酔いどれ雑記 6 Tenho saudades de Portugal
私は35か国くらい旅をしましたが、一番好きな国は?と訊かれたら迷わず「ポルトガル」と答えます。ポルトガルには4度行きました。うち、初めの3度は2003年のことですから、いかに初めに訪れたときの印象が強く、また気に入ったかが分かるかと思います。
何故私がポルトガルに行こうと思ったか......?きっかけはたんなる偶然みたいなものです。「人はドラマティックな偶然を運命と呼びたがる」と誰が言ったのか忘れましたが、私と彼の国との出会いは偶然でした。
2002年、FIFAワールドカップが日韓合同で開催されましたが、出場国が32か国なのと、ちょうど当時の某地下鉄の駅の数が32だったことに関連付けてのことだと思いますが、某地下鉄の各駅ではそれぞれ出場国に関する展示を行っていたのです。すごく気合の入ってる駅から、ただやりましたという駅まで色々でしたが、私の当時の仕事場の最寄り駅ではポルトガルがあてがわれたようで、沢山の観光局提供のポスターが貼ってありました。それを見て、なんて夢のようにきれいなんだろう......いつかきっと行くぞと思いました。それまでは私は東欧に夢中で、イベリア半島などにあまり興味はなかったのですが......。
ご存じかも知れませんが、東欧には国にもよりますが東方正教会の教会、信徒が多いです。東欧や旧ソ連を廻っているうちに、私は東方正教会の美術に関心を持つようになり、次の旅はエチオピアにしよう、エチオピア正教の教会めぐりがしたい、けれど個人で行くのは困難だと思い、とある旅行社(まずキャピキャピした若者は利用しないようなところです。主な客層は旅が大好きな、勉強熱心で裕福なリタイアした方です)のツアーに申し込んだのです。しかし!ギリギリになっても人数が集まらず、催行不可の知らせが来ました。私はどうしよう、仕事も休みをもらってしまったし、どこかに行かないなんて考えられない......と色々考えましたが、費用もそう変わらず、ちょうど休みをもらった期間にその旅行社で催行決定しているツアーを探していたら、ポルトガル全土を廻るものがありましたので参加を決めました。2003年の2月、3月にまたがる15日の日程で(もし、あの時エチオピアに行かれてたら多分、その後の人生が少し違った気がします)。
ポルトガルは大変すばらしい国でしたーーそしてツアーの参加者の多くは素敵な方々で(確か、私含めて16名という少人数でした。20代は私のみ、その他は中高年の方ばかりでした、添乗員さん以外)......。とにかく良い印象しか私に与えませんでした。イベリア半島の冬、春の初めはそう寒くはないものの、一年で一番雨が多い時期でして、実際何度か雨に降られましたが、雨があれほど似合う街々(とくに北部の街、ポルト)を見たのは初めてで言い知れぬ風情がありました。初めてのポルトガル旅行は、今までの旅行経験でも1、2を争うほど印象に残っています。あまりに惚れ込んで、前述の通りその年にもう2度再訪したほどです(ちなみに以後、もう一度だけ訪れていますが4年後の2007年です)。2度目は一人で、3度目は旅程の一部、旅行関連の掲示板で知り合った女性と旅しました。
↓ポルトの街。ホテルの部屋の窓の下はサン・ベント駅。
↓ポルトガル南部の街、ラーゴスにて。
↓中部の街、コインブラ。
↓機内から見たリスボン。4月25日橋が見える
ポルトガルは好きすぎて、とてもじゃないけれどその魅力やそこで私が出会った人々のことは数千字では書ききれませんので、また別の機会にちょこちょこと書くことにいたします。
数か月前、今生ではもうポルトガル語の勉強はしないだろうと、電子辞書や本をかなり処分してしまいましたが、本当は勉強したいのです......。けれどとても習得できる気がしません。何度もチャレンジして挫折して、忘れてしまって初めからやり直しの繰り返しです、情けないことに。