見出し画像

恋愛に潜む、「自分を殺す我慢」

我慢するのではなく、我慢を廃し自分の心のままに生きようという趣旨の言葉をよく耳にするようになった。私もその主張に賛成だし、そう生きたい。

ただ、この主張において見落としている点がひとつある。
それは、「我慢を我慢だと気付かないケースがある」ということだ。「私は幸せなんだ」「私が望んでいるんだ」と本心にフタをして、我慢に気付かない(フリをする)。自分に暗示をかけている、そんなふうにも言い換えられるかもしれない。

* * *

思い返すと、母も自身に暗示をかけてきた女性だった。(今はかなり開放された。)
父の発言や行動に、本当は腹を立てたり傷付いたりしながらも、なにも言わずに所在無げに微笑んでいることが多々あった。
人は、屈辱や苦しみの涙を堪え続けると、いびつな微笑みを浮かべるようになる。母のその表情を見るたびに、私は目を背けた。

* * *

だから私は、女性のいびつな微笑みに非常に敏感になった。いくら幸せそうに見えても、たとえ本人が「私、大切にされているの」と言っていても、その微笑みを見た瞬間に、「あ、違うんだな…」と理解してしまう。
傷つけられても、愛する人へ本当に言いたい言葉を吞み込んで、自分への愛をつなぐように(相手が喜ぶように)振舞う。傍らにいる男性は、たいていそんな女性のいびつな微笑みには気付かない。彼女がどんなに傷ついているか、違う言葉をほしがっているか、思いを馳せることもしない。
(きっと男女逆パターンも世の中にはごまんとあるんだろうけれど、私のセンサーは女性にだけ反応しちゃうんです。男性のみなさん、ごめんなさい。)

* * *

友人が、「大掃除をしていたら、当時別れたてホヤホヤだった彼氏へ気持ちを綴った紙が出てきた」、という話をしてくれた。
友人と友人の元彼には、「子どもがほしい」「ほしくない」という、なかなか埋めがたい価値観のちがいがあった。これはどちらが悪くて…、という話ではない。ただ2人の考え方が、「ちがった」ということだ。

しかしその紙には、彼に対して、「あなたの気持ちをわかってあげられない自分がいけない」とひたすら自己を否定し、彼に受け入れられようとする文面が綴られていたのだという。
彼女は振り返って、「彼に気に入られる自分でいようと、子どもがほしいという自分の思いすら、どうにか否定しようとしていた」と言っていた。
過去の恋愛を振り返るのは、墓を掘返すようなものだと思う。辛いし、目を背けたくなるようなものを見てしまうことも、ある。

しかし、彼女はその行程を経て、自分の心のあり様に気がつくことができたという。 最後に、「自分への戒めとして、その紙はとっておこうと思うわ」と彼女は言った。

* * *

いびつな微笑みを、私自身も浮かべてはいないだろうか?
正直な話、これまで少なくなかったように思う。見てしまうと、とてつもなく胸が苦しくなった母と同じ笑い方。もう、手放したい。
そして、多くの女性たちが愛情という厄介な美徳でフタをして気づかない「我慢」に対し、敏感になればいい。いびつに微笑む女性が、ゼロになる。これ、すごく素晴らしいじゃないですか?

私も含めて、恋愛で、「自分を殺す我慢」を自身に強いる女性がいなくなる、こんなことを夢見た連休最終日でした。

<ツマミにこちらもどうぞ>


いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。