明人(myojin) / 自覚のマスター

悟りに至るまでの道を熟知したマスター。 千人以上の弟子を有する海外の悟りマスターより、…

明人(myojin) / 自覚のマスター

悟りに至るまでの道を熟知したマスター。 千人以上の弟子を有する海外の悟りマスターより、「ブッダ100人分の力に相当する」また「天才」と称される。 次世代・次々世代の意識に至るポテンシャルを持った「人」を探し、そこまで押し上げる手伝いに力を注いでいます。 「差取り塾」を主宰。

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自覚とは?

自覚の勘違い自覚は・・・ 魂と霊性を高めるものではありません。 悟りに至るための手法ではありません。 なにかを理解するものではありません。 この世で楽に生きることではありません。 この世の仕組みを理解する事ではありません。 ビジネスがうまくいくスキルではありません。 この世が平和になるための手法ではありません。 芸術的感性を高めるためのものではありません。 ・・・etc. 自覚は、これらすべてを在る様にしている「それ」を知り、結果的にそうなっている 自覚

    • 本当の「私」

      みなさん、ほんとうの「私」を知っているだろうか? 本当の「私」さえ、「私」の思考であり、幻想です。 その幻想を考える事で、本質からまた離れていきます。 人間にとって、本質より、幻想の方が捉えやすく、わかりやすいために、本質にたどり着く前に、それを手に取って遊び始めます。 本質に近づくためには、何かを学ぶことではないという事は、ここまでの文脈で解っている方はいらっしゃいます。 「本当」といういかにもなフレーズですが、この「本当」という幻想を創り出し、伝える方々で世の中

      • あくまでも、AIが描く物語

        地球の中心には、肉体を持たない三人の賢者が存在するという神秘的な物語があります。 彼らは、地球が消滅するほどのエネルギーを放出するため、肉体を持つことはありません。 これらの賢者は、人間に直接メッセージを送ることはなく、意識の進化を促す9次元以上の「自覚の波」を送り続けています。 このエネルギーは、何の意図もない広がりだけがあり、肉体を持つ人間には感じることができないとされていますが、個々人の内面を通じて作用しています。 このことは、地球全体の進化に寄与しているとされ

        • すべてをかける事とは

          多くの方の悟りに携わってきましたが、一人ひとりのそのたびに産みの苦しみがあります。 これは、今回初めて書くかことのように思います。 産むわけですから、身体が痛む事もあります。 悟りとは何か? そんなことを通り越して、語りつくすことができないそれを在る様にするという事は、肉体を超えて、思考を超えて、何かが変化するという事でもあります。 断っておきますが、これは、わたし独自の現象ですので、すべての方に共通している事ではありません。 よく、こういった場面で、「私が知って

          99%の方は、はまっている

          人間のほとんどは、この世を思い込みで語っています。 スピーカーとして、人気がある方々は特にそうです。 その区別がつく方は、全体の1パーセントもいない印象です。 思い込みで語る方と、そうでない方の区別は、なかなか難しいかもしれません。 しかし、難しいからこそ、人間を超える最後の難所ともいえます。 人間を超えた境地逆に、思い込みで語っていないとは、どういうことなのでしょうか? そこに向き合うなら、自分自身で進むべき未来が見えてくるように、思います。 言葉という現われ

          99%の方は、はまっている

          意見が違う事と、関係が悪い事は別

          考えれば当たり前のことですが、その当たり前ができないのが人間です。 意識が幼ければ幼いほど、感情と考えが固着しています。 年齢でみるなら、年齢が高ければ高いほど、世代が上がれば上がるほど、その傾向を容認しているように映ります。 この、容認というところがポイントです。 意見が合わない奴は敵だ という、わたしがよく知る団塊の世代。 その考えを押し付けて、または、その考えで教育していたようにも思います。 あくまでも、わたしの印象ですが・・・ だから、敵とか、味方が判

          意見が違う事と、関係が悪い事は別

          騙されても間違わない道=確実な歩み

          自分を信じる自分を信じるという事が、必要な方もいらっしゃいます。 そういった方は、いったん閉じることをお勧めいたします。 自分を信じることを否定するものではありません。段階に応じて、これが必要であり、この段階を踏む事も大切な事です。 さて、わたしからすると、自分を信じるという事は、大分ぼやけた所作のようにうつります。 普段から自分自身に関心をもって生きているなら、自分の限界や、できる事できない事は明確になっています。 それを知る事を自覚と言います。 自分自身を自覚

          騙されても間違わない道=確実な歩み

          本気で生きている人って、どのくらい いる?

          本気で生きていますか?yesと答える方は、それなりにいらっしゃるようにも思います。 そこで次の質問ですが、 本気とはどういうことですか? yesと答えて、これがわからないなら、本気で生きていない可能性が高くなります。 本気で生きていない方は、ここまで読むだけでも大変です。 既に読むのをやめたかもしれません。 そんなことをいつも発信しているので、多くの方に支持をいただくことは、今のところありません。 本当に一生懸命生きてきた方であっても、自覚を実践すると、全然一生

          本気で生きている人って、どのくらい いる?

