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伏見の鬼 8

 拍子木の澄んだ音が響く。
 この妓楼ではなく、五条大通りの方からだ。
 微睡まどろみを瞬時に取り去って、気を巡らすのが総司の常である。
 障木窓から明るい陽が夜具に掛かって、斑らな帯になっている。その陽の元では、温かくもあった夜具は古びていささか色褪せてもいる。
 して夜具を支えるかの如く、熱を持って怒張したそれが突き上げている。触ると未だに粘り気があるようだ。首筋にこそばゆく、ふふふ、と息がかかる。蜘蛛のように滑らかに動くものが、しっかりとそれを絡み取り細かく愛撫を始める感触がある。
「旦様、嬉しぃわぁ」と呟いたあと、夜具のなかに女が潜ってゆく。そしてねっとりと濡れた、温かなものに包まれて、舌が這い回るのに任せるのだ。
 凡そ、総司らしからぬ事だ。
 その愉悦に身動ぎも出来ぬ。
 
 朝餉はどの妓楼も粗末である。
 然るにここは古米ではあるが、菜が入り黴の臭いがしない。それにやや厚めの千枚漬けが並び、味噌汁も濃ゆ目に作ってある。塩を多めで誤魔化す廓もあるくらいだ。
「すんまへんなぁ、あちきがまだまだ新造だで。もうちっと羽振りが宜しうあれば、天ぷらでもお付けしますんに」
「気にするな、お主は情深く尽くしてくれておる。拙者は朝から胃にくる馳走は勘弁じゃ」
 へえ、と首をすくめて愛嬌よく笑う。
「旦さん、離れがとぅございます」
 朝餉も終わり、腰に大小を佩びたときに、背中から掻き抱いてくる。女の柔肉が、鎧われた筋骨の狭間で潰れている。

 娼妓とはその部屋で別れた。
 別れよしなに口吸いをした。
 階下に降りると階段の左側に、ろうたけた白髪頭の女楼主が鎮座している。忍び足にて朝抜けする輩も、とても誤魔化せない場所である。
「旦さん、ほな今晩のお揚げ代をば」
 ゆるゆるとそう述べて、煙管を灰箱の角に打ち付けた。往時は花魁として名を馳せたであろう容色が未だに残っている。
 その前に総司はどっかと座り、右手を懐に入れてしたりと笑う。
「お揚げの銭はねえな。付けといてくれや」
「どなたにですのん」
「この羽織よ」と袖を持って広げてみせた。
 ぴくりと女楼主の柳眉が跳ね上がる。
「それとも芹沢鴨という名乗りが必要か」
 ふふ、と小首を傾ける。
「存じ上げませんなぁ、そのお名前。もしや壬生の方でっいらっしゃろうか。ほな大門屋さんで御座いましょ。当家ではその付けはご勘如くだされ」
 ぴしゃりと言う。
 愈々いよいよ、好ましい。
 もう一回り歳が近かれば、惚れたかもしれぬ。
「成程、楼を間違えたようじゃ。いやかたじけない」と総司は一朱金を三枚ばかり掴みだした。無論、高瀬舟の船倉に置いてあった財布からである。
「あら、まあ。おおきに、また当家をよろしゅう」
「女将よ、ちとものを尋ねるが、伏見に鬼が出るという噂、ご存じか」
「へえ、なにやら当家の禿かむろやご新造さんらも、そんな噂を聞きつけておりますな。五条でも島原界隈でも持ち切りになって。ただどうで御座んしょ。両のまなこで見たものがひとりもおりませぬな」
 世話になったと総司は呟き、通りに出る。
 その草鞋の先には大門屋がある。
 
※注 新造:新米の娼妓 禿かむろ:娼妓の世話をする12歳までの少女

 


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