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私がゴミをあさるわけー強迫性障害のこと<2>


引き続き「私と強迫性障害との30数年にわたるお付き合い(悪縁)」について思いつくまま書いてみます。

これを強迫性障害に分類していいのかちょっと分からないのですが、強迫的な症状であることは間違いないので触れておきたいと思います。私は小6の頃に心因性頻尿に悩まされました。心因性頻尿とは「心理的な緊張状態により、常に尿意を感じてしまい(実際には膀胱に尿が溜まっていなくても)、時に日常生活に影響が出るほどの病気」です。例のごとく、当時は自分の困りごとにそんな病名がついていることも知らず、ただ誰にも言えず苦しんでいただけでしたが......。

私が心因性頻尿になった原因は学校でのいじめと、それに追い打ちをかけた母です。以下、私が子供時代に受けた虐待の中でもワーストクラスの内容で、かなり胸くその悪い、人によってはフラッシュバックが起こりかねないような記述が続きますので、大丈夫かどうか自信のない方は読み進めないことをお勧めいたします。

忘れもしません。あれは修学旅行から帰ってきた日のことです。電車を降りて駅から全員でぞろぞろと学校へ向かい体育館に集められて、校長の「無事に家に帰るまでが修学旅行云々」などという長話を聞かされてから解散、帰路につくというのが昭和時代の習わしでしたが(今でも?)、私は体育館に入る前に尿意を催し、教員にトイレに行きたいと訴えましたが「我慢なさい。後にしなさい」と言われ、いじめグループの複数の子からも「さっさと(体育館の中へ)行ってよ、邪魔」と蹴飛ばされたので仕方なく我慢することにしました。そのあと何が起きたかはもうお察し......かと思いますが私は長話の間に失禁してしまったのです。慌てて保健の先生が駆けつけてすぐに保健室へ連れて行ってくれたのですが、前の方にいたのもあり、騒然となったので多くの子供たちにも先生たちにもバレバレでした。私は「このことで明日からクラスの子たちにさらにいじめられる」と思うより前に「母に知られたら何を言われるか分からない、怖い」と思いました。優しい保健室の先生はきれいにしてくれて、新しい下着を渡してくれ、濡れたズボンと下着は軽く洗って袋に包んでくれました。私は旅行1日目に穿いていたズボンに穿き替えて母を待ちました。母は先生が呼んだのではなく、修学旅行帰りということで子供を学校へ迎えに来ていた沢山の保護者のうちの一人として母もいただけのことでした。

母に一体何を言われるかと思うと私は生きた心地がしませんでした。保健の先生は母に「生理現象ですので、叱らないであげて下さい」と優しい口調で言ってくれて、外面のいい(つもり)の母は「はい、分かりました」などと答えていました。

家に帰って、どんなひどい罵声を浴びせられるかと帰り道、動悸が止まりませんでしたが家に着くなり母は「今から○○薬局(近所のなじみの個人商店)行ってナプキン買ってくるわ!ちょっと待ってて」と何故かご機嫌でした。私は混乱し、え、ちょっと待って、違うよ......母は先生の言った「生理現象」を初潮のことと勘違いしてるに違いない、どうしよう、そうじゃなくてって早く言わなきゃ......とあたふたしているうちに母は出かけて行きました。考えてみれば不思議でした。修学旅行の事前説明に女子は生理用ナプキンを必ず持ってくるようにとあって、当然私もリュックに入れていましたし、それは母が買ってきたものでした。母が初潮と勘違いしたとしてもわざわざ薬局に改めて買いに行く理由などないと思うのです。私はいよいよ訳が分からなくなってしまってパニック状態で母の帰ってくるのを待ちながら、いっそ母が勘違いしているように初潮が来たということにしてしまおうと考えつき、母が帰ってくる前に下着とズボンを洗濯機に押し込みました。母が帰ってくるやいなや「そういや汚れたパンツどうした?」と訊いてきたので、洗濯機に入れた......と答えたとたん母は洗濯機からズボンと下着を取り出し「真相」に気づくと「お前、とんでもねぇ大嘘つきじゃねぇか!生理じゃなくて漏らしたのかよ?だましやがって!人をバカにするのも大概にしろよな!」と恫喝が始まりました。私は初めはウソをつくつもりなどなかったけど、どうしていいか分からないまま事が進んでしまい、ウソをつくことにしようとしたのは事実ですが、いくら何でもひどいと思いませんか?勝手に勘違いしたのは母ですし。母は経緯も聞こうとせず、ただただ怒り狂い、しまいにはいつものようにもはや何が理由で怒り始めたのか、もはや母自身分からなくなっているという状態でした。

