見出し画像

『五年後に小学六年生になるキミにおくる物語』の感想をつらつらと書いていく。

 SFアンソロジー『五年後に小学六年生になるキミにおくる物語』というものに参加させていただきました。

 せっかくなので僕以外の方の作品について感想を書きたいと思っていたのですが、11月半ばから仕事が繁忙期に入って忙しく日々を過ごした結果、手が付けられずにいました。

 すでに企画者様の柚子ハッカさんが、ツイッターで「制作秘話込みの感想」をツリーで書いていらっしゃるので、そちらを読んでいただく方が正確だとは思うんですけれども。

 感想を書くことにおいては、あっても困らないかなと言う軽い感じで進めていければと思います。

 ちなみにテーマがタイトルの『五年後に小学六年生になるキミにおくる物語』になるんですが、個人的に浮かんだ経験が一つあります。
 それを軽く書いてから始めたいと思います。

 ――――

 小学四年生の頃に僕は、とあるサッカーチームに入りました。喘息持ちだった僕は体力をつけないと将来働けないよ、という脅し?を受けていて、運動せねばという気持ちが強くありました。
 サッカーは始めてみて楽しいだけでは決してなかったのですが、二年後に弟も入ってきたこともあって、辞めるという選択肢はなく小学校卒業まで続けました。
 中学に入ってからはサッカー以外の部活にしようと決めて、テニス部に入りました。

 そんな中で、弟のサッカーの合宿を両親が見に行くと言う日があって、僕もついていきました。彼らの練習をぼーっと眺めていると、コーチが近づいてきて「久しぶり」と言って、手を差し出してきました。
 握手を求められているんだと分かって、コーチの手を握った瞬間、しっかりと握り返されました。
 その時に僕は初めてコーチに大人扱いされたような気がして、嬉しかったのを覚えています。

 もし仮に小学校四年生の僕が中学一年の僕に「サッカーやった方が良いかな?」と尋ねられたら、「した方が良いよ」と答えるでしょう。その一回の握手で三年間の楽しいだけじゃないサッカーの日々が報われるから。

 ――――

 なんてことをテーマを読んだ時に浮かんだのですが、実際の僕が書いた作品には一切反映されておりません。ただ、僕にとっての小学生の頃を思い出すと、まずサッカーで、そして中学一年の時のコーチとの握手が浮かんでくるんですよね。
 大人に、それも両親ではない大人に認めて貰えた瞬間ってやっぱり特別な気がします。

 さて、では『影つまみ』左海舞から感想を簡単にはなりますが、書かせていただきたいと思います。

■『影つまみ』左海舞

 冒頭が図工の授業中で、大小様々な粘土を使って積み木のようにしてタワーを作る最中だった。主人公は小学一年生の女の子で、彼女はすっかりタワーを作ることに飽きて退屈していた。
 そして、そんな彼女が影に触れた瞬間、ヌルッとした感触がして、影をつまめることに気づく。

 主人公の女の子にとって、影つまみは飽きた粘土のタワー作りの代わりに現れたもので、つまり退屈を埋めるものだった。だから、主人公の女の子は影がつまめると分かっても、あくまで「遊び」として影をつまむ。

 個人的に冒頭の図工の時間が非常に上手くて、綿矢りさの「蹴りたい背中」を思い出した。クラスメイトが夢中になっている中で冷めてしまっている自分が、別の遊びに興じてしまう。
 蹴りたい背中の場合はプリントをびりびりに破いていくものだったと思うけれど、あの退屈を埋めるような時間って学校ならではだろう。それも小学生の頃の退屈を埋める時間って、ちょっと特別な気がする。
 中学や高校まで成長してしまうと、効率的で意味のある時間の埋め合わせをしてしまうけれど、小学生はまだ無意味なもの(それこそ影つまみ)で戯れられる。

 オチも綺麗でとても良かった。影つまみは主人公にとっては心躍るものだったけれど、他の人はそう捉えない。当たり前のことだけれど、そういう当たり前をちゃんと書いてくれる作者は信頼できる人だと思う。

