見出し画像

#18 ひととき

母は何も答えらえれず、涙が止まらなかったそうだ


そんなこともあってか、付き添いは母でないと嫌がるようになった

ソウタも順調に良くなって、私も3日程で元気になったので

ソウタを夫に任せて、父の付き添いをすることもあったが


1時間もすると

「お母さんに電話して」

と必ず言い始める


一応電話はするのだが、母は戻ってこない

母もゆっくりご飯を食べたり、持病の治療に行ったり

何かと済ませておきたい用事もあるだろう


だけど、2時間が限界だ

「はよう帰って来いって言え!」

怒りだしたら、からかってやる


「へー、そんなにお母さんが好きなわけ?」

「うん」


あれ?冗談でもこんな言葉ははじめて聞いた


お見合いしてすぐに結婚、出産、共働きだった両親は

若かった頃も、子どもが手を離れた今も

恋人同士のように労わり合う姿を見たことは1度もない


顔を合わせるとケンカばかりしていた

父は爆発すると、よく声を荒げて怒鳴った

母は、言い返しはしないが、父がいなくなると

一人で鬱憤を晴らすように、父の悪態をついていた


こんな両親を見るのは嫌気がさしていたし

娘から見て、「なりたくない夫婦ランキングNo.1」だった


そんな両親が相変わらずケンカもしながら

毎日、毎日、同じ部屋で1日の大半を過ごしている


こんなことは、28年間の結婚生活で、はじめてだったのではないだろうか

何か、父を母に取られたような気がした


ソウタは1週間で退院できることになった

点滴のせいで指しゃぶりができなかった間に

指しゃぶりという行為を完全に忘れてしまっていた


久しぶりに父の病院に連れて行くと

「ソウタ、治ってよかったにゃ〜」

と言って、退院祝いをくれた


病人に退院祝いをもらうのもヘンな気がしたけど

ありがたく受け取ることにした


おじいちゃんから孫へ、最後のプレゼントになる

そんな気がしたからだ


夫が休みを延長してくれたので

私はちょこちょこ母の代わりに父に付き添うことができた

(父はすぐ嫌がるのだが)


寝ていることが多くなった父の顔をじーっと見た

「お父さん、眉毛も鼻毛もぼうぼうやねぇ」

母は笑って言った

「切っちゃってや、そんな事したがる人はけいしかおらん」


私はなぜか、毛を抜いたり切ったりするのが好きだった

昔、母に真剣に

「お母さん、私、毛を抜く仕事がしたい」

と相談したことがある


もちもん当時、脱毛やエステなんていう職業があることすら知らない

子どもの頃の話だ


ちょうどハサミがあったので、ちょっと大きくて切りにくいけど

鼻毛をちょきちょき切ってやった


母は何を思ったのか、携帯を出して写真を撮った

その写真は

娘がまさに、父の鼻に入れている酸素の管を切ろうとしている


「ちょっと、やめてよ、勘違いされそうな写真やない?」

その写真は、なんとなく私に回ってきて、なんとなく現像して私が持っている


母は、歯医者へ行くとか、ご飯を食べてくるとか言って

外へ出るのだが、いつも2〜3時間は戻って来ない

いつものように、父は何度も電話をかけろとうるさい


「お母さんもちょっとは休ませちゃってや」

と言ってなだめるのだが、決して母は休んでいるのではない


画像1


私は気づいていた

本当は1番したくないこと

父が死んだときの準備を進めていることを


夫には本当に感謝している

夏休みのうちに、行きたいところや会いたい人もいただろうに

休みを全部使って、うちでその名の通り、主夫をしてくれた


元々、料理が得意なことが幸いして、食事や洗濯、子守りなど

快く引き受けてくれた


うちの家族は仕事から帰ってくると、順番に夫の作った晩ごはんを食べた

これだけでも、随分助けられている


毎日のように寝ずの看病が続き

家族の疲労は目に見えてきていた


食というものがこんなに体力と精神の回復になることが

身に染みてわかった


とにかく夫のおかげで

私は毎日、昼間に数時間は父の側にいることができた

夜中も少しなら、交代することができた


父はいろんな体勢で寝る

ベットのへりに座って寝ている時は

今にも床に転がり落ちそうでドキドキする


だんだん子どもに戻って行くようだ

自分でオムツを外しておしっこをすると

「上手やろ」

と得意げに言う


「ソウタよりお利口さんや」

褒めると、少しだけ笑う


しかし、おしっこをよくする

「小便、起こせ」

「また?さっきもしたけど、出んかったやん」

母と2人でついつい言ってしまう


「小便くらいさせてくれや」

そうやね、ごめんごめん






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?