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自分と他人

最近、新しい人達とコミュニケーションをとる機会がありました。

それぞれグループに分かれて、他己紹介なるものをしたのですが、これがまぁとても疲れました。

INFJあるあるかもしれませんが、個人で話すのは割と得意(?)なのに、三人以上になると途端に話せなくなります。始めは会話に参加しているけれど徐々にフェードアウトしていく。

相槌しか打てなくなるんですよね。何か話そうとしても他の方に遮られたり、そもそも返しの言葉が思い浮かばなかったりで、相槌とかそうですねとか当たり障りのないことしか返せません。

なので人からは、おとなしい人とか何考えてるかわからない人っていう印象をつけられがちでした。わたしからしてみれば、場の雰囲気を壊さないように相手の求めてるであろうリアクションをとってその場にふさわしい相槌を打ってどうにか嫌われないように人から好かれるようなコミュニケーションをとっていたのに。

所詮、都合のいい自分の意見が言えないよくわからない人になってました。


多分、何か話しかけても会話が続かなかったり気まずい空気になりやすいから、他の人達みたいに楽しくお話しできないし、話しかけずらいんだと思います。相手の表情とか反応を分析して、わたしと話すの楽しくなさそうだな〜とか勝手に思っちゃってます。


周りから弾かれないように必死にコミュニケーション(?)をとっている時間はとても苦痛でした。そもそも、共感できる話題が少ないのとその話題に興味がわきません‥‥。
世間で人気のあるバンドとかゲームとか、ライブやフェス、YouTuberとか聞いたことはあるけど語れない状態なので会話にも入れず、興味のない話題を話されてもつまらないだけで。

他人ってこんなことに興味あるんだ〜、自分は全然ないなって思って少し悲しくなりました。

一対一なら色々質問したり教えてもらうことでなんとかやり過ごせるけど、グループになると共通な話題がある人同士でどんどん話が進んでいくから付いて行けず、ポカーン状態になります。

まず、流行りとか誰でもやってることをやってこない人生だったので、ここで興味をもてと言われてもまず無理でした。家にはDSしかなかったし、有名なのはどうぶつの森とニンテンドックス、たまごっちくらいしかやったことがなく、なんならサウンドノベルをやってました。ポケモンはかろうじてやったことあるけど名前までは流石に‥‥。

休日は部活に行ったり、家族と遠出してドライブしたりすることが好きだったので、そこまでゲームもしないし、音楽は洋楽が好きだったし、熱く語れる趣味もない人間だったので、そりゃ他人と話題が合わないわけだと思いました。アニメや漫画は好きだけどオタクと言えるほど詳しくもなく。

例えハマってる趣味があっても、他人からしてみれば共感しずらいものだったりで、わたしってきっと誰にも共感されないつまらない人間なんだなって思いました。(散歩とかカメラとかハンドメイドとかホラーが好きとか)

会話の時は圧倒的に聞き役に回ることが多くて、楽なのもあるのですが、他人が何を考えてるか興味があるのでまず相手の話を聞きます。そこから、気になったことを色々質問してこの人はどんな人なのか情報収集してる感じです。

自分が話している間は、相手の反応とか表情とかを気にしながら話しているので、なんだか落ち着かずソワソワしてしまいます。笑

わたしは決して自分の話をしないわけではないのですが、高校生あたりから人との距離感みたいなものに悩まされていました。
元々、聞き役気質のあったわたしは他人からあまりよく思われないような子に好かれることが多く、大体の子は自分の話ばかりする子達でした。わたしが自分の話をし始めると、「ふーん」とか「へー」とかスマホを見ながら適当に相槌を打たれていたので、わたしの話ってどうでもいいんだ。興味ないんだ。と傷つき自己嫌悪に陥るようになっていきました。
きちんと話を聞いてくれる友達もいたけれど、傷ついていたわたしは「きっとこんな話をされてもどうでもいいよね」とすぐ話題を終わらせてしまっていました。だから、誰にも心を開けず友達はいるのに常に孤独でした。

自分が傷つきたくないから聞き役に回るコミュニケーションを続けていたら、自己主張ができなくなりました。自分の話をするのが怖かったんです。もともと口数は多くなく、内向的な性格だったわたしはさらに無口になってしまいました。


趣味の話で盛り上がれる人達を羨ましく思う反面、わたしって同じ趣味を語れる友達って少ないな、あれ、それじゃあ何を話してるんだ?って疑問に思ったんです。

わたしは、初対面でも自分から話にいけるタイプなので、その時にフィーリングがあった人と今も繋がれてるんだって。趣味が全く違う友達の方が多くて、ほんと何話してるんだろって不思議に思ってます。笑

話すこと自体が目的じゃなくて、その人に会うことが目的になっているので、会話なんてどうでも良かったりします。会いたいから、会う。それだけでした。


この年になってもまだ学校という社会が嫌いで、居場所がなくて、休み時間が怖くて大人になっても変わらないな〜と悲しくなりました‥。


だけど、そんな自分を素敵だ、会いたいって言ってくれる人も少なからずいるので、そんな自分を受け入れられるようになってきました。

他人のために自分を変えるんじゃなくて、自分のために自分であることを受け入れようと。
もう他人のために自分を変えなくていいし、ダメだと思ってる自分を受け入れてくれる人もきっといるから。
そんな自分を魅力的だと感じて関わってくれる人もいると思うから。
だから、もう自分を責めたり悲しんだり変えようとしなくてもいいんだって。

そう思えたら一気にスッキリしました。


自分を受け入れてくれる存在って本当に貴重だし、ありがたい自分の居場所です。




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