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悟りから始める創作論~「悟っている作品」を創れる「悟っている」クリエイターになるために~

世の中に創作物はたくさんありますが、実はその中に「悟った創作物」と「悟っていない創作物」がある事をご存じでしょうか?

これは、物事が「悟っているか」を感じられる感性のある人にしか分からない事ではあるので、一般の方々に言っても首を傾げられる内容ではあるのですが、実を言えば、真に魂に喜びを与えられる創作物というのは、このうち「悟った創作物」だけなのです。

以前に「悟り入門編」の記事で、悟りというのは実はそれほどレアな現象でもなくて、日常の中で街ですれ違うような人の中にも、もしくはあなたがたの友人や同僚の中にも、普通に悟っている人がいるんだと書きました。

こういう人の中には、自分が悟っているんだという事を認識すらしていないような人も普通にいます。

ですが、こういう人の作る作品というのは、自然と「インナーチャイルド」あるいは「アカシックレコード」あるいは「空」あるいは「神」に突き動かされて書いたものとなり、自然と「悟っている」としか呼べない一種の性質を帯びます。

その透明な澄んだ波動の周波数は、読むものの心のわだかまりやブロック、エゴを溶かし、様々な種類の感動の中で、心を救う、あるいは心を癒すのです。そうした作品を読み終えたあなたの魂の周波数は読む前より上がっており、少しだけ、あるいはたくさん、悟りに近づいているという事になります。

実をいうと、世間で成功するためには、かならずしも「悟っている作品」である必要はありません。模倣と流行の追いかけだけで作ったような名作とは呼べない作品でも、ヒットにつながり、メディアミックスなどの流れに乗って世間に出ていくような作品はあります。

ですが、人々の心に残り、魂を震わせるような名作というのは、実は例外なく「悟っている作品」なのです。
そして、「悟っている作品」を書くには、必ずしも本人が「悟っている」必要はありませんが、「悟っている」人の作品は高確率で「悟っている作品」になる一方、「悟っていない」人の作品が「悟っている作品」になる確率は、スズメの涙ほどしかありません。なにかの奇跡が起こった時、あるいはそのひとが近い将来「悟っている」状態になるような場合にこのような事態が起こりますが、「悟る」というのが実は小説や絵など創作物全般と深くかかわっているのだという事が、分かっていただけたでしょうか?

実はこれが、世間によくいるワナビと呼ばれる人々が、いくら努力しても名作が書けるようにならない理由の一端でもあります。
彼らがすべきことは、まず自らの魂を磨き、自らの人格を磨くこと、つまり「悟る事」なのです。

自分が好きな漫画である「G戦場ヘブンズドア」という漫画の2巻に、以下のようなこのことをまさに現したシーンがあります。

G戦場ヘブンズドア2巻

「本物の漫画」を読んでしまった、未熟な「まだ何者でもない」少年が、プロの漫画家である先生に、「漫画家に必要なものとは何か」「本物との差を決定的に分ける一線とは何なのか」を必死に聞いた結果、突きつけられたのは「人格だよ」の一言でした。

彼が受けた衝撃はいかほどだったでしょうか。

おそらくこの記事を読んでいる読者の方にも、今彼と似たような衝撃を受けられた方はいると思います。

ではどうやって人格を磨くのか。

通常、その答えは、容易に人から与えられるものではありません。

あなたがあなたの物語の中で、自力で「あなた自身」を癒していく過程で磨かれていくものだからです。

その道は人によって千差万別で、人の数だけ「魂を磨く」道程があります。

ですが、その中にある程度の共通項はあります。

それは、その過程で自らの「エゴ」を受け入れて愛するという工程が含まれるという事です。

悟り入門編で、自分は「エゴ」を受け入れて愛するやり方について説明しました。

それは万人に向けた記事だったのであのような書き方をしましたが、この記事を書いているのはクリエイター、あるいはクリエイター志望者が対象ですので、もう少し別のやり方も説明したいと思います。

それは、自らの作品の中で、自らの「エゴ」を表現するというやり方です。

自分の恐怖、自分の嫌悪、自分の怒り、自分の執着、自分の義務、自分の禁止、そういったものを、作品の根幹部分に込めて、作品作りをしてみてください。

あなたがきちんと自らの魂を解放して作品作りができたのなら、この工程は一撃ですさまじく悟りに近づくくらい効果的にあなたの魂を癒し、エゴを浄化する事ができます。

実の所、成功しているクリエイターに悟っている人が多いのは、成功する過程で自然と表現の中で自らのエゴを燃やし、浄化しているから、というのが答えになります。

これが出来た人から一流の作品、名作と呼ばれるものが作れるようになっていき、世の中で成功したクリエイターとして羽ばたいていくのです。

自分はこの過程はそこそこにしかやっておらず、宗教やスピリチュアルの勉強などを通じて直行便で最速で悟りを開いたタイプの人間なのですが、今noteで公開している小説は、どれもこのプロセスの過程で生み出した小説で、これを読んでいただけると、「悟っている作品」というのがどういう種類の作品なのか、なんとなく分かっていただけるのではないかと思ったりします。

