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You Like Bohemian─小林秀雄(9)(2004)

九 『考えるヒント』
 晩年に近い頃の新聞や雑誌に掲載したエッセーを収録した『考えるヒント』(一九六四)は日常的な事物や出来事あるいは書物などを対象にしているが、若き日々と違い文体こそおとなしいものの、そのオルタナティヴ指向のパンク性は健在である。小林秀雄は近代日本における文芸批評家のイメージを一般に広めた最大の人物なので、多くの評論やエッセーには小林秀雄の影響が見られる。亡くなった時に、文芸批評家としては異例の新聞の号外が配られたくらいだ。小林秀雄のヘゲモニーの獲得により告白が批評のメインストリームになり、諷刺はオルタナティヴに押しやられてしまう。告白の批評の権威化は小林秀雄にとって背理である。そこで「小林秀雄」ならこう言うだろうというように、すなわち自己諷刺的に「小林秀雄」を演じる小林秀雄として書いている。

 読者を失望させることなく、完璧な「小林秀雄」を『スランプ』において次のようにたっぷりと見せてくれる。

 野球で、あの選手は、当りが出ているとか、この頃はスランプだとか言う。先日、国鉄の豊田選手と酒を飲んでいて、そのスランプの話になったが、彼は、面白い事を言った。「スランプが無くなれば、名人かな--こいつは何とも言えない。だが、はっきりした事はある。若い選手達が、近頃はスランプなどとぬかしたら、この馬鹿野郎という事になるのさ」。その道の上手にならなければ、スランプの真意は解らない。下手なうちなら、未だ上手になる道はいくらでもある。上手になる工夫をすれば済む事で、話は楽だ。工夫の極まるところ、スランプという得体の知れない病気が現れるとは妙な事である。
 どうも困ったものだと豊田君は述懐する。周りからいろいろ批評されるが、当人には、皆、わかり切った事、言われなくても知っているし、やってもいる。だが、どういうわけだか当らない。つまり、どうするんだ、と訊ねたら、よく食って、よく眠って、ただ待っているんだと答えた。ただ、待っている、なるほどな、と私は相槌を打ったが、これは人ごとではあるまい、とひそかに思った。私はその道の上手でも何でもないが、文学で長年生計を立てて来たのだから、プロはプロである。スランプの何たるかを解しないでは相済まぬ次第であろうか。

 野球は言うまでもなく、高度に肉体に関わる芸である。肉体というものは、自分のものでありながら、どうしてこうも自分の言う事を聞かぬものか、スポーツの魅力は、その苦労から出て来る。今日の文学の世界では、観察だとか批判だとか思想だとかいう言葉がしきりに使われ、そういうものに、文学は宰領されているとも見えるが、文学の纏ったそういう現代的な意匠に圧倒されずに、文学の正体を見るなら、文学もスポーツとそう違った事をやっているわけではなし、その基本的な魅力も、同じ性質の苦労から発している。では、文学者にとって、その肉体とは何か。自分の所有であり、自分の意に従うものと見えながら、実は決してそうではない肉体とは何だろう。それは、彼が使っている言葉というものだ。そう直ちに返答が出来るようになれば、文学者も一人前と言える。プロと言えるだろう。
 私の職業は、批評であるから、仕事は、どうしても分析とか判断とかに主としてかかずらう。従って、こちらの合理的意識に、言葉は常に追従するという考えから逃れる事が難かしかった。その点で、詩人や小説家に比べて、成育が、余程遅れたと自分は思っている。だが、やがては思い知る時が来た。書くとは、分析する事でも判断する事でもない、言わば、言葉という球を正確に打とうとバットを振る事だ、と。私は野球選手ではないから、今はスランプだとは言わない。しかし、勝負に生きる選手の言うスランプという言葉が、勝負を知らぬ文学の仕事の上に類推されれば、スランプは私の常態だと言うだろう。職業には、職業の慣れというものがあるので、その慣れによって、意識の整備の為に、精神を集中するという事は、私にはさして難儀な事ではない。さて、そういう事が出来た後には何をすればよいか。ただ、待つのである。何処かしらから着想が現れ、それが言葉を整え、私の意識に何かを命ずる。私は、昔の人のように、陳腐なインスピレーションを待っている。