■『嘘つき天使』猫隼

 本作は「これは地球でなく、だけどもしかしたら、すぐ隣にでもあるかもしれない異世界の、そんな世界のどこかにひっそり存在している、とある街のお話です」という語りから始まる。
 主人公は街で唯一の機械に関する専門店の店主、ミィ。彼の仕事は機械の不調の原因を調べ、原因を発見し、「あとはそれをどうにかする」。
 この「あとはそれをどうにかする」という曖昧な態度が個人的に好きだった。冒頭でミィではない誰かの語りが入っていることで、曖昧な描写が許され、ミィを見ている誰かの知識の中でこの物語は語られていくのだ、ということが分かる。

 そんなミィのもとに「君を助けるためにきたんだ」と天使のカロが現れ、助手として働き始める、というのが話の筋になっている。
 タイトルから推察するにこの天使のカロが「嘘つき」なのだろうけれど、冒頭で語る誰かは退場することなく、常に問いかけてくる。

 友情ものとして書かれている本作を読んで浮かんだのは、秋山瑞人の「イリヤの空、UFOの夏」だった。イリヤの空~の文体は作者自身が第三者が語っているものだと言っていて、読み続けていくと秋山瑞人文体にやられてずっと読んでいたくなる。
 個人的に最後ミィがカロには理解できないことを言い、その意味を読者にも隠匿してしまうのは、良い演出だなと思った。問いかけで終わるのも良い。

■『夜のメロディ』両目洞窟人間

 ねこのにゃんみさんなる二足歩行のねこが本作の主人公。
 にゃんみさんはyoutubeでフジロックの配信を見て、ギターを弾いてみたくなって楽器屋へ訪れる。
 不思議な世界観だなぁと思いつつ、二足歩行のねこであるにゃんみさんが可愛くて読み進めていける。

 ギターの練習シーンも「べいん、べいん、べいーん、べいん、べいん、べいーん」とか「ぽぽぽぽぽぽ」と擬音が多く、なんか楽しく読めちゃう不思議。
 そんなギターの練習をするにゃんみさんのもとに幽霊が現れて、というのが話の筋となっていて、その幽霊との交流が言葉ではないという点がとても良い。

 擬音と言葉ではない言葉で話は進んでいく中で、ラストではギターを習得したにゃんみさんがステージに立ってサニーデイ・サービスの曲を弾く。
 そして、そこで引用される歌詞が印象的になるよう配置されていて、音楽の力というか歌詞の力を信じている方なんだろうな、という印象を持った。
 小説ではないけれど、「SKET DANCE」でピロウズの「Funny Bunny」を弾いて歌った話を思い出した。

■『捩れる起承転結』げんなり

 タイトルにもある起承転結がキーワードになっており、話が「A起」「B起」「A承」「Bー2」「A転」「B転」「A結」「B結」に分けられている。

 本作をちゃんと読み込めているか分からないけれど、僕なりに解釈すると舞台は「全ての可能性が丹念にしまい込まれた恒星間宇宙船ホヴォアース」でここでは、宗教の根強い教えがあり「十二歳を機に、子供達は入信の意思を問われる。
 主人公のオレは入信を断り、妹は入信した。
 そんなオレは汎世界教会結婚式会場の襲撃を企てている、というのが話の筋。

 ただ「A」の話には「ぼく」の語りもあり、読みつつ混乱する部分もありながら、言葉の連なりは格好良い。
彼女たちはもうぼくだった。
 そして、ここにはぼくしかいない。
 アップデート終了、ぼくも消える。

 うん、格好良い。

 最後の妹を救い出すシーンは映像的な格好良さもあり、「体力増強剤のカプセル」なるものも登場して、この辺を読んで樋口恭介がやっている「anon press」というサイトで公開されていた平大典の「東京滑蹴祝祭〈トーキョージャムセッション〉」を思い出した。
 こちらはスケボー・パンクというジャンルになっているのだけれど、空中戦のバトルとルビの畳み掛けでぐいぐい読める傑作で、SFというのもあって何となく似た空気を感じた。

