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「常識」の弊害

常識は自分を守るものでもあるが、一方で自分の成長を阻害するものでもある。これは体全身に巻き付いた鎖に例えることができよう。自分の体にある鎖は、相手からの攻撃を防御することも、鞭のように使って攻撃することも可能である。しかしながら、自分が「ほかの武器を使いたい」「身軽になりたい」と思ったときは鎖が邪魔で思うように変われないだろう。

周りにある常識は自分を「嫌われる」「変だと思われる」という攻撃から身を守ってくれるだろう。そして、その常識を「マナー」として利用すれば、相手を攻撃することもできるだろう。しかしながら、「成長したい」「新しくなりたい」と思った場合、常識からは罪悪感が生まれ、「人から嫌われるのではないか」と感じだし、成長や変化を阻害する。

もちろん、人に危害を加えるという常識、迷惑をかけるという常識は必要であろう。しかし、世の中にはどうでもよい常識もあまたに存在するのである。

情報化が進んでいる現代社会では、人類の歴史上最も変化の激しい時代と言われている。変化は必ず必要な時代なのだ。

中国の戦略家の孫子曰く、「水のように、無形で、勢いよく行動しなさい」(1)らしい。孫子に影響を与え、孫子の戦略に大きな影響を与えられた老子も、「やわらかい枝は、硬い枝よりもよっぽど強い。」「弱いものは本当は強いのだ」(2)というようなことを言っている。

常識は我々を硬い枝にしているであろう。本当に強い立派な存在になりたければ、体に絡まっている鎖を自覚し、硬くなっていることを認識し、柔らかく、水のようなものを目指す必要があるだろう。

(1)『真説 孫子解読2.0』奥山真司
(2)『老子』蜂屋 邦夫

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