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私たちはいつも、幸せと恐怖の狭間で生きている 幸せになりたいと願いながら 隣に見える恐怖に怯えては 掴み取る勇気を失って、誰かの何かのせいにする 幸せとは命が生きている時だ 大切な人の命が危険にさらされた時 私たちはようやく 幸せはそこにあったことに気づく なくなることを受け入れざるを得なくなった瞬間 やっと私たちは 一生懸命、すなわち命を懸けることを始める それは、過酷で苦しいけれど 決して遅かったということはない なぜなら、幸福と恐怖は表裏一体だから
父とだけは、竜馬の話をしたことがある その頃、NHKでは”新撰組”を放送していた 父はおっさん特有の歴史マニアだった 竜馬と新撰組、太平洋戦争や明治維新などについて 2人で好きなようにしゃべりまくった その会話は多分、噛み合ってない 「今度、赤ちゃんができたら、私が名前つける ”リョウ”って名前にするが」 「竜馬の”リョウ”か、おまえが考えそうな名前や もし女やったら、おりょうの”リョウ”やな」 全てを説明しなくてもズバリ、確信をついてくる 父との会
私は高校三年生になった 相変わらず、好きな時間に学校へいき 面倒くさいと授業をサボって 気が向いたらクラブへ顔を出すという 適当な毎日を送っていた 年度はじめには 転勤した先生と、新く赴任してきた先生の 入れ替わりが少なからずあって 離任式という儀式がある この春は、新しい生徒指導の先生がやってきた 体育専門で、柔道部顧問、ガタイがよく、角刈りで ジャージのくせに腕にはロレックスが光っている どう見ても、あっちの世界の人ではないか 前任校は有名なヤン
お葬式から二日後、面白い話を聞いた うちの斜め向かいには、郷土料理屋さんがある 瓦屋根の立派な門がまえの料亭で 四万十の海の幸、山の幸が豪快に彩られた生きた料理は 命をいただいているような、、ありがたい気持ちになる その料亭の奥さんが訪ねて来た どうしても話したいことがあるというので 私も気になって聞いていた 「松永先生は、ずっと入院されていたんですよね? つじつまが合わないんですけど 私、一週間前に松永先生を見たんです」 何を言っているんだろう?人
そして、私たちは家に帰った ソウタ、久しぶりにソウタを抱いた気がする ソウタはじいちゃんとお別れをすることができたのだろうか? 出棺のとき、ソウタが 「じーちゃん!」 と叫んだと誰かが言っていた 私にも、その声が聞こえたような気がする ソウタ、あなたがどれほどおじいちゃんに愛されていたかを伝えなくちゃね あなたがママのお腹にいる時 パパはその子に「ソウタ」という名前をつけた パパが昔、留学していた ニュージーランドの青くて大きな空を想って、つけたんだって
しばらく黙って考えてみた 何も言わず、この2ヶ月、ずっと側にいてくれた夫 人手が足らず、買い物や掃除、家事、育児 お客さんの相手まで、そつなくこなしてくれた 松永家の親族として、長女の夫として いろんな気配りをしながらふるまってくれた 彼なりにたくさんの想いがあって それでも冷静さを保っていたのかもしれない やっと終わった やっと義父を偲んで、気を許していい時が来たのだ 私が初めて、夫を家族に紹介しようと実家に招いた日 父は 「会いたくない」 と言っ
何度、お辞儀を続けただろう 見たことのある先生、顔にハンカチを当てた女性 まだ高校を卒業したばかりらしい、金髪の男の子達 目には涙を浮かべている 遠方から駆けつけてくれた友達 父の元で練習に励んだ野球部員達 近所のおっちゃん 「校長先生・・・」 と、つぶやく女子高生 それにしても、最後尾が見えてこない さすがに足元がふらついてきた その時、一人の女性がジンに声をかけた 見覚えのあるその顔は、確かジンが高校3年生の時の担任の先生だった 「ジン、大変やっ
