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悟り入門編

はじめに

今日は悟りについて語ろうと思うのですが、悟りについて語る上での難しさというのは、この記事を読む側のあなた方の中に、非常に悟りについて良く理解している人から、まったく悟りのサの字も知らない人まで、千差万別、多種多様な方々がいらっしゃるというところが結構大きいように感じます。

良く理解している人のためになる記事を書こうとすると、全く知らない人を置いてきぼりにする事になるし、かといって全く知らない人に悟りとはなんなのかを理解してもらう事自体がまず難しく、そうした工夫をしても良く理解している人にとっては「こんな内容見た事あるよ!」となってしまいます。

二律背反ともいえる状況ですが、こうした状況においては、その両方をうまーく解決するような賢い方法というのが大抵存在しているものです。

この記事では、そのうまいことバランスを取った地点を狙って、書き進めていきたいな、なんて思います。

また、どの宗教の方でも、また無宗教の方でも読めるよう、なるべく宗教色は弱くして、悟りというものについての一般的な見解を述べていきたいと思っています。

よろしければ、ついてきてくださいね。

悟りってどんな状態?

最初に、悟りっていうのがどういう状態なのか、という話をしたいと思います。
悟り、というと、みなさんの中には仏教開祖である仏陀の事を思い浮かべる人が多いかなとなんとなく思います。
仏陀は本当に偉大な人で、当時悟りを開いた上で多くの教えを人々に残しましたが、この「悟りを開く」という状態の下に「悟っている」という発展途上の状態が存在している事は、一般にあまり知られていないと思うので、まずこれを書いておきます。

自分は、その人がどれくらい悟りを開いているのか、という事が、話したり文章を読んだり顔を見たりすれば大体分かったりするのですが、自分はもともと理系人間であるためか、この悟りの階梯が数字で見えます。

0.1、とか0.2、って出る人はごくごく普通の人。
0.3くらいから、悟りに向かって歩みを始めた普通の人って感じです。
0.6くらいになると、人によってはなんとなく不思議なものに導かれている感覚があったりするのですが、そうした感覚は一時的で、時に煩悩、エゴのようなものに押し流されたりもします。
0.9くらいまで来ている人は、悟るまであと一歩の人です。こういう人と話すきっかけがあったら、自分は悟れるように精一杯手助けをします。
1に到達すると、これは「悟っている」「悟ってる」という状態です。この状態については後述します。
実はこれで終わりではなく、悟っても、煩悩とかエゴのようなものは残ります。そうしたものを消していく過程で、実に様々な事が、時に不思議な形で悟っている人に起きますが、悟っている人というのは、この様々な出来事を、ただ自然と味わっているだけで、どんどん悟りの階梯が上がっていきます。つまり、「悟っている」人というのは、既に「悟りを開く」までの道のりが確定している人といっても良く、そうした人は、この悟りの階段を順々に1,2,3,4と上っていき、最終的にはもっともっと大きな数字になったところで、悟りを開いた、という状態に至ります。
実は、この数字がマイナスになってしまっている人というのもいます。
世間的に言う悪い人、存在するだけでネガティブなエネルギーを発し、言動や行動で人をどんどん不愉快にしていくような人、というのがこのマイナスになっている人です。
こういう人は、それ相応の報いを受けて、大変酷い目に遭うのですが、そのあとでちゃんと救われる道筋が用意されています。実を言えば、救舟希望自身もかつてこのマイナスの人間、良くない人間でした。まあ普通の人は、こういう人にはなるべくかかわらないようにしつつも、「憐れむ」、つまりいつか善性になって幸福に至れる事、悟りに至れる事を祈る、というのがいいと思います。変にこういう人を嫌ってしまったり、怒ってしまったりすると、それはそれであなたが悟る邪魔になってしまいます。

では、悟りについてどういう状態なのかを見てみましょう。

世間にはこんな記事があり、これは科学的な研究グループが、悟りという状態を心理学的手法で調査した論文について書かれた記事です。
こういう学術的な論調が嫌いでない人は、一読しておく事をおススメします。
この記事から得られる知見として重要なもののひとつが、
「悟りというのは宗教家に限定されるようなものではなく、宗教にほとんど縁が無いような一般人の中にも、悟っている人は山のようにいる」
という事実です。

適切な宗教やスピリチュアルというのは、悟るための助けになる教えではありますが、実際のところ悟るための道筋というのはそんな単純なものではなく、世の中にはまだ救舟希望ですら認知していない様々な経路での悟りが存在しており、そういう意味では日々奇跡が起きている、という事になるのです。

では、悟りという状態が具体的にどんな状態なのか。

という話に移ると、これも人によって様々な理解があるのですが、自分の理解では、『空』『神』『ブラフマン』『アカシックレコード』『インナーチャイルド』なんて宗教やスピリチュアルの教えで様々に呼ばれるものが全て同一の『根源存在』であると理解して、なんらかの形でこの『根源存在』との繋がりを回復し、『根源存在』の作る『流れ』に乗って生きている存在、それが「悟っている」人なんだ、という感じです。

