失業保険

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肉、離れ。水時計。、あ。いやイ、短調。ピアノが家から運び出されたことが過去にあるだろうか。その後現れる日焼けしていない床。誰の足裏の油も寄せ付けずに幾度も立春を迎える。その床を見ると田植えの頃の従妹を思い出す。いつも引き分けだった。歯の抜け方も。あけびの数も。そうして二人、屋根裏を具体的に変えていく。水回りと調味料。下着まで脱ぎ捨てて蛍光色の杭を打つ。彼女の切り傷から宗教が生まれて、ラジオの音さえ元に戻った。1964大学ノート。羊の数を書き込んだ。だから今、あの床が、もどかしい和英辞典だったとしても、溜息をつくつもりはなかった。


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これも思い入れのある作品ですが、ページ数の関係上、今回の冊子には掲載していません。ココア共和国に三年前、投稿をはじめて、傑作集に選んで頂いたものです。飛び上がるほど喜びました。初めて、詩誌に掲載してもらったからです。その後、ココア共和国に投稿しつづけよう、と思うきっかけとなりました。そして、詩を書く楽しさに気付かせてくれた作品でもあります。

その頃のわたし、まぢで仕事さぼりすぎて、一度クビになったのは、内緒の話ですウフフ

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