 このように、小林秀雄はどんな対象であっても、一気に自分の理解の範囲に引っ張りこんで、結論づけ、決めのフレーズで終わらせる。その際、「事」を連発し、「…でもなければ、…でもない。…だ」を忘れない。「小林秀雄」を演じられるのは小林秀雄以上でも、小林秀雄以下でもない。小林秀雄だけという事なのだ。

 率直に言って、この随筆は無内容である。これは坂口安吾が『教祖の文学』で批判した「這般の扇」にすぎない。豊田泰光も、実は、この時の様子について書いている。文学界の大家と対面して緊張していたところに、「スランプとは何かね」と尋ねられ、豊田はしどろもどろで答えたと告げている。また、岡崎満義も豊田等から取材し、『スランプ』を引用して、この対話を論じている。特に、後者の『中西太と豊田泰光』は「スランプ」が何であるかを明示化している。以下で趣旨を紹介しよう。

 「スランプ」は、一口で言うと、ゼーレン・キルケゴールの「死に至る病」である。自分だけで自身たらんとすることによって陥る。打者は投手の投げるボールを打つ。けれども、相手がいることを忘れて、打ちたいという我欲だけに囚われてバッティングに臨むと、結果が悪くなる。この悪循環がスランプである。狙い球を変えたり、ボックスの立ち位置を移動したり、縁起をかついでみたりしても、よい結果は出ない。

 この状態に落ちこむと、疑心暗鬼になってベンチやチームメートに不信感を覚えたり、食欲不振や睡眠不足に苦しんだりするようになる。しかし、心身の疲労がピークに達し、どうにでもなれと諦めが生じ、熟睡する。そのおかげで、頭がすっきりして身体から無駄な力が抜けて打席に入ると、ホームランを放ったりする。かくしてスランプから抜け出す。ただ、その時に、この感触を忘れまいと意識過剰になると、また例の悪循環に舞い戻ってしまう。だから、豊田によると、ホームランは「薬」でも「毒」である。他者との関係性の前提を見失い、自分だけで自身たらんとすることがスランプという病である。

 豊田は小林秀雄と水割りを飲みながら会話をした際、二つ気になることがあったと回想している。一つは、話のつながりが時々わからなくなることである。論理がつかめず豊田が怪訝そうな表情をすると、小林秀雄は書くのはいいけれども話すのが苦手だと言っている。もう一つは、初対面にもかかわらず、豊田の腰が悪いことを見抜いたことである。理由を尋ねると、腰をかばって座っているからと答えている。豊田はこの洞察力に驚いている。自分にとっては当たり前だからか、小林秀雄はこの件に触れていない。しかし、肝に銘じておかねばならない。批評家に必要なのはシャーロック・ホームズばりの洞察力である。

 小林秀雄は直観的に洞察をしているだけではない。暗黙知を明示知にすることができる。ただし、それを論理的に展開することが苦手である。主観性に基づく告白という批評スタイルをとるからだ。かくして小林秀雄は暗黙知の優越を語る。『高校野球』の中で高校時代の豊田泰光を絶賛した坂口安吾はそんな小林秀雄を「教祖の文学」と批判する。

 彼が世阿弥について、いみじくも、美についての観念の曖昧さも世阿弥には疑わしいものがないのだから、と言っているのが、つまり全く彼の文学上の観念の曖昧さを彼自身それに就いて疑わしいものがないということで支えてきた這般の奥義を物語っている。全くこれは小林流の奥義なのである。
 あげくの果に、小林はちかごろ奥義を極めてしまったから、人生よりも一行のお筆先の方が真実なるものとなり、つまり武芸者も奥義に達してしまうともう剣などは握らなくなり、道のまんなかに荒れ馬がつながれていると別の道を廻って君子危きに近よらず、これが武芸の奥義だという、悟道に達して、何々教の教祖の如きものとなる。小林秀雄も教祖になった。
(坂口安吾『教祖の文学』)

