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「言葉にできない」のは「語彙力」「言語化スキル」だけの問題ではない。

「書く」とか「伝える」って、本来はとても楽しいことです。だけど、そこには「しんどさ」もあります。だからこそ、世の中には「書き方」や「伝え方」のノウハウがたくさんあるのでしょう。

じゃあ、一体何がしんどいのか。
その一つが「言葉にできないもどかしさ」ではないでしょうか。

「伝えたいこと」は、確かにある
だけど、うまく言葉にできないまとめられない

頭・心のなかには、伝えたい「何か」がある。
だけど言葉にしようとした途端に、急に質感が変わってしまう
時には、とても「陳腐なもの」になってしまうことだってある……

とはいえ締切はやってきます。
なんとか言葉を紡ぎ出そうと、もがいたり、足掻いたり、ふんぞり返ったり……そんな時、私は「しんどいなぁ」と感じます。

ところで、今、ビジネス書の世界では空前の「言語化」ブームです。
ちなみに、それ以前には「語彙力」ブームがありました。

こうしたブームの背景には

「伝えたいこと」はあるけれど「うまく言葉にできない」

があるのでしょう。
じゃあ、どうしてこんなにも「言葉にすること」は難しいのか

今日は、このあたりを深掘りしていきます。


どうして「言語化」は難しいのか

いよいよ年の瀬。「日経トレンディ」の「ヒット商品ベスト30」が発表されました。

今年のヒット商品NO.1は「Chat GPT」。こちらの投げた「問い」に対して、スラスラ〜と瞬時に「アウトプット」を出す様には、驚きを覚えました。私もお世話になりっぱなしで、調べ物がかなりラクになりました。ありがとう!

Chat GPTが文章を生み出すときの流れは、こんな感じ

問いを「インプット」する  回答を「アウトプット」する

この「インプット」と「アウトプット」あいだの「→」が、とてつもないスピードで為されます。

でも、人は違います。
「インプット」と「アウトプット」のあいだには「時差」があります

先に結論を言えば、この「時差」や「あいだにあるもの」が「言語化は難しい」と感じるものの正体です。だけど、人のしくみに照らせば、この時差はあって当然のもの。だから「言語化は難しくて当然」とも言えます。
そして、この「難しさ」こそが人間らしさであり、この難しさを感じているときにAIには表現し得ない「何か」が生み出されています。

言語化は難しい。だからこそ「言葉」に熱が宿る

ワークショップやセミナーの際、こんな感想を聞くことはありませんか?

「まだうまく言葉にできないのですが……」
「まだ咀嚼できていないのですが……」

私、この言葉を聞くたびに嬉しくなります。
なぜなら「その感覚」は、嘘のないものだと思うから。

ワークショップやセミナーに限らず、本や記事で読んだり、旅行をしたりと「インプットしたこと」が咀嚼されて、自分なりの「言葉」になる(言語化される)までには、時間がかかります

インプットしたものが言語化され、アウトプットされるまでのイメージは、こんな感じです。

まず、インプットされた情報(①)は、身体に蓄積されます(②)。
そして、自分の内部(身体・心)で咀嚼・消化される(③)ことで、徐々に自分なりの「言葉」になっていきます(④)。これらのプロセスを辿ったときに、はじめて手応えのあるアウトプット(⑤)ができるようになるのです。
これが「インプット→言語化→アウトプット」の一連のプロセスです。

Chat GPTとは大違いで、結構面倒くさい道を辿りますよね。

なんと言っても面倒くさいのが「咀嚼・消化」のプロセスです。
外から見ると、一体どれだけ進んでいるかわかりません。まるで「止まっている」「何もしていない」ようにも見えます。

だけど、この「咀嚼・消化」のプロセスこそが、言葉に「熱量」を与えます

言葉に「熱量」を与えるシンプルな方法

一つのインプットを咀嚼・消化しただけでは、アウトプットされる際の熱量は、大したものではないかもしれません。
でも、インプットが蓄積されて、それが咀嚼・消化されたものが身体一杯に溜まっていくと、自ずとアウトプットの熱量は大きくなっていきます

イメージとしては、こんな感じです。

溜めて、溜めて、溜めて、「もうこれ以上は溜められない…!!!」と思える段階までインプットし、咀嚼・消化したうえで言語化されたとき、言葉は大きな熱量を帯びます。そして、大きな熱量を帯びた言葉は、深く、遠くへと響いていくことになるのです。

ここまでに書いたことは、私の経験則に基づくものです。
だけど、経験的にこうした感覚を味わったことがある方は多いのでは?

