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「・・・・・・」を考え続けた小学5年生

「ライター」なんて仕事をしていると、「昔から国語が得意だったの?」とかなりの確率できかれます。ハイ、好きでした。国語。
でも、得意だったのか?と言われると、自分が思っているよりも「得意」ではなかったかもしれないなと思います。

壊滅的にできなかった、算数・数学や物理などに比べたら、そりゃできましたけれど。でも、「学年で一番国語ができる」とか、「模試で偏差値70取れる」とか、そんなレベルではありませんでした。残念ながら。

最近、2020年の入試改革のことを考えているなかで、自身のことを「何で国語が好きだったのに、ソコソコレベルだったんだろう?」と、振り返ったのですが。「そりゃそうだな」と納得することを、ひとつ思い出しました。

小学校高学年の頃の私は国語の時間、ずーっと「・・・・・・」について考えていたんです。
「・・・・・・」とは、

「俺、マキコと付き合っているんだ」
「え・・・・・・」
ケンジの言葉で、トオルは言葉を失った。

とか、

「結婚してください」
「え? 私と? ありがとう・・・・・・」

みたいなやつです。「三点リーダー」ってやつですね。

教科書に載っている小説には、いくつも「・・・・・・」がありました。そして、そこには言葉に表せない「ナニカ」が詰まっているのだと気づいた瞬間、私はその「ナニカ」のトリコになってしまって、そこに込められた意味を探るのに躍起になってしまったんです。

時には、(言葉にできないほどの)悲しみ。
また、時には、(言葉にできないほどの)喜び。
そして、余韻や切なさ。回想への促し、沈黙。。。

同じ「・・・・・・」なのに、すべて意味が違う。
筆者は、なにを「・・・・・・」に詰め込んだのか。
登場人物は、「・・・・・・」の時、どんなふうに感情が跳ねたのか。

授業中、私はずっとそのことを考え続け、担任の先生が「この作品から感じたことは?」みたいな投げかけをすると、私は、その作品の主人公のセリフの「・・・・・・」に込められているだろう感情を熱弁していました。

そんな私に小学校5年生の頃の先生は、
「ともは、『・・・・・・』ばっかり気になるんだなぁ。ハハハ」
と個性を受け止めてくれた返しをしてくれていました。だから私は、また夢中になって、「・・・・・・」について考え続けたのでした。(本当に、ありがたい対応をいただきました。)

こんな教科書の読み方だから、知識アウトプット型やフォーマットに当て込む型の国語の問題にマッチするはずはなかったのです。だから、突き抜けて「国語(という教科)が得意」にはなれませんでした。
でも、「・・・・・・」に込められた謎を追究したことは、「言葉化できない感情」とか「言葉を超える思考」を突き詰める、いまの私のライフワーク(やりたいこと)につながっている感じがするんですよね。だから、たぶんいいのかな、と。大人が狙った通りに教科書は読めなかったけれど、まっ、いいかな。

いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。