 女のふくらはぎを見て雲の上から落っこったという久米の仙人の墜落ぶりにくらべて、小林の墜落は何という相違だろう。これはただもう物体の落下にすぎん。
 小林秀雄という落下する物体は、その孤独という詩魂によって、落下を自殺と見、虚無という詩を歌いだすことができるかも知れぬ。

 然しまことの文学というものは久米の仙人の側からでなければ作ることのできないものだ。本当の美、本当に悲壮なる美は、久米の仙人が見たのである。いや、久米の仙人の墜落自体が美というものではないか。
 落下する小林は地獄を見たかも知れぬ。然し落下する久米の仙人はただ花を見ただけだ。その花はそのまま地獄の火かも知れぬ。そして小林の見た地獄は紙に書かれた餅のような地獄であった。彼はもう何をしでかすか分らない人間という奴ではなくて教祖なのだから。人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。
(同)

 『スランプ』と違い、その著作に収められた『漫画』というエッセーは、小林秀雄のパンク性を理解していなければ、これまで蓄積されてきた他の批評との整合性を欠くことになってしまう。彼の妹が『のらくろ』で知られる田川水疱の妻だったこともあって、当時害悪と見られていたパンクそのものの漫画に好意的であるだけでなく、一見したところでは、「小林秀雄」のイメージとは違った認識が次のように垣間見られる。

 人を笑うのだけが笑いではない。子供ならみんな知っている。生きるのが楽しい、絶対的な笑いもある。いよいよ増大する批評的笑いの不安と痙攣との中で、この笑いを、恢復しようとしたのが、ディズニーの創作であったと考えてもいいだろう。子供は口実にすぎない。大人もみんな子供である、と言いたいのが彼の真意だと思う。

 かつて、ディズニーの伝記を読んだ事があるが、ミッキー・マウスは、ディズニー彼自身だ。彼は、ミッキー・マウスによって、自分を語った。では、彼は、自分を笑ったのか。まさしくそうだと、と私は考える。漫画家には、愚痴をこぼす事も、威張る事も出来ないから、仕方なく笑ったのではあるまい。彼の笑いは、自嘲でも苦笑でもない。自分の馬鹿さ加減を眼の前に据えて、男らしく哄笑し得たのだと思う。そういう、人を笑う悪意からも、人から笑われる警戒心からも解放された、飾り気のない肯定的な笑いを、誰と頒ったらよいか。誰が一緒に笑ってくれるだろうか。子供である。子供相手の漫画の傑作が、二十世紀になってから、世人の信頼と友情とによって、大きな成功をおさめたのは、決して偶然ではない。
 一般に笑いの芸術というものを考えてみても、その一番純粋で、力強いものは、日本でも外国でも、もはや少数の漫画家の手にしかない、とさえ思われる。今日の文学者は、もう陰気な喜劇しか書かない。それは、皆が思っているほど当り前な事であろうか。

 小林秀雄は、恐ろしいまでに、パンク性に反応する。「ディズニーは、ハリウッドの大立者としては珍しくユダヤ人ではなかった。そしてそのために彼は一つの大家族のようなこの街の社会とは常に一線を画してきた。だが彼は、他のスタジオが作る映画とはまったく違う、アニメ映画というジャンルで、やはりこの三〇年代に、アメリカ映画で確固たる地歩を築き上げたのである」(井上一馬『アメリカ映画の大教科書(下)』)。小林秀雄はほとんど笑いについて書いていない。『漫画』は彼における『薔薇の名前』である。ここでの小林秀雄はほとんどフリードリヒ・ニーチェの永劫回帰を語っている。小林秀雄は「小林秀雄」を超えている。

 積み重ねられてきたイメージに基づくのではなく、いささか洗練されていないかもしれないが、「”生”のフィーリングや”自由”」から小林秀雄を読むとき、オルタナティヴを指向したパンクという姿が浮かんでくる。パンクの持つ荒々しい単純さを基盤に、さまざまな味つけを企てるオルタナティヴが彼の切り開いた文芸批評である。

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