・言葉自体はとてもシンプルなのだけど「妙な納得感」がある
・その一言に、なんだか「救われた感覚」がする
・全然そんなつもりじゃなかったのに、話を聞いていたら(その本を読んでいたら)つい○○してしまった   など

熱量の高い言葉は、こんな奇跡みたいなことを引き起こします。

この不思議なカラクリを考えるときに思いつくのは、羽黒山伏の星野文紘先達。修験道という「身体」を通じたインプットを続ける山伏・星野先達の言葉からは、どこか妙な「腹落ち感」を感じざるを得ません。
その証拠に、単なる編集者だった私は、気づけば「山伏」になっていました

関心のある方は、ぜひ熱を帯びた言葉に触れてみてください。

以前、私が編集を担当させていただいた本も、あわせてどうぞ。

ご参考までに。私が「山伏」になるまでの話。

言葉にできないのは「語彙力」や「言語化スキル」のせいではない

閑話休題。
話を元に戻すと、私がお伝えしたかったのは、これ↑です。

「言葉にできない。言葉にするのが難しい」
そう感じるのは、人間が人間たる所以
です。
でも、この難しさに向き合うことが、何かを表現するうえでは、とても大切です。

今日の結論は、以上。
……なのですが、もう少しだけ続けます。

インスタントなアウトプットが「言語化の力」を低下させる

「語彙力」や「言語化スキル」はあったほうがいいものです。それは間違いありません。
だけど「言葉にするのが難しい」と感じるとき、本当に考えなくてはならないのは、スキル・能力以前の問題かもしれません。

本来「言語化」には時間がかかるものです。
でも、その前提を忘れて、アウトプットを急ぎすぎてはいませんか?
自分のなかで「寝かせる時間」をとっていますか?
インプットしたものを、しっかり咀嚼し、消化する時間はとれていますか?

これ、口で言うのは簡単です。
でも実際に、実行するのは難しいことだと思います。だって、今の時代、みんなとても忙しいから。

特にビジネス環境では、Chat GPTのように、即座に答えを出すことを良しとする「インスタントなアウトプット」が求められるのが一般的。
そこで
「今、寝かせている最中です」
など言おうものなら、仕事がなくなっても不思議ではありません。

だけど、はっきり言います。
この「インスタントなアウトプット」こそが、私たちの言語化力を低下させている正体です。

素早くインプットして、素早く使う(アウトプットする)。
それは、もはや単なる「情報処理」で、力の宿った「言葉」のやり取りではありません

そんな情報処理ばかりを続けていると、いつしか言葉の「熱量」はなくなっていきいます。そして、何度煎じたかわからない「出涸らしのお茶」のように、スカスカで味も風味もない「無味乾燥な言葉」しか発せられなくなってしまいます。

そこにはもう「人間らしさ」はありません
そもそも「情報処理」で言えばChat GPTのほうがはるかに優れています

人間らしさを自ら手放して、最初から「負け」確定の勝負へと繰り出していく……「AIに仕事を奪わる未来」は、こうしてつくられていくのではないでしょうか。

「言語化」に悩む時間が、言葉に力を与える

ちょっと言い過ぎでしょうか。飛躍し過ぎているでしょうか。

でも、私、この流れに抗いたいんですよね、何がなんでも。
人が人らしく、人間らしくあることを放棄したくないし、放棄してほしくないんです。

だから、ちょっときついことを書きました。
編集者として、良い表現が世に生み出されることを強く願えばこそ、です。

「書く」ことは、こうした「人間らしさが奪われていく流れ」に抗う手段の一つだと思っています。

ああでもない、こうでもない……と悩み、惑い、もがき、あがきながら「言葉」を紡ぎ出そうとする。ここで感じる「言葉にできないもどかしさ」こそ、人間らしさです。
そして、この「人間らしさ」は言葉の「熱量」の源です。

悩み、もがき、あがくほどに熱量は増していき、身体のなかに蓄えられます。やがてそれは言葉を通じて誰かの手に渡り、熱伝導のように広がっていく——人から人へと何かが伝わるって、こういうことではないでしょうか。

というわけで。
今日も、もがいてみませんか? 
「言葉にできないもどかしさ」という人の醍醐味を、たっぷりと味わってみませんか?

そんな「ままならい感覚」こそが、あなたの言葉に力を与えます

あなたの言葉が、必要な方に届いていきますように!
さいごまでお読みくださりありがとうございました。

#クリエイターフェス

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