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#15 戦い

「でめきんやーーー!目でかっ! 

 わはははははーーーーー

 けいに似いちょうにゃあ

 おまえ、でめきんって名前に変えれ

 でめきんー、でめきんーーーーー!! わははははーー」


金魚を見ると思い出す

小さい頃から男勝りだった私は

いじめられたことはない


それどころか

宿題ができずに泣いている男子が先生に怒られないよう

休み時間、勉強を教えたり


いじめっこの男子にムカついて

掃除用具からホウキを引っ張り出して追いかけたこともある

先生が止めなかったら、本気で殴ろうと思ってた


先生にはよく、「松永、話を聞いていない」と注意された

聞いていたので、話の内容を答えると、今度は

「そういう問題じゃない」と言われて、廊下に立たされた


廊下でヒマなので

バケツに水を入れて振り回したら

びしょ濡れになって、また先生に怒られた


そういえば、小学校の頃は、お母さんと同じ学校に通ってたな

お母さんは学校で出会っても

私のことを知らない子のように扱った


「お母さーん」と呼ぶと怒られたし

「あんた、恥ずかしい」とも言われた


小学校の頃は、まだ純粋だったから

お母さんと同じ学校で嬉しかったし

家では忙しそうだから、学校で話したいなとも思っていた


だけど、やたらと人目を気にする母は

学校で親子が話をすることは「特別扱い」だ

「先生と呼びなさい」と言って、私を相手にはしなかった

そして、他の子ども達には、とっても優しく接しているように見えた


私は先生達からは、”面倒な子ども”という扱いを受けていたが

友達からはなぜか人気があって

いつも男女が何人も、私の周りにくっついては群れになる


坂道を自転車で駆け下りて

最初にブレーキをかけた人が罰ゲーム

いわゆる、チキンレースをしたり


ダンボールを持って山に入っては

みんなで崖から滑り落ちて

ズボンは破れ、泥だらけ、傷だらけで帰って来るので


大人からは、”たけし軍団”のように厄介な集団だったのだろうと思う


話は戻るが、私はいじめられたことはない

私に「でめきんーー」と言って笑うような人は、お兄ちゃんだけだった


いつも膝を立てて座る、行儀の悪い妹に

「下品やから、げひ子な」

「おまえ、ひげ生えちょうけん、ひげ子に名前変える」

「野球するけん、ひげ子は外野やれ」

「おまえは潜るの下手で足手まといやけん、海にはついて来るな」


兄にだけは、散々悪口や使いっ走りをさせられた

腹が立って一生懸命言い返すけど

最後には兄の笑い声に負けて

口ひげの生えた自分を想像して、笑ってしまう


金魚を見ると思い出す

兄には、何をしても勝てなかった幼い頃を

兄を追い越したくて、必死で追いかけた背中を


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「お父さん、でめきん買って来たよ」

金魚鉢に入った、真っ赤なでめきんは

殺風景な病室に、色を刺す


漆黒の死神に対抗するものは

反対側の朱赤

鋭い相手には、まあるく対抗するスベを

いつの間にか身につけていたのかもしれない


お父さんは、もうほとんど返事をしない

でめきんを見たのかどうかもわからない

プーの時のように、大きな声でも怒らない


私は闘っていた

でめきん、私の代わりに、癒しや涼しさ、夏の季節の思い出を

父に届けて。頼んだよ


毎日、病室に足を運んだが

次の日には、でめきんは死んでいた


「何で死ぬの!?」

水草を増やしたり、ブクブクを入れたり、水を変えたり

あれこれと環境を整えて

もう一度買ってきても、何度買ってきても


でめきんは、次の日には死んでいた


何で死ぬの!!!!


父はでめきんが死んでいることにも気づいていない

そんなことよりも

私は死神に勝てないのではないか


余裕で立ちはだかる姿が

憎くて、憎くて、悔しかった




忙しい時に限って、子どもは熱を出すものだ

こんな言葉を聞いたことがある


父の容体が変わった日、ソウタが熱を出した


その頃、父の高校の生徒が起こした事件が、警察沙汰になっていた

入院中であるとはいえ、父は名実ともに校長だ

携帯は鳴り止まず、病室にもたびたび関係者が来ていた


やっと一段落ついたところで

「ちょっと、寝る」

父はそう言って、起きなくなった


異変に気づいたのは、母だった



















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