そしてこの話はそれだけでは済みませんでした。母はことあるごとにこの一件を脅しのネタに使ったのです。「言うことを聞かないと漏らしたことお父さんに言うよ!」と。父に知られたところで「何だお前、小6にもなって情けねぇな(笑)」と言われる程度のことで済んだとは思うのですが(それも十分ひどいですけど)、とにかく思春期の女児からすれば男親にそんなことを知られるのは絶対に絶対に嫌で、避けたいところでした。それに「言うことを聞かないと~」などと母は脅しましたが、わざわざ脅さなくても私が母の言うことを聞かなかったことなどありません。母に口答えしたところでいいことは1つもありませんでしたから。

とにかく学校で漏らしてしまったことと、それを母に脅しのネタにされたことで私は心因性頻尿になってしまったのです。残尿感が常にあるのに、実際にトイレに行ってもちっとも出ません。本当に気持ちが悪かったです。膀胱炎になったことのある方なら「ああ、あの症状か」ってお分かりかも知れませんが、とにかく膀胱が気持ち悪いんです。それにまた漏らしたらどうしようと常に不安でたまらず、授業中何度も「お腹が痛い/吐き気がするのでトイレに行きたい」とウソを先生に申し出ました。その度にクラスの子にからかわれたり笑われましたが、また漏らして恥をかくよりマシだと思って耐えました。もちろんトイレに行っても何にも出ないのですが......出ないのは分かっていても漏らしたらどうしよう、どうしよう、ひたすらその心配で一日中頭が一杯でした。休日に父と出かけるときも同様でした。電車に乗って出かけることが多かったのですが「お腹が痛い」とウソをついて途中下車しては駅のトイレに何度も行きました。そして電車に乗って出かけるようなときには、漏らしてしまうのを恐れて、皮肉にも修学旅行に持って行ったナプキンやあの時母が買ってきたナプキンをおむつ代わりのようにして当てて行きました。まだ初潮も来ていなかったのに......。もちろん、漏らしたことなどはなかったです。だって尿意はあるけれどもほとんど出ないのですから。対策の一環として水分も極力取らずにいて、今思えばあれは脱水症状になりかけてたのでは......という症状にも見舞われました。

心因性頻尿は結局、半年くらいで治りました。きっかけは思い出せませんが、もしかしたらあれかな?ということはありました。当時私は合唱クラブに入っていて、秋に発表会がありました。その会場へは電車で移動だったのでいつもするようにナプキンもつけて、さらに万が一漏らしても隠せるようにと腰に巻けるようなカーディガンも持参し万全の態勢で臨んだのですが(仮病を使ってサボろうという発想はなかったのが私の無駄にマジメなところです)、何故か不思議とその日はいつものように尿意を催さなかったのです。そのことで自信がついたのか、以後段々と気にならなくなりました。

以上、まともな親から育てられた方には信じがたいような話だったかと思います。「心因性頻尿」と検索すると候補に「子供」と出てきますが、かつての私のように悩んでいるお子さん本人より、親御さんがお子さんを心配して調べているのだろうなと思いますが、子供が心因性頻尿になったのは自分が原因なのにそれに気づかず「またトイレばかり行って!」などと叱責する(毒)親も沢山いるのだろうと思うと.......。

強迫性障害とその周辺の話、まだまだ続きます。