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わたしは女でなくただわたしでいたかった

「自分の性別をいつも意識していますか」とたずねられたら、あなたはどう答えますか。

幼い頃、わたしは自分が男なのか女なのか意識したことはありませんでした。気がつくといつも一緒に遊んでいたのは男の子。かれらと同じように自分を「ぼく」と呼んでいました。ある日、仲良しの子から「さわぐりちゃんは女の子なんだからぼくらと同じではないよ、おしっこの仕方だってちがうんだよ」と言われ、初めてふだん一緒に遊んでいる子たちから区別されるという経験をしました。

好きな色は青、好きな服装はショートパンツにスニーカー。そんな自分のことを「わたし」と呼ぶようになったのは決して早くなく、小学校に上がる少し前だったと思います。小学生になってからも好きな色、好きな服装は変わらずで、高学年までスカートを履くことはありませんでした。ある出来事が起こるまでは。

小学5年生のとき、わたしはある音楽コンクールに出場することになりました。それまできれいな服というものにまったく興味がなかった11歳の子どもが、その日は可愛らしい衣装を着なければならなくなりました。家族や先生に勧められたのはかなりフレアのきいたドレス風のものでした。

それまで自らスカートやワンピースを選んで着たことがなかったので、わたしはパニックになりました。衣装用のドレスを販売しているお店に連れていかれ、ここで何かしら買わなければいけないと言われた時は半泣きになりました。どうしてもここでドレスを選ばないといけないーそれは11歳の、自分がまだ女という性に属している認識がほぼなかったわたしにとって、厳しい出来事でした。一番地味なものを選び、コンクール当日に一度だけ袖を通したその衣装は、その日以来見ることはありませんでした。

6年生になると、今度は家族から「そろそろスカートを履きなさい」と言われるようになりました。それまで暖かい時期はショートパンツ、寒い時期はスウェットで通していたわたしはまたパニックになりました。「女子は中学校になれば制服はスカートなのだから」と言われた時にも、自分は「女」という性に属していることをまた悲しく受け入れるしかありませんでした。

中学・高校時代も同じように自分が「女」であることをあらゆる機会に思い知らされました。太った、痩せた、胸が小さい、大きい、毛深い、かわいい、ダサい、誰が好き(当然男子)、そんな言葉はいつも周りに飛び交っていたし、雑誌を開けば「モテ髪」「モテ服」特集、電車では「脱毛」だの痴漢だの、この頃には自分が「女」という性に属していることは受け入れてはいたけれど、だからといって自分の見た目が美しくなければいけない、モテるために見た目を整えなければいけない、だれかに触られないように気をつけなきゃいけないという日々がただしんどくて、もうお願いだから放っておいてくれと何度思ったかわかりません。

だからといって、自分は男だと思っていたわけでもありませんでした。ただ、自分が「男」か「女」かという二択のカテゴリーのなかから身体的な特徴で自動的に「女」に振り分けられ、その性別に求められる容姿や振る舞い、服装など、あらゆる規範に従わなければならないということがただ理解できなかったのです。自分がどうしたいのか、それを言葉にする機会さえなく、その一方で周りから当たり前のように次々とさまざまな要求が課されてくる。それは苦しみでした。

大人になってからも、好きな人と結婚したら苗字を変えて自分の半分が消えてなくなるとか、出産したら家事も子育てもまるで生まれつきその素質を持っているかのように振る舞わなくてはいけないという世間からの期待に自分は絶対応えられないと怯えていました。特に親戚や友人の結婚式は家父長制にもとづく言葉が集中砲火のように飛び交う場で、妻は良妻賢母であれとか、得意料理はなんだとか、そういった言葉にビクビクし(もちろん新郎である男性への期待も聞いていて恐ろしかった)、徐々に参加できなくなりました。

周りの友人たちが、女としての期待をいとも簡単に受け入れらていることがいつも不思議でなりませんでした。「さわぐりは変わっている」「好きな人ができたら気持ちも変わるから」と言われ続けましたが、今振り返ると世間で期待されている性のあり方に自分がピタリとはまる人、それを演じて楽しい人はただラッキーなんだろうと思います。それは一種の特権でさえあると感じます。

若い頃の話を長々と書いてしまいました。

今のわたしはこの頃とは少し違い、女の身体をもち、自分も女であることを受け入れつつも、世間の期待に応えなくて良いと割り切って生きられるようにはなりました。子どもも2人出産したけれど、母親としてすばらしい子育てをしてきたわけでもなければ、料理も上手くありません。折り合いをつけて生きてこられた、特に30代からは苦しみも少なくなった気がします。それは周囲の期待に応えない、むしろ応えられない自分を受け入れて生きるしかない、そんな人生なのだと達観せざるを得なかったからかもしれません。