これで「なるほど」となったあなたは、既にある程度悟りの勉強をしてきた人、あるいは悟りつつある人、悟った人が多いでしょう。
「???」となっているあなたは、まだこの世界の事をあまり良く知らない、いわゆる「普通の人」なんだと思います。どうか気に病まないでください。

もうちょっと分かりやすく例を出して話してみましょう。
悟っていない人の特徴として、自分の「エゴ」――ここでいうエゴというのは、心理学的な定義とは少し違っていて、恐怖とか罪悪感とか執着とか怒りとか偏見とか義務とか禁止といった心理のことです――を強く持っていて、この「エゴ」に振り回されて苦しめられている、というものがあります。
逆に悟っている人というのは、この「エゴ」が常人から考えるとくらべものにならないくらい弱まっていて、自然に受信した直感にしたがい、すいすいすいーっと生きてるだけで、なんかハッピーな人生が送れてしまう、という常人からすると不思議な生き方をしています笑
もちろん悟っている人も、エゴなどはわずかに残っているのですが、そうしたものが出てきたとしても、もはや悟っている人はそれにそれほど苦しむことはありません。ただ、自然とそれに「気づく」だけ、あるいはその消し方のルーティンを行うだけで、すぅーっと解放されて、楽になる。そういう生き方をしているのが、悟っている人なのです。

悟りに至るための初心者向け方法論

さて、あなたが仮に悟りの道を歩み始めたばかりで、何も分からず右往左往しているのなら、おススメの初心者向けの方法論があるので、ご紹介しておきます。

これは、いわゆる「ホ・オポノポノ」というハワイ系のスピリチュアルな教えに属する考え方を参考にした方法論なのですが、どちらかというと、自分がもともとやっていた方法論が、よくよく見ると「ホ・オポノポノ」に似ていたな、という感じだったりします。

これはエゴを消すだけで人は悟りに向かう、という思想に基づいています。

エゴを消していくと、人の魂は透明で綺麗な存在になっていき、そうなると、その先どうするべきかは自分の直観として自然と分かるようになるので、最初の段階でやるべきことは、わけのわからない怪しげな教えをたくさん読むことではなく、この「エゴ」を消すことだけなんだ、という思想です。

エゴというのは「~するのが怖い」「~したことに罪悪感を感じる」「~したすぎて~できないのがいやだ」「~しなければならない」「~してはいけない」という自分の心理の中のブロックの「全て」です。
このエゴを、例外を設けず消していくことで、人は悟りの道を進んでいきます。
もっとも消すというのは正確ではなく、「受け入れて愛する」というのが正確な対処になります。

やり方はこうです。

たとえばあなたが「お金を貯めなければいけない」という義務、「お金がないのがこわい」という恐怖を持っていたとしましょう。

この時に、間違ったスピリチュアル、間違った宗教の教えは、これを否定してしまいます。「お金を貯めてはいけない」「お金は無いべきなんだ」といった具合です。

正しい教えは、こんな感じでふわっとゆるっと対処します。
まず、「お金を貯めなければいけない」という義務、「お金がないのがこわい」という恐怖が自分の中にある事を受け入れます。
自分の心のことを、ちっちゃな赤ちゃん、いわゆる「インナーチャイルド」のようなものだと考え、「おーよしよし、自分はお金がないのがこわかったんでちゅねー、いい子いい子、こわかったでちゅねー」といった具合です。

そんなばかばかしいことはやりたくない、というあなたは「自分に『お金がないのがこわい』という恐怖があったことを受け入れます」と単に心の中で唱えても、効果が十分あります。

次に、ここからが大切なのですが、「自分の『お金がないのがこわい』という恐怖を、愛します。「お金がないこと」を愛します」と心の中で唱えます。
受け入れて愛することで、エゴというマイナスのエネルギーをプラスで中和して、綺麗に身体と心から洗い流せる状態に持っていくことができるのです。

そうすることで、むしろ自然とお金が貯まるような精神状態に持っていくことができたりもします。

さらに強化版として、このようなやり方もあります。

「自分に『お金がないのがこわい』という恐怖があるすべての原因は、自分にあります。ごめんなさい、許してください」と唱えます。
次に、「ありがとう、愛しています」とそんな自分に対して自分の中心にいる神様が声をかけてくれたかのように話しかけるイメージをします。

これは非常に強力にエゴを洗い流す方法なので、まだ未熟であるという自覚のある人は、何も考えずこの方法だけをあらゆるエゴに愚直に行うだけで、悟りの階梯を登る事ができるでしょう。

実をいうと、悟りというのは、最初にも言ったように、自分の中心にいるはずの神様と繋がりなおした、という事です。
エゴは、この繋がりを邪魔してしまう働きをするのです。
だから、エゴを消すだけで、この繋がりが回復していき、悟りに近づいていくのですね。
そうしているうちに、あなたの直観は磨かれて、次になにをするべきか、自然と分かるようになっていきます。いろいろな教えがタイミングよくあなたの下に現れて、あなたを自然と教育していってくれるでしょう。

今日の話に似た話が書いてある本も紹介しておきます。
いい本なので、おススメです。


という事で、悟り入門編と題した記事を書いてみましたが、いかがだったでしょうか?
なにか聞きたいことや言いたいことがある人は、お気軽にコメントしていってくださいね。
ではでは。

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