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【父の命日に(2)】死への恐怖が和らいだ奇跡的な瞬間

前回の投稿の続きとなります。
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死への恐怖の和らぎ


父との最期の日々を過ごす中で、私の中で人生観が大きく変わった出来事がもう一つありました。

それは死への恐怖の和らぎでした。

先に紹介した『死ぬ瞬間の5つの後悔』という本の中で、レニーという人の最期に訪れた奇跡的で感動的な瞬間の話が紹介されています。

まさに私はそれに近いものを目の当たりにしたのでした。


ホスピスに移ってから急速に弱り始めた父。

最初の数日は弱々しくも意思の疎通が計れていたものの、だんだんと昏睡状態が多くなり、私のことが認識できているのかわからないような夢うつつの時間が増えていきました。

その頃私は実家家族と絶縁状態になり、みんなが病室に詰めている日中を避け、夜から明け方まで1人でホスピスに通う日々を続けていました。

父が転院したのは、手作りのリースなど可愛らしいクリスマスの飾りつけがあちこちになされた、温かな雰囲気のキリスト教系のホスピス。

そんな病院にある明かりが落とされた病室で、ベッド脇のオレンジ色の電灯の光に守られるようにいつも父は眠っていました。

鎮痛剤が効いてこんこんと眠る中で、時々うなされるのか苦しそうに顔を歪めて首を振ったりぱくぱくと口を動かす父。

少し前から点滴で水分しか取らなくなっていた父の顔は、顔の肉が削げ落ちて能面のように皮膚が骨に固く張り付き、その痛ましさに私は手を握ったり顔を撫でたりしながら、「どうか少しでも良い夢を見られますように」と祈っていました。


父を迎えにきたもの

そんな日が2日ほど続いたある日。私はいつものように眠る父の枕元で両手を握りながら小さな声で話しかけていました。

すると突然父の目が開いて、眼球がゆっくりと動いて私の方に向くとはっきりと私を見つめました。

そうして目が合った瞬間、父の顔にどこからか光が差してきたのかと錯覚しそうなほど父の目にはキラキラとした光が宿り、頬の肉が急にせりあがってそれまでに見たことがないような弾けるような笑顔が溢れはじめたのでした。

同時に、どこにそんな力が残っていたのかと驚くくらいの力で、父は両手を握った私の腕もろとも、嬉しそうにぶんぶんと上下に振りはじめました。

一瞬にして起こった変化に私がひどく動揺していると、父は目を楽しそうにくるくると動かしながら、私に何かを報告するように一生懸命にぱくぱくと口を動かして話しかけるようにしてきました。

そうして時々「ほらあそこ!すごく綺麗だねえ」とでも言ってそうな輝くような笑顔を浮かべながら、私に同意を求めるように天井の方を見るのです。

もちろんその方向を見ても、私には何も見えません。でも父はますます嬉しそうに、くるくると表情を変え、手を揺らしました。

その瞬間、「ああそうなのか」と私は理解しました。

父はきっと子ども時代に戻っていたのです。

そしてそんな父の目には私の姿の上に父の大好きだった誰か、もしかしたらマリア様のように優しかったという私の祖母である父のお母さんが見えていたのかもしれません。

そう考えると父の表情は、「ねえ聞いて聞いて!こんなことがあったんだよ」と母親に報告する子どもそのものでした。

迎えに来てくれた大好きな存在にこの世で体験したあれこれを報告しているのかなと思うと、娘である私に報告してくれているのではないのかもしれなくとも嬉しくて、

私は「そうだったの。良かったねえ」と誰かに代わって返事をし続けました。

それが続いた2時間ほど、父はずっとキラキラくるくると表情を変えながら報告し続けてくれて、不思議と私もその情景が見えるような気がして「うんうん、そうだったの」と一緒に楽しんでいました。

途中で様子を見に来てくれた看護師さんも、私が両手をホールドされているのを見て心配気に近寄ってきたものの、

「父が今いろんな楽しいことを報告してくれてるんです」と私が伝えると、父の顔を覗き込んで「あ、ほんとだ、嬉しそう」と笑って去っていきました。

しばらくすると、父の動きはゆっくりになり、安心したように目を瞑ると静かに寝息を立て始めました。

すると、それまでどこかから父の顔をキラキラと照らしてくれていたスポットライトがふっと消えたような感じがしました。

その魔法のような時間は次の日もまたやってきたのですが、それからは父の顔から苦しそうな表情も消え、穏やかなものになっていきました。

同時に、なんとなく「あっちの世界に行ったのかな」と感じるようになったのですが、そうしてほどなく父は穏やかに息を引き取りました。


大好きな人が迎えに来てくれるのなら、死ぬのも怖くない

あまりにも幸せそうに輝いていた父の顔を見てから、「大好きな人が迎えに来てくれるなら、死ぬのもそこまで怖くないのかもしれない」と私は思えるようになりました。

もちろん父が見ていたのは脳内の幻影なのでしょう。でも幻影だったとしても、あの表情を見る限りとても幸せな最期だったことには間違いありません。

私も同じような最期を迎えられるのかはわかりませんが、でも大好きな父に迎えに来てもらえるのなら、あの世に行くのもそう怖くないと今では感じています。


といっても、私を長い間翻弄してきたひどい向かい風が最近ようやく凪いで穏やかな人生の時間がやってきたので、もちろん私はまだまだ生きるつもりですが。

そうして楽しいお土産話をたくさん作ってから、父にいつか迎えに来てもらえたらいいなと思っています。


小学5年生頃、リオデジャネイロの近くの島にて。着いたばかりで右も左もわからないブラジルで父とはぐれるのを恐れて、でも父の手を握るのは気恥ずかしいので父の持つバッグの持ち手をこっそり掴むちょっとひねくれた私。


身軽な1人の人間としてのリスタート

父が亡くなってからちょうど一年。

家を出てからは頻繁に会っていたわけではないので、どのくらいの喪失感があるのかその時が来るまでは全く想像がつかなかったのですが、やはりこの世にもう父が存在せずもう2度と会えないのだということはとても寂しいものがあります。

しかも実家家族の中で私と唯一似ていた父が亡くなってからは、私と家族を結びつけるものがなくなり、結果的に家族から卒業することになって私は実家も失いました。

頭で考えていたよりもその現実を受け入れるのは簡単ではありませんでしたが、一年をかけてようやくこの状況に馴染んできました。

そしてむしろ、色々とあった実家家族から離脱することで身軽になれたことで大変な心安さも感じています。

前回も書いたのですが父の闘病中には、が全力で支えてくれ、夫婦の絆がとても強化されることになりました。

そしてとてもラッキーなことに義理の家族も大変に良い方ばかりなので、身軽になったこれからは「澤家のみなさんと一緒に、夫婦の人生をめいっぱい楽しんでいこう」と考えてワクワクしています。

Eテレのこのような素敵な番組で私たち夫婦をとりあげていただきました

世の中がキラキラとした空気に湧き立つクリスマスの時期に、真面目な命の話となりましたが、どなたかの心を少しでも軽くすることができましたら幸いです。



パパ、大好きだよ。
ありがとね。
おばあちゃんになったら会いにいくからね。
ゴルフでもしながら待っててね。


このハンドブックは、父の闘病中の辛い気持ちに寄り添う際に大変な助けになってくれました。



父の病気がいよいよ深刻なものになってきたとき、何をどのように準備したらよいのか全くわからず、ソーシャルワーカーの友人のサービスで情報を整理してもらうことができました。



私の家族との関係を語ったシリーズです



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