■『あいつはニノミヤ』梶原一郎

小さい頃はあんまり小説が好きじゃなかった。」と始まり、大人の主人公が自らの子供を連れて図書館へ来て、ふと本を好きになったきっかけの夏を思い出す。

 都会育ちの少年が母の大病をきっかけに祖父母の田舎に預けられた。「つまらない物はつまらない」ことが耐えられない少年が一人の少年と出会う。その少年の導きから一冊の本を手にして、というのが話の筋。

 個人的に好きだったのは、子供好きではない祖父で、最初はぐずってゲームばかりしている主人公を叱ったり、小言を言っているのだけれど、別れの日には「好きな本とか買え」とお小遣いをくれて、「好きなもの食べろ」と出前を頼んだりしてくれる。
 そして、最後には主人公があえて置いて行こうとした本をわざわざ届けてくれる。

 主人公が本好きになったきっかけは田舎で出会った友達だったんだろうけれど、それをちゃんとフォローして支えたのは祖父だった。
 少なくとも僕はそう読んだし、祖父が孫にできることって実はそういう地味なことだったりするよなぁと思ったりする。

 そんな風に考えて読んでいたので浮かんだのは佐藤究の「QJKJQ」だった。作品の雰囲気は全然違うけれど、男親にできることって見守ることや細かなフォローなんだと分かる一冊なので。

■『ねえちゃんとふろはいってる?』ぞぞ

 実は一番最初に読んだ。
 個人的にタイトルが魅力的で、内容もこの「ねえちゃんとふろはいってる?」という小学生の間で流行る言葉遊びで人生を狂わせてしまう少年の話になっている。

 主人公の陽向は小学一年生の時に、この言葉遊びを振られて「はいってるけど?」と答えることで、からかわれてしまう。
 彼はからかわれている渦中にありながら「なにわらってんの? なにがおかしいんだよ? ねえ、なんなの?」と理解ができない(ここの平仮名で書かれているのも良い)。

 姉に話すと、言葉遊びの罠を陽向は理解して、彼は実際に母と姉と一緒に風呂に入っていたことから「陽向が本当にしていることが、みんなから笑われたのだ。それは恥ずかしくて、屈辱で、辛いことだった。」と思う。
 その経験によって陽向は人生の線路を大きく脱線していってしまう。

 小学生の頃を振り返ると、陽向の屈辱が本当に心から分かる。今から考えれば些細なことが小学生時代って、本当に世界が反転するくらい大事だったりするし、例えば小学校で大便をしたってことがクラスメイトに知られることが、その場に立っていられなくなるくらい恥ずかしいことだったりする。

 そんな陽向には良太という友達がいて、彼との関係も「恥ずかしくて、屈辱で、辛いこと」の後には上手くいかなくなってしまうのだけれど、大人になってそんな良太との関係を振り返ることで陽向は「ねえちゃんとふろはいってる?」で傷ついた心を癒していく。
 という流れもSF的な要素を織り交ぜながらで非常に上手いと思った。

 浮かんだ作品は西加奈子の「きいろいゾウ」で、「笑われて自分に注目が集まって、恥ずかしくなった」と話す男の子が出てくる。小学生の自意識みたいな点で繋がったし、それで言うと瀬尾まいこの「7's blood」なんかもそういう子供だからこその自意識が描かれていた。
 僕は単純に子供の自意識に悩む話が好きなんだと思う。

■『黄色い魔術師』渋皮ヨロイ

 叔母は全身がイエローの衣装がトレードマークのマジシャンで「黄色い魔術師」と呼ばれている。そんな叔母は全国を飛び回っているのだけれど、夏休みをオフと決めていて、主人公のタイトの家に身を寄せる。
 小学一年生の夏休みから叔母との生活が始まり、二年生、三年生と語られていく、というのが話の筋だった。

 自由気ままな叔母に惹かれながら、夏休みだけということもあって、人見知りしつつ交流していくタイトの姿がとても良かった。
 話の本題としては黄色い魔術師である叔母のマジックにはタネがあるのか、ないのか? という点で、どちらにしてもタイトは「自分は何色の魔術師になれるだろうか」と尋ねるほどに叔母に惹かれていく。

