『ヨソモノ目線』を見る目線
場づくりをする人が増え、ハードと共にソフトに注力する人も増えた。
その場の数だけコンテンツ集めやその創造、コミュニティづくりや関係人口集めが始まっている。
「自分たち以外の誰か」を求める人が多く、僕みたいな無所属で奇妙な経験を積んた人に目線が向けられてるのをよく感じる。
少し口の悪い言い方をするなら、いちコンテンツとして消費しつつ、良かれば関係人口としてユルく関わり続けてもらえたら…というスタンス。
イベントに呼ばれるときの感じが、これに近い。
関わりかたが多様なだけに、そこを否定するつもりもないけど、覚悟も責任もミニマムにしていく時代に、心地よさと脆さを感じる。
傷つかない時代の弱い結びつき。だ。
僕は旅経験が長いこともあり、この距離感に『旅での出会いや関わり』を想起する。
「今日を生きるため、一日を楽しむために、同じ時間をあなたと過ごすか否か」というミクロな視点。
継続することよりも、偶然や瞬間的な結びつきが大切で、その先の関係性は「まぁ機会があれば」くらいの温度感である。
僕自身の話をするなら、「一生友達な!」みたいな重さがない方が関わりやすいし、お互い楽しめてメリットあるなら…くらいな考え方。
しかしながら、そもそもの日本のシステムや文化がまだその「軽さ」に追いついてないし、今の社会では、僕みたいな姿勢に「弱さ」や「脆さ」を感じざるを得ない。
様々なものを手放して、ユルい繋がりで流れるように生きるより、身の回りを固めながら、覚悟や責任を持ってそこに生きる生きかたに、僕はまだアドバンテージを感じている。
各々が飢餓感ではなく豊かさを真に実感でき、所有停滞から共有流動へシフトしていく覚悟を持てるなら‥今までのスタンスでも、もっと生きやすくなるんだろうなぁ。
メインブログ:日本微住計画
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