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伏見の鬼 17

 伏見奉行所の捕吏がやってきた。
 年嵩の同心であり、近場の誰かが通報に朝駆けしたらしい。
 その場に武士が捕縛され、町人が神妙に項垂れ、そして黒装束の総司を彼らは見た。一瞥するだに彼に最も武の気風が漂っていた。
 総司は陳述する。

 この者どもは壬生浪士組の者である。
 して身共みどももその一角である。然るにこの愚劣な者どもは、ご公儀ばくふよりお預かり致した金子を懐に横領し、かつ遁走を果たさんとしていた。
 身共はその後を追駆し、この伏見にて捕り物せんとて参りしが、この町人を人質に捕りて抵抗した。
 いや、峰打ちである。
 不審であれば身共の長刀を見るがよい。血糊などはついておらぬ。この一名のみは足をつまづかせ、己が刃で臓腑を貫いて死したもの。
 よいか。
 再度申しおく。
 この者どもはご公儀の金子を隠匿していると考える。
 貴殿らが取り調べもありしが、その口は軽妙かつ虚言癖がありとても真実は語らぬ。
 よいか。ご公儀ばかりか、会津松平公よりの支度金も含まれる由。
 ここは貴殿らの取り調べののち、壬生浪士組に引き渡し願いたい。
 身共らも内内にこれを収めたく、どうかご勘如頂きたく。

 この知恵は土方歳三からの伝授である。
 もし清河一派の何某かが隠遁した資金を持ち逃げしようとして、それが町奉行所に捕縛されているなら、こう話せば良しと。
 京都奉行所管において、ご公儀の資金と耳目にすれば扱いに困ろう。壬生に責務の付け届けで厄介払いをするだろうよ、と。
 元来が町奉行は武士を捕縛することすら、稀である。
 屍者は戸板に乗せられ、髷のない二名は口角に泡を飛ばして反駁していたが、同心らの六尺棒にて折檻を受け諦念した。一旦は奉行所に引き立てられようが、明日にも壬生に移されるであろう。
 総司の周囲より恐々と同心らの足が引いていく。
 その一連の様を鳶若衆は茫然として眺めていた。
「では参ろうか、其処元も肝を冷やしたであろう。身共の手の者が無作法をつかまつった。お詫びに家まで送ろう」
 家猫が叱られた如くに、びくりと背を戦慄おののかせ、彼は足を踏み出した。立ち居振る舞いが固くなっている。無理もなかろう。彼は総司の腕を見知ったうえで、敢えて背を向けて進まねばならぬ。
「そう固くなるでない」
「お武家様・・・あっしには何のお咎めも為さらないので・・・」
 恐る恐る鳶若衆が返答したのは既に人家が全く見えぬ、宇治川の蛇行する曲がり角に至ってからであった。
「咎はねえ、あるのは財布に入っていた、筈の、黄金色こがねいろよ」
「へえ、全てお見通しで」
「あるんだろ」
「へえ、あっしには手に余りまさ」
 その背に総司が畳みかける。
「それとな、お主誰かを懸想してはおらぬか」
「け、、懸想とは」
「想い人が誰かおろう。でなくば紅や白粉を求めるかね。しかも鉛の入らぬ井筒屋の折り紙品だぜ。町人の懐には重すぎらあ」
 男の足がぴたりと止まる。
 彼の足捌きには落ち着きが蘇っている。
 何か意を決してそして重い口を開いた。
「その事訳ことわけをお望みで」
「然り」
 彼の言葉に一拍の間があった。
「あれはあっしの想い人ではございやせん。あれはぁ、あっしの妹でござんす」
「成程」
 鳶若衆の言が滔々と続く。
 

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