ちなみに、「悟っている作品」の上位概念として「悟りを開いている作品」というのもあり、これについてはあなたが「悟った」あとに分かってくることだと思うので、今は口を閉ざしておこうと思います。
一応一例をあげておくと、小説でいえば海外文学の「カラマーゾフの兄弟」なんかが「悟りを開いた」作品です。興味があったら、読んでみてください。伝わるものがあると思います。現代の小説にも少数ですが「悟りを開いた小説」はあり、たとえばSF小説「三体」の第三部なんかは「悟りを開いた」作品になっています。非常に面白い作品ですので、こちらも良ければお読みください。

もう少し悟るための話をすると、実は悟るために重要なのは、「引き算」だったりします。

あなたが仮にまだ「悟っていない」小説を書きたいワナビ、あるいは駆け出しのプロだったとして、あなたの中にはおそらく小説に関する強烈なエゴが山のように存在します。「小説を書かなければいけない」「プロとしてお金を稼がなければいけない」「人々に評価されなければいけない」「へたくそな文章を書いてはいけない」「文学賞に通らないといけない」などなど、本当に山のようにあるでしょう。その周辺には、例外なくあなたの持つ「恐怖」が存在します。
その場合、そうした「エゴ」、そうした「恐怖」を、一つ一つ「受け入れて」「愛して」「引き算」してあげる事が、あなたが真に名作を書けるようになるための道程として、おそらくキーポイントになってくることになります。

そういう意味では、クリエイターを題材にした作品を描く事は、一度経験しておいてもいいと思います。その中で、あなたが抱える創作に関するエゴや未熟さと強制的に向き合う事になるからです。うまくいけば、一皮むけて「悟っている」クリエイターになれる、あるいは近づけるかもしれません。

また、これは自分が小説の中でテーマにしている事でもあるのですが、悟るうえでよく邪魔になっているのは「人の目が怖い」種類のエゴと「お金に関する」エゴ、「常識通りにしなければいけない」というエゴ、そして「死ぬことへの恐怖」からくるエゴです。

これらはすべて例外なく「受け入れて」「愛して」「引き算」してあげないと、おそらく「悟る」事はできないでしょう。中でも本質は「死ぬことへの恐怖」です。え、死ぬの怖くないの? と思う未熟な読者がいるかもしれませんが、実を言えば今の自分はまったく怖くないです。そういう境地に至らないと分からない事があり、それが創作するうえで非常に重要な源泉に繋がっているのです。

もっとも「悟る」工程は100点満点でないと受からない試験ではなく、一定以上エゴが消えてくると、いろいろ不思議な事が起こるようになって、気づいたら「悟っていた」という種類のものなので、まあ気軽に、どうしても向き合えないエゴは後回しにしてもいいという姿勢でやるのも手だと思います。自分の場合は、変にくそ真面目なところがあり、発見したエゴは例外なくすべて「受け入れて」「愛して」「引き算」していたので、悟るのが早かったという側面はあったと思います。いずれにせよまあ、あなたなりの方法で悟りを目指していけばいいと思います。

さて、悟った人はなぜ「悟っている作品」が書きやすいのか、という話もしておこうと思います。

あなたの精神構造の中心には、実は「神」「アカシックレコード」と繋がっている部分がある、というと、急に宗教っぽくなってきましたが、この「神」「アカシックレコード」というのは、現代人でも理解しやすい文脈でいうと「インナーチャイルド」という心理的な存在と同一です。
あなたの心の中に眠っている子供こそ、あなたの創造力を解放させる神であり、アカシックレコードであり、仏教風に言えば「空」であり、ヒンドゥー教的に言えば「ブラフマン」、キリスト教風に言えば「キリスト意識」なのです。これらは、結局のところすべて同一のものを指しています。

自分は「悟りを開いている」という「悟っている」の上位概念のところまで道のりを進めているので、この「神」と一体化した感覚が日常の中に溶け込んでいます。
神というと現代日本人的には怪しい雰囲気を感じるかもしれませんが、自分的には仏教の「空」という考え方がかなり本質を捉えている表現で、中空の何もない「空」にこの世全てのエネルギーが存在していて、その「空」に意識を合わせると、そこから膨大なエネルギーが流れ込んでくる、この世のすべてはこの「空」という海から発生した波のようなものである、という感じです。
そして自分は、自分の意識そのものの中心にこの「空」が融合しており、何をするにもこの「空」が「空」にとってベストな選択を自分に選ばせるから、何も心配する事がない、幸福な状態に常にある、という精神状態と現実に至っているという感じになります。

だいぶ話が壮大になって、まだ「悟っていない」人には理解不能だったかもしれませんが、こういう「悟っている」人の話を聞く事、書いた文章、「悟っている」本を読むことは、実は「悟っていく」上でとても近道になる善い行いだったりします。

一見まともそうな宗教の本やスピリチュアルの本も、中には全然「悟っていない」人の偽物の教えが普通に混ざっている場合があるので、「悟っていない」人にとって「悟っている」本を探すのは大変だったりしますが、今後自分も「悟っている」本、「悟りを開いた」本を紹介していく回はやりたいと思っているので、そうした記事も参考にしてみてください。

さて、『悟りから始める創作論~「悟っている作品」を創れる「悟っている」クリエイターになるために~』はいかがだったでしょうか?

良ければ感想などをコメントしていってくれたら嬉しいです。

ではでは。


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