 昔、読んだ内田樹の本に子供の成長には両親の他に、もう一人大人が必要だ、という旨の文章を読んだことがある。この、もう一人の大人が無責任な発言をすることで、両親の言うことだけが正しいわけじゃないかも? と思うことが子供を自立させる一歩になる、といった話だったと記憶している。
 そういう意味で「黄色い魔術師」のタイトが叔母に憧れるのは自然な流れだったと思う。
 同時に叔母にとってもタイトの存在は貴重なものだったのだろう、とも思う。
 最後に自分の秘密を「小さな声で」言っちゃうくらいには。

 僕自身が大人になったというのもあるのだろうけれど、「黄色い魔術師」を読みながら終始、叔母側に共感しながら読んだ。
 ちなみに浮かんだ作品は金井美恵子の「小春日和: インディアン・サマー」だった、こちらも自由なおばさんとの生活の話で、読んだ時はこんなおばさんになりたいと思った。

■『僕たちは朝に食べるケーキが好きだった。』郷倉四季

 自作だし、ちょっと長くなっているので今回は割愛。
 編集者の柚子ハッカさん、いわく「純文学+ミステリー要素+SFってどんだけ欲張りやねんw」とのこと。
 確かに。笑

■『十二歳のハローワーク、感情労働者狩り』子鹿白介

 少子高齢化によってアンドロイドである「エモートロイド(emotionとandroidを組み合わせた呼称)」が行政をはじめとする各種サービス業に配置された世界。彼らエモートロイドの仕事は直接的な接客やクレームの対応し、精神を摩耗して使い潰されていく「感情労働者」というものだった。

 作中には登場しないけれど、少子高齢化ということだし、とんでもないクレームを連発してくる高齢者が溢れ返っている世界なんだろうな、と勝手に思いながら読んだ。
 主人公はナギという犯罪エモートロイド駆除業者に就職した女の子で、この世界では労働者の最低年齢の引き下げが行なわれており、中学一年から働いている。

 職業が犯罪エモートロイド駆除業者とあるように、一定の感情労働を行ったエモートロイドは犯罪に走る傾向にあるらしい。
 そんなナギの今回の仕事は路上強盗をした疑いのある多村アヤメという区役所に勤める成人女性型エモートロイドだった。

 SF的な世界観を下敷きに警察小説的な物語が展開していくのだけれど、癖のありそうな上司がいたり、バトルシーンもあって、面白く読んだ。
 読みながら浮かんだのは佐藤究の「Ank:a mirroring ape」だった。最近、佐藤究にハマっていたから浮かぶのがこの辺になってしまう。
 Ankの中でAIが薬物中毒者のカウンセリングを行い、それによって救われた女性が登場し、その女性は製作者の男がなぜ私を救うことができたAIを作ったのか、という疑問から記者になる、というエピソードがある。

 エモートロイドにも製作者はいるはずで、それが明かされる長編小説とか読んでみたいな、と思った。世界観がしっかりとしているので、色んな角度から作品を作れそうで正直羨ましい。
 あと、単純にタイトルも良い。

■『インザエアの秋』横山睦

 文芸誌で小説界の流れを読んでいる人間からすると、SFアンソロジーとは言え、シスターフッド系の作品はあるんじゃないかな? と思っていて、「インザエアの秋」はそんな空気を感じた。

 公園に「ゆずりあってあそぼうね」と書かれている五人の乗りの車のベンチがあり、そこで一休みする中学二年生のアキが主人公。で、その後に同級生で友だちのナツキとフユミが現れ一緒に車のベンチに座って、「早く大人になって免許取りてぇ」とか、「私にはやりたいことや将来の夢がないから……」という会話が交わされる。

 女の子三人の会話劇かな? と思っていると、車のベンチが三人を乗せて過去へ行ったり、未来へ行ったり、金髪の少年マーティが現れたり、アキの好きな男の子ハルくんが現れたりする。