次の日、早朝から着付けとヘアセットが始まった 私は突っ立っているだけだけど ボーッとしていると、成人式のことを思い出した 「何色の振袖が着たい?」 と聞かれたので 「黒」 と言った 大人ぽくて、怪しげで、かっこいい 憧れたからだった 母は猛反対して言った 「黒はこれからなんぼでも着れる それに、そんなにええもんじゃない」 結局上から下まで真っ赤っかの いかにもめでたい振袖に決まっていた 次々に装着されていく、憧れていた黒い着物 帯も、帯揚げも何
お風呂に入れてもらって、スーツを着た父は 喜んでいるように見えた 遺影の背景には、父の愛した黄色い小菊を選んだ 木や花が好きな父は、様々な植物を育てていた 何がおもしろくて、どこがキレイなのかずっと興味がなかったけど 去年の秋、父が手掛けた生涯最後の大輪菊はみごとだった 菊の花びらが天を射していることにはじめて気がついた 葬儀屋は職人だ みるみるうちに祭壇が出来上がっていく 棺桶に入ると、父が寂しがっているような気がした お通夜とは、何をするものなのか、私
私達とほぼ入れ違いに 父の弟夫婦が、大阪から高知にお見舞いに来たそうだ 父は実の弟の前で、立ち上がったり、字を書いたり 元気に振る舞って見せたらしい 「夏には高知に帰るから」 そう言っていた弟をずっと待って ちゃんと待って、それから逝ってしまった 「あと1、2日かもしれない」 連絡を受けて、すぐに高知へ向かったけれど 父の最期に私は間に合わなかった そうとは知らず、とにかく家に直行してみると たくさんの車が止まっていた 不思議に思って玄関を開けると、叔
連日の付き添いで、家族に疲れの色が出てきていた 無理もない もう1ヶ月以上、母は適当な食事でゆっくり休めていない 仕事にも合間に行っている 文句一つ言わず、夜の部を担当していた兄も さすがに寝不足のせいでイライラが見える 「またオレか・・・」 兄と交代で夜の部を看ていたジンは 一段と文句が多くなった 「オレは忙しいがよ」 この春から仕事を始めたばかりのジンは 新米教師4ヶ月目、恐ろしく忙しいだろう だけど、どうしようもない やめたいとは言わない み
母は何も答えらえれず、涙が止まらなかったそうだ そんなこともあってか、付き添いは母でないと嫌がるようになった ソウタも順調に良くなって、私も3日程で元気になったので ソウタを夫に任せて、父の付き添いをすることもあったが 1時間もすると 「お母さんに電話して」 と必ず言い始める 一応電話はするのだが、母は戻ってこない 母もゆっくりご飯を食べたり、持病の治療に行ったり 何かと済ませておきたい用事もあるだろう だけど、2時間が限界だ 「はよう帰って来いって言え
母とソウタは小児科へ、私は内科へ 何時間か待たされたのち、風邪だろうというありきたりな診断で 点滴を打ってもらい、お昼を回ってしまった 「お母さん?ゴメン、遅くなった。今どこ?」 「けい、終わった?今、ソウタと4階の小児病棟にいる 実は、ソウタ、入院になって。とにかく来て」 「え・・・・?!ウソやろ・・・」 ソウタは風邪をこじらせて、クループという病気にかかっていた 乾いた、高い声の咳が特徴で 夜になると特にひどくなるので入院することになったそうだ 小さ
8/1 AM5:00 母からのメール お父さんが眠りから覚めん、心配です、熱もある 様子を見るということで、心電図をつけています 病院へ向かう途中、高鳴る心臓にゆっくりと空気を送り込む 「ふうーーーーーーーー」 落ち着け、大丈夫、大丈夫、、、 「お父さん、お父さん」 呼びかけると 「ん?」 返事をした。 目は開けないが、寝ているだけだろう、そう言い聞かせた 「疲れが出たがやろうかね、ちょっと忙しかったもんね」 母はまだ心配そうに言った このところ、