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地方自治政策を考える3つの視点〜国際関係論からのアプローチ〜

先日、政党の交流会(勉強会)でベッドタウンについて触れる機会があった。
ベッドタウンとは、都市部に仕事へ行き、郊外で寝に帰るという生活スタイルが定着している現代では、寝に帰る場所(市町村)として各地で言われている。
そこで、市町村の政策として、「ベッドタウン化(特化)するべきか」「脱ベッドタウンするべきか(ベッドタウンしないべきか)」という争点が存在するらしい。
そこで今回は、この論争をぐっと視点を引き、マクロの視点から考えてみよう。
だがまず初めに、この理論の試みは欠点だらけであることを承知いただきたい。とても学術として出せるものではないかもしれない。よって、娯楽的に「こういう考え方があるんだ」「面白いな」くらいの感覚で眺めてもらえれば幸いだ。

3つのマクロ的視点

物事を考える大枠として、理論を用いたほうが良いため、今回は国際関係理論を出発点に考えてみる。

国際関係理論には大きく分けて3つある。一つ目がリアリズム、2つ目がリベラリズム、3つ目がコンストラクティビズムだ。順に説明しよう。

①リアリズム
この理論では、国家が「他国に侵略されて、滅亡させられるのではないか」という不安や恐怖を感じ「生き残り」のためにパワー(主に軍事力)を拡大させる。このように国際情勢を理解する。
前提としては、トマスホッブスの「生き残りのために他者を殺して、略奪する状態(万人の万人に対する闘争)」が想定されている。
そして、リアリズムはこの万人の万人に対する闘争状態がずっと継続していき、やがて戦争が勃発するだろうと考える傾向にある。

②リベラリズム
この理論では、国家や組織(NPOなど)が共通の正義や倫理、道徳に基づいて互いに交流し、国際法を作って枠組みを形成するなど互いに影響を与え合う。このように国際情勢を理解する。
前提としては、ジョンロックの「所有物は自分の体と自分が行為した対象にあるため、モノを奪うなんてことはない。だけど、奪うような愚か者がたまにいる」ということが想定されている。
そして、リベラリズムはこの互いに影響を与え合う関係が変化していき、やがて平和が訪れるだろうと考える傾向にある。

③コンストラクティビズム
この理論では、国家や組織が独自の思想、文化、正義、自己(アイデンティティ)に基づいて関わり合い自分に最適な利益のために行動する。このように国際情勢を理解する。加えて、他国との交流によって「自国はどのようなアイデンティティを持っているのか」「自国の立場はどのような位置を占めているのか」を認識し、「自国の利益は何か」を考え、自分の利益を達成するために行動する。
そして、コンストラクティビズムは時に戦争状態になり、時に平和状態になるだろうと考える傾向にある。

国際関係論から地方自治論へ

まず前提として、この国際関係論を地方自治論へ変換することが必ずしも好ましいわけではないことをとどめておいて欲しい。なぜなら、国際関係と国内関係では状況が異なるからだ。大きな違いとしては、アナーキーであろう。
国際関係では、国の上司が存在せず、国の問題ごとでも権力を振りかざして鎮圧することができない。いわゆる「無政府状態」である。
一方国内関係では、地方自治体(都道府県市区町村)の上司が存在しており(国家)、地方自治体の調整(主に総務省が行う)などを国家が権力を使って行う。
他には、国内関係でアクター(行為主体、この場合は地方自治体)が軍事力(強制力)を持っていないという点も重要である。
この違いは大きい。もしかすると、現実とは乖離した主張をしてしまうかもしれないがご了承いただきたい。

では、この3つの理論をもっとミクロな次元に適応してみよう。
①リアリズム
地方自治体の生き残りのためにどの武器を使い、どれだけ人口を他の自治体から奪うことができるか。(裏切り戦略)

②リベラリズム
調和のために、いかに枠組みを作って、どれだけ他の地方自治体と協働できるか。(仲良し戦略)

③コンストラクティビズム
そもそも、自分の地方自治体は何を基準にして、何を大切にしてきたいか。それを他の自治体とのコミュニケーションによって自覚していき、政策に反映させる。(最適戦略)

具体的な説明は後で記述する。

実現するためのツール

ではこれらの思想を実現するためにはどのようなツール(考え方)が必要だろうか。順に説明する。

①リアリズムを実現するための「総合安全保障」

総合安全保障を安全保障学から軽く定義するならば、「国民を国内外からの軍事的・軍事的脅威から守るために非軍事的手段を最大限活用する政策」としておこう。
つまり、国家は国内からの脅威、国外からの脅威、軍事的な脅威、非軍事的な脅威から国民を守るために政策を頑張るという考え方だ。

これを地方自治に変換させるならば、
・国内の公害や環境問題からいかに市民を遠ざけるか。
・不満を最小限に抑えて首長自らの政権安定性を保つか。
・他の地方自治体に一部を依存しており、その他の自治体が財政難などで危機に瀕した際に、自分の地方の国民を守れるか。
・災害、テロ、感染症、軍事力を使った侵略に対処し、国民を守ることができるのか
このようなことが挙げられるだろう。

近年では、新型コロナウィルス感染症拡大によって他県との移動が禁止され、経済・社会が滞ってしまった。この影響で悪影響を受けた自治体を多いのではないだろうか。このようなリスクの基では、それに対策できる「生き残り戦略」が最適なのである。
(※国際関係において、リアリズムは軍事を中心とした理論であり、総合安全保障は非軍事を中心とした考え方であるため、必ずしもイコールにならない)