 場所は常に車のベンチで、なんとなく演劇っぽい演出だなぁと思いながら読んだ。最後もまとまっているようで多くの謎を残して終わる。
 個人的に全てが解決しない物語は好き。

 ちなみにタイトルの「インザエア」を調べると、
 in the airとは
 空中に、漂って、広まって

 とのこと。

 言われてみれば、そういう曖昧さが中心にある物語だった。
 読んで浮かんだのは辻村深月の「かがみの孤城」だった。これも現実ではないどこかへ行くことで、傷を癒したり、何かに気づいたりして、現実を少し生きやすくなれるって言う物語だし、未来とか過去とかって流れも似ている気がする(あんまり書くと「かがみの孤城」のネタバレになってしまうなぁ)。

 個人的にアキの好きな男の子ハルくんが好きだったので、なんであんなことを言っちゃったのか、ってのは正直知りたかった。

■『幽霊になった夏休み』管野月子

 力作だった。
 二つの物語があり、それを結ぶ三つ目が最後に語られる形で、二つの一見別々の物語が繋がる形になっている。
 一つは小学一年生の結賢(ユタカ)のもとに幽霊「たぶん平均的な中学生。もしくは背の高い六年生」の男の子が現れ、一緒に夏休みを過ごすというもの。結賢は幽霊を「ユウさん」と呼び、彼の導きで両親が連れて行ってくれない公園や水族館へを巡り、ひと時の楽しい夏休みを過ごす。
 そんなユウさんと別れの時に「五年後に、小学六年生になるキミにおくるよ。目の前の全ては、宝物だ」と告げられる。

 そして、二つ目が五年生の時に祖父母の家で見かけた幽霊の女の子に惹かれ、六年生の夏に祖父母の秋まき小麦を手伝いに訪れる。
 そこで一年前に見た幽霊と同じ顔立ちの女の子、立川洸夏(ほのか)と出会う。彼女との交流の中で、「もし、来年もここで会えたなら、運命、じゃない」という約束をする。

 この一見、繋がりのない二つのエピソードを繋ぐ物語として世界が氷河期に突入し、崩壊へと進んでいく三つ目が語られていく。
 最後まで読むとなるほど、そういうことかと納得できる一作となっている。とくにタイトル。

 一見、関係ないと思った物語が最後に繋がる作品は色々浮かぶけれど、奇をてらわず行くなら、伊坂幸太郎の「PK」が一番、近いような気がする。
 PKは世界を救ってしまうけれど。崩壊一歩手前まで行ってしまう、という点で。

 ――――

 以下、全体の感想。

  いやぁ、面白かった。『五年後に小学六年生になるキミにおくる物語』というテーマがあるから、他の人はどんなアプローチなんだろう? と参加者ゆえの視点で読んだ部分があった。
 けれど、途中から普通の読者として楽しく読んだ。

 改めて振り返ると、テーマが共通しているからこそ、被るモチーフはあって「幽霊」とか「夏休み」とかなんだけれど、やっぱり書き手によって全然違った書き方になるので、毎回なるほどこういう感じか、と勉強になった。

 東山彰良だったと思うけれど、どんな小説家も最初は誰にも頼まれずに書いた一作がある、という旨の話をしていたと記憶している。商業で書かれている方たちは今、少なからず誰かに頼まれて小説を書いている。
 それはそれでクオリティの高い素晴しい作品ができるのは間違いないけれど、同人誌とかデビューしていない人は誰に頼まれるでもなく書いている。
 この凄みってあると思うし、今回のSFアンソロジーには確かにそれがあった。

 本当に素晴らしいSFアンソロジーをありがとうございました。
 また機会があれば参加させていただけたら嬉しいなと思います。

 あ、最後にSFアンソロジーで紙媒体のものなので、読んでいただく為には購入していただく必要があります。
 一応、購入方法を載せておきます。ここまで書いておいて、それを全然言っていませんでした。すみません。

クリックポスト版 SFアンソロジー『五年後に小学六年生になるキミにおくる物語』

あんしんBOOTHパック版 SFアンソロジー『五年後に小学六年生になるキミにおくる物語』


この記事が参加している募集

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。