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親子の戦争の終結と、再生の物語

コロナの恐怖が日本をじわじわと包み始めていた今年のはじめ、ダンナと私もそれぞれ大きなターニングポイントを迎えていました。

ちょうどそのころ、ある映画の試写会に呼んでいただいたのですが、まさに内容が自分たちと重なることばかりで、大泣きして帰宅しました。

その頃我が家で起こっていたのは、「半世紀も続いた戦争の集結」としかいえない状況でした。

この状態を書いておこうと思ったものの、結局コロナの拡大で映画の公開が延期になり、それに合わせてなんとなく機会を逸していたのですが、先週末にその映画が公開されたこともあり、半年たった現在の気持ちを改めて振り返ってみることにしました。

長年苦しんだ自殺衝動の一番の原因となった親子間の関係ですが、こんな変化もある、とお伝えできましたら幸いです。

それぞれの戦争の集結

去る2月1日、ダンナの父が息を引き取りました。

昨年の秋に末期の癌で余命2、3ヶ月との宣告を受けたものの、もともと病気ひとつしたことのないような驚異的な強靭な肉体の持ち主。宣告は冗談だったのではと思うほど、孫たちに囲まれて元気に年を越したものの、1月半ばから急に悪化し、あっという間に逝ってしまいました。

「120歳くらいになったときに『いつか歳とったら』とかって、お父さん言いそうだよね」、なんて軽口を叩き合うような元気さだったので、90歳を目前に突然逝ってしまったのが今もまだ信じられない思いなのですが、後日行われた葬儀は、寂しさを超えて不思議ととても温かで穏やかな空気に包まれていました。

それは、ダンナの実家、私の実家、それぞれで長年続いてきたすべての心の戦争が終結したことを象徴しているようでもありました。

これまでにもたびたび書いてきていることですが、ダンナも私もアダルトチルドレンです。

お互い、日本の高度成長の残り香の中に育った3人兄弟の末っ子だったこともあり、それぞれ単身赴任や海外赴任などで家庭内に時間や心の余裕がない中で、幼少期から愛情の欠乏に苦しんできました。

最近までもそれはずっと心に突き刺さってきたのですが、ダンナも私もいったん心の折り合いをつけることができた、といえるのかもしれません。

自分は確かに愛されていた

実は昨年末に、映画監督をしている友人から、開始したばかりの「人生史を残すサービス」の一例としてダンナを撮らせてくれないか、という申し出をもらっていました。そしてそれに先立ち「ルーツとしてのご両親も撮りたい」ということで、今年に入ってから、ダンナの実家で撮影をすることになっていました。

最初こそ、口を開けばキレのある冗談を連発するような軽快でダンディなおとうさんではなく、介護状態になってしまった姿を撮られるのはちょっと悲しいなと感じていたのですが、おとうさんとダンナのやりとりを記録した映像から炙り出されたのは、まぎれもなく「あふれるほどのダンナへの愛情」でした。

1月に入ってから、ダンナが週末ごとに実家に帰っては得意な料理を振る舞っていたのですが、食欲もほとんどなくなっていたお父さんが、ダンナの作ったものは喜んで「美味しい美味しい」と口に運んでくれる。亡くなる直前にも、ダンナの作ったオムレツをゆっくりひとくちひとくち噛み締めながら、おかわりまでしていました。

「おとうさんは、末っ子のダンナが本当に可愛くて可愛くて仕方なかったんだ」

そんなことを証明するような光景は私にとっても衝撃ではありましたが、まさに当事者のダンナにとっては、

自分は確かに愛されていた

という疑う余地のない事実となって、「自分は家族にとって、いてはいけない存在だった」という考えに基づいて生きてきたこれまでの人生観を、180度ひっくり返すような衝撃的な出来事となりました。

おとうさんの最後の人生をかけた置き土産

葬儀後、富士山をこよなく愛していたお父さんに喜んでもらえるよう、遺影は浮世絵の富士山を合成して散りばめたものを準備したのですが、「マドカ(ダンナの名)に持っててもらったらお父さんが喜ぶよ」という親族の意見で、一つは我が家に。

その後、納骨で地方に向かう道中、新幹線で横切る瞬間に、富士山に見事な虹が架かったのですが、そのあともいたずら好きのおとうさんが「マドカのために全部準備してやったんだぞ」と笑っているのが目に浮かぶような不思議な出来事がいくつも起こりました。

思い起こせば、友人からの映像化の申し出も、まるで仕組まれていたかのような奇跡的なタイミングでした。

すべては、人を笑わせたり楽しませることが大好きだったお父さんが、人生の最後のすべてをかけて表現してくれた「愛情」というダンナへの壮大な置き土産だったのではないか、そう感じています。

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祖母の鎖から解放された母

そして、同じ頃、私の母親との関係も大きく変化していました。

下記の投稿でも書いたのですが、

昨年の祖母の逝去後に判明したあることから、「母は愛されていなかった」という悲しい事実が明らかになったのですが、気持ちの整理がついて鎖から解放されたからなのか、今年に入って母の表情がこれまでになく明るくなりました。

