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「一問多答」になろう。

私たちは、レゾンクリエイトという編集・ライティングの会社をしています。毎回毎回、さまざまな企業・個人とやりとりをしています。会社の中での、いつも決まった人との、決まったコミュニケーションでは完結しません。それは、独立して大きく変わったことです。
私たちが仕事を受ける側の場合もあるし、デザイナーさんや印刷会社さんライターさんなどに仕事を依頼する側になることもあります。

日々様々な方とコミュニケーションをしていると、予想もつかないようなやりとりが発生することがあります。

中でも、最近私が気になって気になって仕方がないことは、「一問一答」のコミュニケーションです。
「これを言ったら、当然関連するあのことも言ってくるよな」という、”当然”が通用しない。
…他者に期待しすぎている私がいけないの、かもしれない。

しかし、例えば、待ち合わせの時間について尋ねたら、
・待ち合わせ時間
・待ち合わせ場所
・念のための互いの電話番号の確認
くらいは、連絡しそうなものだと思うのです。

なぜならば、そちらの方が楽だから。だって、やりとりが1ターンで完結します。私が楽をしたいだけではなくて、先方だって楽なんです。

…でも、なぜかそうしてこない人もいるのです。
一問一答、
一問一答、
その繰り返し。

(今のところの、私の対応策としては、箇条書きにしてすべて網羅的に回答してもらえるようにする、それでも答えてくれない場合には粘り強く尋ね続ける、ということです…。)

以前の私はそうした人に遭遇すると、「仕事に気持ちがこもっていないから、そんなテキトウな返事になるんだ」と勝手に憤慨していました。ある意味こちらを見下しているからこそ、そんな対応をしてくるのだろう、と思い込んでいたのです。
でも、最近ではそうではないと、思うに至っています。

一問一答の彼らは、バカにしようとか、不真面目にしようとか、そんな思いはあまりないのです。
では、どうして一問一答になってしまうのでしょうか?

それは、決定的な想像力の欠落です。

想像力がないからこそ、他人の工程も増やし、自分の工程も結果的に増やしてしまっているのです。想像力は、思いやりであり、コミュニケーションの潤滑油であり、仕事を気持ちよく行う上での素養だと思います。

一問一答ではなく、「一問多答」のやりとりができれば、きっと多くの仕事はうまくいくと思います。私たちが目指すのは、想像力を巡らせて「一問多答」となることであり、そうした力を持つ人たちを育てていくことだと思うのです。

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