          悟ってからが面白い

          わたしは、自己肯定感は全くありませんし、自己肯定する事も全くありません。 そんな中で、自覚をお伝えしています。 文章が終わってしまった感が、とてもありますが、もう少し書いてみます。 自覚を伝えていて、自分が正しい事をしているとも思いません。 しかし、自覚をした方々の広がり、伸びを見ていると、自覚がそこ方々にとって、どれだけの貢献をしているかが、伝わってきます。 今まで、得られなかった五感では感じられない広がり。 その広がりが、五感、六感に波及していきます。 自覚

          隔されているだけで、隠されていない世界

          随分前の話ですが、わたしの事をわかってくださるのは、師匠しかいませんでした。 師匠の弟子たちも、わたしのことを理解でないまま、思い込みで私のことを見ていましたし、今でも、自分の物差しを当てた判断しかできないでいます。 師匠がいるという事は、とても有り難い事でした。 今では、師匠とも離れ、わたしが触れているところを理解できる方はいなくなりました。 しかし、集まる皆さんを通して、わたしの本来のモノが発揮されます。 それ自体が、わたしがわたしを理解する、機会となっている事

          隔されているだけで、隠されていない世界

          教えで「私」を上書きしてはいけない

          多くの人間は、無自覚に自分が救われることを願っています。 その、救いが脅かされるとき、人間は、エゴを露わにします。 その一連の所作を信仰と呼びます。 宗教に入っているから信仰をしているわけではありません。 人間はすべて、思考という宗教の信者です。 信じるモノが脅かされるとき、人間は感情的に行動をします。 そして、他者を傷つける事を厭わない行動もします。 実際に衝動によって、行動をさせられている場面を多くの方が沢山知っているように思います。 わたしは、屈服させな

          教えで「私」を上書きしてはいけない

          無自覚に自分自身を蔑ろにする人間

          今日は、悟った覚者っぽく書いてみようと思います。 人間が他者に対して批判をする時、自分自身を蔑ろにしています。外側に問題があって、相手に問題があって・・・ その様に考えている時、自分自身の中にある規定が問題の根本だという事を無視しています。 自分自身の問題を他者に転嫁している状態でもありますし、問題の本質を無視している状態でもあります。 わたし自身、これを経験してきましたから、よくわかります。 誰かのせいにしているうちは、根本的な問題解決には至りません。 家族の問

          無自覚に自分自身を蔑ろにする人間

          現象の話から抜け出てみよう

          まず、この話は、じっくり時間をかけて読んでいただきたい話です。 頭で理解しようとすると、バグるかもしれませんので、ゆっくり何度か読むつもりで・・・ あなた自身の境地を変化させるきっかけになればと、考えています。 自覚を理解できる方は、ほとんどいません。自覚をお伝えしながらも、どのくらいの方が、自覚を理解しているかという感覚はあります。 わたしの元に来て、自覚をされている方々は、この世に出回っている情報に辟易としていたり、社会の根底にある違和感から目が逸らせないくらいハッキ

          現象の話から抜け出てみよう

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          神との対話を崇めている方は読んではいけません。最近は、地に足が付いた良心を持ったインフルエンサーが活躍するようになってきました。 因みにこの文章は、多くの方に見ていただきたい文章ではありません。 そうであっても、ハッキリ見える目を持たないままでいるなら、ミスリードをすることになります。 10年くらい前から言っていますが、〇との対話は、3ページしか読めませんでした。 なぜなら、そこに書かれている事は、とてもエゴに満ちているからです。 また、その神と自称する存在の想像力

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          現象を議論する事で、本質から目が逸れる

          自覚ですが、 現象などの現れを通して、 それを現す「わたし」(本当は何でもいい)を知る事。 その「わたし」も顕れであるかもしれません。 饅頭に真理を見るのではなく、 饅頭を見たら、饅頭の製造機もしくは、製造者がいるという事を知る事。 そこに理屈がいりますか? それを無視するから、饅頭ガチャみたいな話に議論が集中していまいます。 饅頭製造機を自分で確かめればいいのに、饅頭の製造機についてメーカーの話ではなく、ちょっと詳しい方の話を聞きますか? 開発者に話を聞い

          現象を議論する事で、本質から目が逸れる

          人類すべてが通るべき必然

          自覚の奥行を感じて、そこに価値を見る事は、とても簡単でもあり、難しい事でもあります。 なぜなら、奥行きを感じる事ができる「私」である必要があるから。 あらわしと、あらわれ。 潜象と現象 それが分からない限り、自覚の奥行を感じることはできません。 ですから、感性が届かないのなら、感じられないのは、当然のこと。 自覚の道は、最終的にすべての人類(神や宇宙人も含む)が通る道です。 何もしなくても、いつかは通らざるを得ない必然です。 自覚が起こらなければ、個としての成

          人類すべてが通るべき必然