編集者が「山伏」になるまで。
9月初にして、おそらく最後のnoteだ。
9月は色々なことがあったのだけど、特に印象的なのは「山伏」になったことだろうか。
この秋(9月)、私は晴れて羽黒山伏(神子)となった。
山伏に出会って6年、修行に入るようになって5年。
念願叶ってのことだった。
(この4年ほど、コロナの影響で正式に山伏になる修行(神子修行)が開催されていなかった)
山伏修行に出会ったきっかけは、本をつくったことだった。
ひょんなことから、羽黒山伏の星野文紘先達と、キャリアコンサルタントの渡辺清乃さんの共著『野性の力を取り戻せ』の企画・編集に携わることになった。
企画が始まったのは、たしか2018年。
そして、最初の修行は2019年夏。
本の取材のつもりで、山に入った。
「修行を体験したことがない人間が、本をつくることなんてできないよな」と。
……のだけど、ここで驚いた。
「山伏の智慧を多くの方に届ける本をつくるために修行をしてみたけれど、いちばん修行が必要だったのは、私じゃないか」
それは、直感のように訪れた。
当時は、その理由を明確に言葉にすることはできなかった。
だけど、それで十分だった。私が修行を続けていくのは。
次の年も、また次の年も、「夏の修行の申し込み時期」になると、スタンバイしてエントリーを行っていた。
何かを得ようとか、何かを目指してとかではなく、そうするのが自然だった。結果として、ひょんなことから鎌倉に星野先達をお呼びしての修験道リトリートを企画・主催するようになっていった。
ここで疑問に思うのだけど、
明確な理由が最初から説明できることなんて、あるのだろうか。
大抵のことは「何となく」とか「魔が刺して」から始まっていくものではないだろうか。
少なくとも、私の人生は大半がそんな感じがしている。
星野先達は、よく話していた。
「感じる」も「考える」もどちらも大切だけど、順番を間違えてはいけない。いつだって「感じる(直感)」が先にきて、それを「考え」ながら形にしていくのだろう。
多くの人はまず考えようとする。
だけど、それでは何も決まらない。
腑に落ちないまま「とりあえず」決めはみたものの、どうもしっくりこないまま……なんてことが大半ではないだろうか。
何を隠そう、私もそうだったし、今でもそうなることが多々ある。
私は、もうこれ以上進めないというほどに、考え続けてきた。
でも、それがもう限界に来ていたのだろう。
だからこそ「感じる」を徹底的にやり直す必要があった。
そんなタイミングで出会ったものの一つが「山伏修行」だった。
ところで、山伏は「修験道」の伝統を受け継ぐ人だ。
では「修験道」とは何なのか。
私がご縁を得た「羽黒修験」の紹介ページには、こう書いてあった。
数ある伝統の実践のなかから修験道に惹かれた理由は、ここにある。
自然のなかでの動的、静的な祈りを通じて「験」を「修」めるのが修験道なのだが、修めた験が宿るのは「身体」。私は、この感覚がとても好きだ。
この秋に初めて参加した「出羽三山神社 神子修行」で、20年以上修行を続けている方にお会いした。
「20年」とまではいかなくても、修行を重ねている人は「存在感」が違う。
「存在感」は、ふわっとした気配だけではない。
その人の振る舞いや一挙手一投足、一つひとつの発言の中にあらわれてくるものだ。同じことをしているように見えるのに、ふとしたときの態度や言葉、所作、振る舞い、何かあったときの動きが、私とはまるで違うのだ。
これはもはや「考えて行う」レベルの話ではない。「自然と、身体がやってしまう」レベルでの違いなのだろう。
知恵や知性は、本来、こういったところに現れるのではないだろうか。
説明のわかりやすさやプレゼンテーションの上手さ、稼ぎ方のスマートさだけでは見えてこない、とても大切な何か。
それは、修行を続けるなかで少しずつ身体に刻まれていくものなのだろう。
それを人は「気配」や「存在感」「品格」「器」等と呼ぶのではないだろうか。
私の20歳以降の人生は、ほとんど丸々が「人の可能性を探究すること」に費やされてきた。
大学生の頃(もう20年になる!びっくり!)、今でも大切にしている「インテグラル理論」や「トランスパーソナル心理学」の類と出会い、私の人生は、コペルニクス的転回を見せた。
絶望から、希望へと、方向性が180度変わってしまったのだ。
それ以来、私は「人(自他ともに)は、どうやったら本来もっている可能性を、存分に発揮して生きられるのか」「全体性を、セルフとしての自分を生きられるのか」を考えてきた。
紆余曲折はあったけれど、この探究テーマは、今も変わらないし、これからも多分変わらないのだろう。
その片隅での仕事として、私は長く書籍編集の仕事に携わってきた。
というのも、私は「知識や情報が、人が自分の全体性を生きるうえでキーとなるものだ」と思っていた節がある。より正しい知識、より正しい情報に触れたとき、人は変容する、と。
けれど、ある時に気づいてしまったのだ。
人が自分の全体性を生きるうえで最も重要なものは、知識ではない。
「身体」に刻まれていく「体験」だ。
最初は直感的に、今の仕事への「違和感」としてあらわれてきたけれど、修行を重ねれば、重ねるほどに、これが確信へっと変わっていった。
誤解なきように言っておくと、知識や情報も大切なものなのだ。それを否定するつもりは一切ない。
だって、知識や情報がなければ、私は修験道の世界にたどり着くことさえなかったのだから。
だけど、知識や情報は「体験」を補完するものであって、中心になるものではない。「体験」が中心にあるからこそ、私たちは自分の全体性を生きる手がかりを得ていける。
さらに言えば「体験」を言語化できた時、全体性へとまた一歩近づいていけるのだろう。だけど、それもこれも「体験」があってこそだ。体験を通じて感じたことを、考える時に知識はその力を発揮する。
その確信が強くなってきてから、これまで通り本をつくる仕事を続けるのが難しくなってしまった。
知識や情報をどう扱うのが良いかに、迷いが生じてしまった。
そして、結局、会社を辞めることにした。
(それだけが原因ではないけれど)
会社を辞めて1年少し。
新たなことに手探りで取り組みながら、暗中模索しているのが、今ここ。
私に「山伏」になるチャンスが巡ってきたのは、そんなタイミングだった。
山伏は「半聖半俗」と言われている。
古くから山に入って修行をする身でありながら、人里に住み、家族をつくってきていた。山での修行もするが、里でも修行をするのが山伏だ。
実際のところ、里(現実社会)での出来事のほうが、山での修行よりも、よほど「修行」になることが多い。
日常こそが修行本番なのだ。
(*念のために。山での修行は「苦行」ではないですよ)
日常に、祈りをもたらす。
日常のなかで、山の智慧を体現する。
日常のなかで、山の智慧を分かち合っていく。
そんな里での役目を果たしてこそ、山伏。
なので、山での修行にひと段落がついた今、ますます里での修行に励んでいこうと思っています。
というわけで、お仕事の機会をください。ぜひとも。
近ごろは「編集」の枠を広げて、こんなことにも取り組んでいます。
山伏として、編集者として、ファシリテーターとして(どれも私の大切な仕事です)、お役に立てそうなことがあれば、ぜひお声がけいただけましたら幸いです。
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