がり、それが刃に流れゆく。総司はすっと小太刀を引き、血汚れを相手の衣服で拭い取る。
「ぬしがもう半歩踏めば、血の道が斬れておるよ。髪の毛一本の差でな、能くぞ踏み留まった」
 お、おう、と声もなし。後ろにつんのめって強かに壁で腰を打ち、ぱらぱらと埃が落ちてくる。
「こんなのがよ、用心棒じゃあ。心労が絶えねぇだろ」
 見惚れる手捌きで納刀する。
「なあ、おれを買わんか、用心棒にどうだ」
  追い銭のように、怯えた面に静かに問う。
「で、でもあんさん、そ。その羽織、連中のお仲間ではないかえ」
 楼主は腰を半ば浮かせているが、足は立たぬ様子である。
「壬生の野良犬にも毛並みがあるのよ。おれはまだ薄汚れちゃいねえ」
 
 
               

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