訳書「デンマーク発 ジェンダー・ステレオタイプから自由になる子育てー多様性と平等を育む10の提案」の原著を初めて読んだとき、著者のセシリエ・ノアゴーが、イントロダクションの中で「周囲の人々が幼い自分に女の子としての振る舞いを期待していたことに気づいた」と記しているところがあります。それを読んだ時、わたしは自分の子どもの頃のこと、女の子としての服装や振る舞いを周りから求められた出来事(既に書いたようなこと)をたくさん思い出しました。自分以外にもこんな体験をしていた人がいた、それを初めて知りました。同時にセシリエがそんな体験をきっかけに、性別とは人として子どもがもつ特徴のひとつでしかないこと、それ以前にひとりの人として、その子自身がもっている個性や特徴、好み、願いを大切に育てていくことが大切で、性別という枠にあてはめて子どもを育てていくべきではないと述べていることが心に深く刺さったのでした。そんな環境であれば、自分はもう少し自由に育つことができたかもしれない、「女の子」という枠におさまることができなくても、自分をおかしいと思ったりしんどいと感じなくても良かったのかもしれないと。

これは決して女の子に限ったことではありません。男の子であっても、同じように世間の期待はたくさんあります。男は男らしく、弱さを人に見せてはいけない、女性を守らなければいけない、しっかり稼がなければいけない、競争に打ち勝たねばならないなど厳しい価値観が数多くあります。だから女だからということではなく、どの性であっても性別という枠にはめて子育てをすることは子どもの成長を制限しているとセシリエは書いています。彼女は著書の中で、子育てにかかわらず性と個人の生き方を無意識に同じものだと考えている現代の人々に対し、10の異なる視点からひとつずつ紐解いていくプロセスを示しています。決してハウツー本のように「〇〇すれば××が叶う」という内容ではないけれど、ひとりひとりの気持ちや願いを起点として人の育ちを見守るべきだという一貫した信念は、枠におさまることができなかったわたしのような人や、それを息苦しく感じている人、また自由な子どもの育ちを支え見守りたい人にとって希望を与えてくれると感じます。

長くなりました。
最後に女の身体を持っていることと、その身体への自己決定について記して終わりにしたいと思います。これは今の日本の課題でもあるからです。

女の身体で生まれるとは本人が望む望まないに関わらず、妊娠する身体として生まれてくるということです。さまざまな理由から子どもができない場合ももちろんありますが、男女がセックスをすれば、妊娠する可能性があるのは身体が女である方です。そしてそれが望まない妊娠の場合、何らかの対処が必要になります。場合によってそれは身体に大きな負担をかけて行うことでもあります。

日本では避妊に失敗した場合、アフターピルがすぐには手に入りにくいと聞いたことがあります。厚労省の有識者会議で「(アフターピルが)安易に入手できると乱用につながる」という意見から、市販が見送られたとも言われているそうです。アフターピルを入手したければ医師の処方箋が必要で、価格も決して安くない。自分が妊娠を望んでいないのに、そしてアフターピルを一定時間以内に服用すれば効果が高いとわかっているのに、容易に手に入らないーそれは自分の身体についての決定が他者によって制限されているかのようです。これもまた、女はなるべく性体験が少なく貞淑であるべきだという社会からの「女はこうあるべき」という期待が影響しているのかもしれません。そして避妊に失敗した場合は、いくつものハードルが課されることで、まるで罰を受けるかのように心を痛め苦しまなければならない。世間の期待にそぐわない行為をすれば、女の身体をもつ者は罰せられる、そんな状態のようにさえ感じます。人工妊娠中絶を選択する際も女性は配偶者の同意が必要になります。ここでもひとりの人間として以前に、女性という「性」がわたしたち自身の身体への決定権を妨げ、外側から制限しています。

さまざまな要素が「自分」というものをつくっています。そして性はその要素のひとつでしかなく、その人のすべてではありません。このことがわたしたちの共通認識としてあればどれだけ多くの人がもう少し自由に生きられるだろうと感じます。幼い頃からすでに始まっているわたしたちを取りまく性に関するさまざまな制限。そこから自由に生きられる子どもが少しでも多くなることを願っています。

『デンマーク発 ジェンダー・ステレオタイプから自由になる子育て――多様性と平等を育む10の提案』セシリエ・ノアゴー著 さわひろあや訳 図書出版ヘウレーカ



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