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30過ぎて人生初のデートにいってきた - 1

オトさんと初めて手を繋いだのはカーニバルの夜だった。
私たちはこの日、生まれて初めてデートをした。
ここでいうデートとは、なりゆきでじゃあ呑みに行こうやとか今から来れる?とかといった即席麺のような集まりではなく、一週間前も前に約束して「来週楽しみだね♡」みたいなメールや、あああの日なに着てこうとかそんなこんなで当日は朝からバタバタし「こんな日に限ってなんで吹き出物が!」と自らの肌に呪いをかけながら家を飛び出すようなそんな"デート"のことである。
30年近く生きてきて今時中学生でももう体験済みであろうこのメジャーイベントをこなさないままのらりくらり、一体今までどんな恋愛をしてきたのだと自分で自分が不思議である。

11時に待ち合わせて、デザインミュージアムで開催されていたスタンリー・キューブリック展を見に行く。
キューブリックファンからすると感涙モノのレアなシナリオやコスチューム、全作品の解説やら舞台裏ドキュメントやらてんこもりのこの展覧会、
キューブリック作品は時計じかけのオレンジしか見ていないので、ほとんどファンとは言い難い状況の私であるが、なんとなくオトさんキューブリック好きそうだなと推測した私は売り切れる前に2枚購入し「そういえばたまたまチケット持ってるんだけど」感を捏造したメールを送りつけ、まんまと彼を誘い出すことに成功したのである。

DJのオトさんは、昼間の光に照らされて駅前にポツンと立っていた。

まだ明るい時間にシラフの彼と会うのは初めての経験である。
なんだか初めて会った人みたいだった。

ミュージアムまでの道のりには大きな公園があり、そこでは日曜日の家族や犬たちが走り回っていた。
私たちはスーパーで買ったサンドイッチを片手に歩き回り、オトさんが昔よく家族ときたという公園内の京都庭園を訪れる。
ロンドンの公園のド真ん中に京都風の庭園があるなんて全く謎である。
黒人のカップルが小さな滝の前でウェディングフォトを撮っている横で、様々な国の子供たちがパンをちぎってはしきりに池の鯉を騒がせていた。

なんとなく不思議な距離感でもって歩き続ける私たちは、適当なベンチに座ってサッカーをする子供たちを眺める。

一体なんの会話をしたのかサッパリ覚えていないし、
キューブリック展もにわかファンの私には意味不明レベルのボリュームで、私はただただ隙をみてオトさんの後頭部を眺めていた。
なんだかずんぐりしていて可愛い。

展覧会をひとしきり回った後に、私たちは公園を見渡せる静かなカフェに入った。
展覧会の盛況ぶりとは引き換えに、シンと静まり返ったこのカフェではウェイターたちが忍び足で歩き回っている。
奥のテーブル席では綺麗な服装の中年夫婦が絵のように固まっていた。

私はアールグレイティー、オトさんは水道水。
お茶飲まないの?と聞くと金ないんだ、と笑った。

あの展示はどうだったねこうだったね、と先ほど得たばかりの知識でもってタラタラ隙間を埋めるような私の話を聞いているのかいないのか、
しばらく窓の外を眺めていたオトさんは思い切ったような表情をして、

実はね、俺時計じかけのオレンジしか見たことないんだ。

と言った。

わたしの中になぜか張り詰めていた糸のようなモノがふっと切れた、
それからふたりしておかしくなってしまって、

わたしは「わたしも」と言って笑った。




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