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30過ぎて人生初のデートにいってきた - 2

デートというものはほとんど文化祭である。ある決められたランダムな一日に向けて、昼夜準備に取り組み、そして前日の夜は当日やることに向けて最終確認を行い、当日晴れの舞台では3%ほど残った体力を絞り出しなんとか乗り切り終わる頃には「ああ終わってよかったな」と思うのと同時に花火を見上げて少しばかりのセンチメンタルを感じるような、そんな一大行事である。
世の中の人々はこういった"デート"を重ね重ね、恋といったものを育んでいくのかと思うと私はほとんど気が遠くなる思いがした。

展覧会、カフェの次はさあ野外カーニバルである。
ほとんど虫の息の私といつまで経っても何を考えているのかよくわからないオトさんはカーブの度に悲鳴をあげる不安な電車に乗り込み、一時間程のところにある会場を目指す。

夕方の日差しがゆったりと車内に差し込んでいる。
車内には私たち以外誰も乗っていない。

オトさんはなぜか1席分あけて私の隣に座っている。
つくづく、不思議な人である。

犬猫に「ホラおいで」というときの仕草でポンポンとその謎の1席のシートを叩くと、オトさんはおとなしく私の隣にちょこんと座った。
そして私は図々しくも、うとうとしてたら寝ちゃったってな体でもってオトさんの肩を借りた。
今日までいろいろ頑張ったからちょっと肩くらい貸しておくれ、と私は勝手に自分にごほうびをあげることにしたのだ。
前に酔っ払って悪態をつき介抱してもらった時にも思ったのけど、
この人の身体はいつもいつもあったかいのだなぁ、なんて思っているうちに本当に眠ってしまった。

「着いたよ」

と声をかけられ飛び起きる、ぼやけた頭をふりながら駅に降り立つとそこはすでにカーニバルモードであった。

よく寝てたよ、ほらとオトさんは肩を突き出す、そこには私のよだれが染みを作っていた。
一体私はこの人に迷惑をかけるために生まれてきたのだろうか。

散々謝るが、彼は本当に可笑しそうに笑って、私の手を取った。

人混みをかき分けながら進む彼のずんぐりした後ろ姿を眺めながら、私はラクラク前に進んで行く。

人に手を引かれながら歩く人混みは全然辛くない。むしろなんだか奇妙な安心感でいっぱいだった。

私はなぜか、父のことを思い出していた。

小さい頃から怠け者だった私は時には歩くのが面倒でよく道に転がっていた。
何してんのアンタはまた!早く歩きなさい、と母がいう、
ヤダーとそのまま空を眺めていたらぬっと大きな手が視界に現れて、いとも簡単に私を抱き起こす。それからその手は何も言わずに私の手をとり、それから私はもう自動運転状態で歩き続けることができるのだった。

父の手はふくふくと丸く、
カサカサとしてあたたかく、
この人が私たちを守ってくれているんだなという実感の沸く手のひらだった。

私はすっかり進路をオトさんに預けて、そのまま人混みに流され続ける、
でも全く不安じゃない、
ただの手のひらがこんなに頼もしいなんて驚きである。

手を繋ぐだけで幸せ、
なんて初恋の時以来感じたこともないりぼん的な感情が湧き上がってくる。

私は結構せっかちなのでかつての恋愛では全て自分からどんどん先手を打って事を進めてばかりだったのだが、
私はこの度この人に全ての舵取りを任せてみたいと思った。

なんでもいい、
きっとこのふくふくした手に包まれているだけで、私はしばらくずっとしあわせでいられる。


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