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伏見の鬼 16 l 気になる口癖

 おれは運がいい。
 既に口癖である。
 それは師である近藤勇から伝授された。いつも魂魄にそう抱いておれば、幸運ツキは先方より訪のうてくるものだと。
 きっさきが地表を這うが如きの地擦り下段のまま、抜き身の白刃を下げた相手に、沖田総司が肉薄する。総司は地表の砂埃を舞わせる、一陣の旋風と化す。唇を堅く結び、数瞬にて間合いを詰めていく。
 その足音に、正面の男が青筋を逆立てて驚愕する。彼の振り返りざまに、下段からの跳上げにてかの男の膝頭を砕く。
 但し、刃を返した峰打ちである。
 男は指先から刀を落として、かしぎながら倒れゆく。
 その隙間から剣峰を立てて、真横に薙ぎ払う。右手の男が脇腹に刀身を受けて、篭った悲鳴が上がる。しかし臓を斬ってはおらぬ。けだし暫くは血の小便を流すであろう。
 最後の左手の男は、遅ればせながらやっと青眼の構えをとった。
 その剣を刀身半ばで叩き折った。この無銘の長刀であらば、斬撃にて相折れても惜しくはない。まだおれには脇差がある。耳に響く金属音と火花が散り、折れた刀身が宙を回転しながら飛び、背後にさくりと突き立つ音がする。
 むっと鼻をつく血の匂いと、失禁の臭いがする。
 転倒した際に、誰か己の刀で貰い傷を受けたようである。いずれも児戯の如き剣客であり、総司にとっては優しく加減する方に労が要った。彼にすれば女子の髪をかしつける程度におもんばかった。
 僅かに瞬き二つの事である。
 総司は袂より白縄を取り出し、鳶若衆に渡して会釈した。
 彼はその意を誤りて悟り、自らの手首に掛けようとした。
 覚悟の程を、しゃんと伸びた姿勢が物語る。
 にあらずと総司は告げて、羽織に頭巾を被った輩を後ろ手に縛り上げさせた。
 最初の男の膝ではもう立てまい。しかも自らの刀で血脈を破っており、もう長くはない。黒々とした血を路面に吸わせているとは、運がない。
 困った事に浪士組は未だ幕府より下命を受けてはおらず、これは私闘である。であれば喧嘩両成敗に成りかねぬ。
「手前ぇら、浪士組の抜けもんだなぁ」
 座り込んだ二人の頭巾を剥ぎ取った。
 怯えた顔の、どちらにも知見がある。
「主らぁ、語って貰うぜ。浪士組支度金横領及び五条での狼藉、花代踏み倒しなどなど余罪がある」
「か、金らぁ、儂等は持っておらぬ」
「お白洲はここじゃねえ、壬生に御座る。そこでひとしきり烏んみてぇに、喧しく喚くがいい」
「そいつじゃ、そいつに決まっておる」
「そうじゃ、盗まれたのよ」
 総司は両者の頭をとんとんと撫ぜた。
 そこにはまげは無く、散切ざんぎりに剃刀でも入れられたかの禿げがある。高瀬舟に隠匿された財布の中に、残されていた髷がそれだ。
「ほう、闇夜であるのに頭巾とは、これまた奇矯な奴輩やつばらよ。成る程、髷無しとは首を取られたも同然、それも町人風情を相手にかね」
 この浪士組清河八郎の小者らは、有耶無耶な大金を懐にして、五条色街で散財に耽溺していた。その浮ついた心根のままに、鳶若衆の高瀬舟に乗ったのだろう。
 足場の悪い高瀬舟、総司でさえ船上では遅れを取った。
 猶もって、この連中である。
 造作無く昏倒して懐から擦られたのであろう。
 とはいえ髷を落とされては面目が立たず、盗難に遭ったと届出も出来るまい。そうして宇治川沿いにて待伏せていたのであろう。
 この奴輩を引き当てるとは。
 おれは運がいい。


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