2017.12.18 noteはじめました。 『日本微住計画』というブログを運営している佐藤翔平です。 2014年4月から日本のローカルを巡る旅を始め、はや数年。こんなに長いあいだグルグルすることになるとは思ってもみなかったですが、『移動する生き方』もだいぶ板についてきました。 日本を巡る旅をするなかで、その時々で出逢った各地域の方々に多くのインスピレーションを頂き、地域との関わり方も少しずつ変化してきました。 2014~2016 メディア運営 MOVERS
自分の部屋の展示替え(模様替え)よりも、会社のデスク脇で始めたアートスペースの展示を考えている時の方が、わくわくしていることに気付く。 自分のために作品を購入させて頂き、 自分で楽しむだけで満足していたのに。⠀ 他人に見せるためのコレクションなのか? それは違う。…多分。 でも、他人の目につくところで、自己表現のように展示してる方が面白さを感じる。 自分自身を振り返ると、自分のアイデアやセンスを使って既存のものを組み合わせたり、気になるものを編集して表現したものを通じ
久々にnoteを更新する。 当初、考えや気付きを『1分間』程度で伝えるミニマルな企画として、Twitter以上ブログ未満の内容を想定して始めたnoteだったが、いつの間にかエッセイのように見境なく書きたいことを綴る場所になってしまった。今回も1分間で収まるような内容ではないが、ここに書き残す。 今回は、弊社会長からお借りした本を元に「読書感想文」を勝手に書いて、勝手に社内で公開する…という一連の謎行動を受け、この場所にも同じく「読書感想文」を展開してみることにした。 謎のか
さいきん、アート熱が冷めない。 アートにハマってしまい、日常が大きく変化した。 Instagram上では、まるで美術館のようにアート作品が日々流れてくるようになり、毎週のように期間限定の展示へ足を運ぶようになった。 新たな知的好奇心をくすぐり続け、知れば知るだけ沼にハマっていくような感覚がある。一つの作品に出会うと、三人の作家の十の作品に出会う…そんな日々の連続だ。 今までと大きく違うのは、Instagramなどで簡単に、自分の興味を掻き立てるアーティストやコレクター
インスタグラムの投稿を転載。 【中禅寺湖 時間をかけて】 ⠀ 旅は豊かであるべきだ。 ⠀ ここで僕が思う豊かさとは、 余裕やゆとりがある状態を指す。 ⠀ ⠀ 貴重な時間、貴重なお金を使って体験するのが旅だから、気がつくと色々と行きたい場所を詰め込んでしまい、慌ただしくなってしまう。 ⠀ 余裕がないと、味わうことが十分にできなくなったり、出会う偶然を避けてしまったり、心が落ち着かない状態が続く。 ⠀ 旅をしてドッと疲れてしまうのは、 不慣れな
インスタグラムの投稿を転載。 【中禅寺湖 秋を迎えに】 ⠀ 標高1,269m。 ⠀ 夏へのお別れと初秋を感じるため、日本一標高の高い場所にある湖、天空の湖といわれる中禅寺湖へ行ってきた。 ⠀ 最近は町のホテルに滞在し、まちなかを歩き回る旅が多かったので、久しぶりに自然を感じながら眠りにつき、目を覚ます日々を過ごしたくなった。 ⠀ ⠀ なんだかんだいって、まだ横浜は暑い日が続き、海が近いので湿気もヒドい。9月に入ったけど避暑地に行く感覚だった。
いまから3年前(2017年8月15日)に書いたFacebookの記事をみつけたので、noteに転載することにしました。 僕は様々なものごとに対して、守破離を意識することが多くて。 守破離とは 剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。 ― コト
「あなたらしくあれ」 「自分らしい自分とは」 選択肢が増えた多様な時代において、自分の『在りかた』を問う機会が増えた。悶々と考えては、答えを探す行動をし、行動をしてはまた悶々と考える。 僕の人生は、きっとこのような繰り返しによって、少しずつ前進し、そして、少しずつ老いていくのだと思う。 … 最近また一つ気付いたことがあった。 「いつでも自分らしく在れるべき」という美徳の存在と、「本当はそんなことを思っていない」自分の存在。 「いつでも自分らしく在りたい」を地でいっ