そしてそんな母が長年背負わされていた重荷を想像しているうち、私の中に蓄積されていた憎悪も気がつくと消えていきました。

母の地獄の日々

私が母と過ごした期間=実家にいた期間は、母にとって地獄だったのだと、今ならわかります。

私の幼少期、父は世界各国に単身赴任で飛ばされ、ほぼ不在でした。

母に辛くあたる祖母の衣食住を支えながら、3人もの発達障害の子どもたち(診断を受けたのは私だけですが、母も含めてほぼ確実にそうだと思います)を一人で育て、子ども達がそれぞれ学校に落ち着いて安堵したのも束の間、突然家族でのブラジル赴任の話が持ち上がり、急遽地球の反対側へお引越し。

当時のブラジルは(今もですが)大変に物騒だったので、安全にも常に目を光らせていなければならない。父はとても穏やかな人間だけれど、仕事で燃え尽きていたため、一緒に住んではいても、子どもの教育にはほぼノータッチ。そして私は、もの心ついたときから家ではほとんど笑わないし話さない、完全に心を閉ざした子どもでした。

母は孤軍奮闘していました。現在の私より5歳ほど上の年齢でこれらをこなしていたと思われるのですが、自分がこの状況に置かれたら、同じようにできる気がまったくしません。思い返すと、それぞれ必死に生きていたものの、全員が不幸になるようにしかならない状態で回っていた日々でした。

その後、赴任期間が終わり日本に帰国し、こどもたちもそれぞれ独立して負担は軽くなったものの、100歳を越す祖母の世話を、昨年まで母は続けました。

戦争が終わった

今年2月、その頃世界で最もコロナが猛威を奮っていた地に住んでいる姉が体調を崩している、という話を母から聞き、そこから毎週末に家族間でZOOMを使って生存確認と近況報告をするという習慣が始まりました。

実は姉とはある意見の相違でここ何年も音信不通だったのですが、「姉が万が一亡くなるようなことがあったらきっと後悔する」と思い、コンタクトした経緯がありました。

思い起こせば30代の半ばくらいまで、私は家族に恨みしかなく、「みんな勝手に野垂れ死ねばいい」と思っていたのですが、それも今となっては嘘のようです。

日本で一番感染者の多い東京に両親も私も住んでいることもあり、今年に入ってからはリアルに会えていませんが、こんなに家族間の心の距離が縮まったのは初めてのことでした。


人生の折り返しのスタート地点から再生の第一歩を

戦争は終わった。

今思い返しても、この言葉が自然と湧き上がってきます。

私とダンナのそれぞれの戦争の終結が同じタイミングになったのは、「然るべく」なのか「奇しくも」なのかはわかりません。でも彼にとっては約50年の、私にとっては約40年の、長い長い戦争が終わりました。

今年が、コロナによって社会全体が変革を迫られる、一生忘れることのない一年になることは間違いありませんが、私たちも、過去から解放され、人生の折り返しのスタート地点から再生の新たな第一歩を踏み出す一年になりそうです。


ご自身の心には、なによりも正直に

ただ、これはあくまでも「我が家にこんなことが起こった」という事例の一つです。

つい先日もネグレクトの末に小さな女の子が亡くなるという痛ましい事件が起こってしまいましたが、これまでも何度も書いてきているように、親を許せないと思うならば、決して無理に許す必要はないと思っています。

残念ながらそれに全く値しない親は存在します。どうか、ご自分の心に一番正直になってあげてください。まずはなによりも自分が一番大事です。

ただ、彼女自身、母親からのおぞましい虐待事件の被害者だったとも言われていることに心が痛みます。私も親を許せたとは思っていますが、以前下記に書いたように、子供を持ったらきっと同じことをするはずと確信しています。


それでも親を許せたらと思われる方へ

ちなみに、我が家の状況と重なり、カタルシスとしかいえないものを体験させてくれたのは、こちらの『WAVES』という映画です。

映像の凄まじいまでの美しさや素晴らしいストーリーなどの映画評論的な賛辞は、すでに色々な記事が出ているので他の方におまかせするとして、親との関係で苦しまれている方で「何か心がラクになれるヒントがほしい」ともがかれていらっしゃる方は、一度ご覧になられるのも良いかもしれません。

実は下記の投稿のタイトルをくださったムツミさんが宣伝サポートされていたこともあり、この会合後に試写会に誘っていただきました。(毎日感染者が高止まりしている中、映画館にいくという状態は難しいものがあるかもしれませんので、くれぐれもご無理なさらぬよう)

私からはこのようなコメントを寄せさせていただきました。

「自分を苦しめた人を赦すことは本当に難しい。でも赦せたとき本物の人生が始まる。この世に生を受けた意味を知る。人生に絶望しながらも、浮き上がろうと必死にもがいている方にぜひ観て欲しい。人間は再生できる。自分に重なり泣きすぎました。」

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どんな状態であっても、人間は必ず再生できる。

そう私は信じています。


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