②リベラリズムを実現するための「協調的安全保障」

協調的安全保障を安全保障学から軽く定義するならば、「敵も味方もあいまいでわからない情勢において、すべての国をグループに参加させ、制度を使って武力行使を防止・限定、平和な解決をするための体制・政策」としておこう。
つまり、敵味方が分からない状況では、とりあえずグループを作って皆を参加させ、戦争状態にならないように調整するように頑張るという考え方だ。

これを地方自治に変換させるならば、
・多くの場合、地方自治では他の自治体と喧嘩状態になることは少なく(複数の地方自治体にまたがる資源の問題は含まない)、敵味方などはほとんどない(所属政党による対立は含まない)ため、最適な考え方だと言っていいだろう。
・道州制を作るなどして枠組みを作り、地域的に地方衰退、高齢化、人材の呼び込みを考える。
・他の自治体に悪影響が及ぶ政策は、その自治体と相談しあって調整する。

このようなことが挙げられるだろう。

政党の勉強会で挙がった意見の中に、「日本経済は横ばいか、停滞の状況だから、地方自治体は今ある資源のπを取り合って、互いに削り合って政策を行っている。道州制などの地域間枠組みが大切ではないか。」と言う意見が出た。まさにその通りであるし、これは協調的安全保障の考え方に似ている。

③コンストラクティビズムを実現するための経済成長論(マクロ経済学理論)
経済成長論を経済学(マクロ経済学)で定義するのであれば、「経済が財・サービスを生産する能力を増加させるためにどのような政策が適切なのかを考える理論としておこう。
つまり、どうやったら生産性を上げることができるのかと考えるものだ。

この理論から考えると、成長成長(生産性)は3つの要素から考えることができる
①物的資本(労働力を持つ人がどれだけいるのか。生産機器がどれだけあるのか)
②人的資本(イノベーションや新しいシステムの構築ができる知識人がいるのか)
③技術進歩(効率的に生産する機械があるのか、管理するための知識が定着しているのか)
この3つであるのだが、本記事では物的資本→量、人的資本・技術進歩→質として2つにわけよう。

ではどれが最も必要なのだろうか。
結論を先に言えば、初期では量が大切で、量が潤った中後期では質が大切になるということだ。
最初は量を大切にすればするほど生産性は上がっていく。しかし、やがて量があまり効果を発揮しなくなる「物質資本に関する収穫逓減」効果が確認されている。そして、さらなる成長のためには質を大切にしなければならなくなるのだ。
つまり、最適な戦略は量→質と言うことになる。

これをこれを地方自治に変換してみよう。

基本的にコンストラクティビズムの考え方はリアリズムとリベラリズムの折衷案の様なものなので、「コミュニケーションを行い、自分の利益を認識し、利益のために実行する」という理解でよいだろう。
だとするならば、各地方自治体は他の地方自治体とのコミュニケーションによって、「自分は何が必要なのか」「自分の利益とは何か」「何を基準に政策を行うのか」を自覚していく。その時、何が必要なのかは大きく2つに分かれるだろう。
そう。量と質である。
量と言えば
・流入人口
・産業流入
・利用できるインフラの量
など、市内のπ、分母を増やす要素である。(マクロ経済学の考え方に近い)

対して質と言えば
・暮らしやすさ
・福祉政策
・規制のなさ(自由度)
・利用しやすいインフラ
など、市内のπ、分母が固定された状態でベターにする要素である。(ミクロ経済学の考え方に近い)

例えば、他国と比較(コミュニケーション)し、「市内に土地がない」となった場合は質重視の政策を取ればいいし、「開発できる場所がまだある」となった場合は量重視の政策を取ればいいだろう。

結局何をすればよいのか

では、ここまで3つの理論を基に「こうすればよい」ということを書いてきたが、結局はどうすればよいのだろうか。

結論を言えば、どの分野はリベラリズムがふさわしいのか、どの分野はリアリズムでもいいのかを考え、バランスよく考え方を利用する必要があるだろう。

この世はリアリズムだけで成り立っているわけでも、リベラリズムで成り立っているのでもない。混合した状態で成り立っている。一人で生きる「自助」の力も必要だが、人は組織や社会がなければ生きていけない。つまり、「公助」「互助」「共助」も必要なのである。(ウルリッヒベックも個人が組織の庇護範囲から離れていく現代を問題としている)
自分でしなければならない部分は自分で頑張り、人に頼っても被害がない部分は人に頼ればいい。そう私は考える。

ベッドタウン化政策はどうあるべきなのか

では、本記事の最初の問いに戻ろう。
結局ベッドタウンに特化した政策にすべきなのだろうか。
私はベッドタウン化で生き残れるのか、社会秩序が不安的にならないのかを考え、他の自治体の影響を考慮したうえで、自分の利益と思える最適な政策をすればよいのではないかと考える。

結論っぽい結論ではないが、私はそう結論付けておこう。


参考文献
ジョセフ・S.ナイ ジュニア , デイヴィッド・A. ウェルチ田中 明彦村田 晃嗣 訳(2017)『国際紛争 -- 理論と歴史 原書第10版』有斐閣
ジョン・J・ミアシャキマー.奥山真司訳(2019)『新装完全版 大国政治の悲劇』五月書房新社
大澤 真幸 (2019)『社会学史』講談社現代新書
吉川 直人野口 和彦 (2015)『国際関係理論 第2版』勁草書房
防衛大学校安全保障学研究会武田 康裕神谷 万丈(2018)『新訂第5版 安全保障学入門』亜紀書房
ポール・クルーグマン . 大山 道広 訳(2009)『クルーグマンマクロ経済学』東洋経済新報社
ウルリッヒ・ベック島村 賢一 訳(2010)『世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊』ちくま学芸文庫

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