随分とゲームから遠ざかった生活を過ごしている。 そんな僕だけど、小中学生のころまでは、ほかの多くの子供たちと同じように、ゲームに熱中する日々を過ごしていた。 ファミコンにはじまり、スーファミやゲームボーイ、プレステやロクヨンなど色んなゲーム機を持っていて、弟や友達とともに多くの時間を費やしていた。 昭和60年代生まれの多くは、きっとみんなこんな感じで、スポーツやマンガ、TVやゲームに夢中になる世代だったと思う。 (子供の頃の娯楽ってそんなものしかないか) いまの10
久しぶりにnoteを更新します。 さて、早速ですが『気の合う人たちに囲まれた生活は嘘っぱち』なのでしょうか。どう考えますか? 僕は日本各地を旅するように生活する日々を通じて、『偶然の旅』と『繋がりの旅』を両方体験しました。 『偶然の旅』は、自転車で日本各地を巡ることをしていた頃。偶然声をかけてくださった方やその地域に滞在するなかで、知らない世界が拡がっていく体験でした。 文化も日常も世代も異なる人たちとの出会いを繰り返す日々の中で、様々な価値観に触れ、様々な発見を
旅をしていた頃は、あの県のあの町にしかないものにこそ価値を感じ、どうにか同じ体験を届けられないものか(その町に訪れる人を増やしたい)と奮闘していた。 ただ最近は、もっと身近にある、誰でも手にできるような大衆的なものから自分の『推し』を見つけ、小さく発信することに面白さを感じている。 10年以上前の話だけど、空間装飾やディスプレイ、インテリアコーディネーターなどの業界に興味のあった僕は、勉強の過程で『ユニバーサルデザイン』という概念を知った。 『バリアフリー』という言葉と
【1泊2日山梨温泉旅行 】 高知で日常を共にしたTOMARIGI HOSTELの元お客さん達と温泉旅行に行ってきた。 ⠀ お客さんとはいっても、いわゆるそれとはちょっと違って、3人のうち2人はその後ヘルパー(期間限定スタッフの経験者)になってくれたし、もう1人も気がついたらこちら側にいた。 ⠀ 旅をしていた頃の生活は、良くも悪くも『公私混同』で、仕事も遊びも日常も恋愛も、全てが『旅』だった。 ⠀ 出会った多くの人たちも、大枠で捉えると全て『旅先で出会った人』。上司も取引
【周りで生きる人の存在】 日々出会いがあり、日々楽しい人たちに囲まれていた旅の生活を終え、あの日々が如何に『特殊』だったかを知る。 あの日の日常は今の非日常だし、言い換えれば、あの日の非日常をいま生きている。 (また別の捉えかたをするなら、僕自身が『特殊だった日々』にさせてしまう生き方を今してるんだろう…) そんな日々の中に在るわけだけど、周りの人たちに支えられる感覚を、さいきん改めて感じている。 それは、言い換えるなら精神的な拠り所というか。 経済的な支えや業務
【新しい を 生きる】 地元に戻り、サラリーマンに戻る。 文面でみると過去への矢印のようだけど、人生には前進しかないし、自分も同じような意識で生きている。 さいきんは、カタログ作成や雑誌広告、HP記事のライティングやビジュアル作成、コピーライティングや動画のシナリオ作成…他にも本当に多種多様な経験をさせてもらっている。 素人の延長で広報、販促部門に入った人間で、更に業界のことを何も知らないところからのスタートなので、苦しさが常につきまとっている。 でも、今や
辞書で『旅』と『旅行』を調べると、たいしてその差は分からない。 ただ、界隈で使われる2つの言葉は大きく異なっていて、『旅』は自分(達)自身で組み立てていき、旅行は誰かがプランニングしたものやサービスに乗っかるようなものを表現しているように感じる。 … さいきん 音楽配信アプリの『Spotify』をよく使うようになった。無料版では誰かが作ったプレイリストやオススメの音楽がランダム再生される事が多くて、 最初のうちは「この一曲が聴きたいのに、シングルで選択してもすぐ流れな
星野リゾートの界川治へ滞在した。 ゲストハウスであれば10泊近く泊まれる金額を、今回はたった1泊の滞在に投資、今までは選択しなかった方の選択肢を選んだ。 いままでとは異なる体験に対して、しっかりと満足感を抱くことができた。 全てがパーフェクトだとは思わなかったし、手が行き届いていない綻びも当然あった。悪いところに目を向けることもできる。 それでも、ここまで満足できた一番の要因は、滞在を面白がろうとする僕自身の『姿勢』や『気分』から来るものなのだろうと推測する。 『滞