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【本の感想】資本主義の次に来る世界

資本主義の次に来る世界|ジェイソン・ヒッケル|2023年

【読んで学んだこと、共感したこと、感じたことを書き留めます。
自分のためと読んでくれた誰かとつながったりできることを期待して。】

私が解釈したサマリーは以下の通り。な、ながい。。
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・現在の経済システムの問題点は成長主義
・”成長”は経済を拡大させ続けることを目的にしている。それは複利的に増えていくので、天文学的な成長が年を追うごとに必要になる
・科学者が「プラネタリー・バウンダリー(地球の限界‐地球上で人間が安全に生存できる限界)」として定量化した限界を大幅に超えて資源を搾取している。生物界に破壊的な影響を及ぼしている。世界規模でのエネルギー需要の増加により、グリーンエネルギーなどの新しいエネルギーは転換ではなく追加になっているに過ぎない(もちろん生態系の破壊を防せぐにはテクノロジーは欠かせない)。経済成長と生態系崩壊との関連を示す証拠は本書籍で様々に示されている
・資本家による資本の蓄積を目的とした資本主義は、かつては公共財として誰もがアクセスできていたコモンズを強奪し、生きていくために市民に労働を強いた。この経済システムへの移行は「人間の本質からの発展」として自然的移行があったわけではなく、権力者、教会、資本家による市民からの強奪、搾取のため闘いの末できた
・古代より人はアミニズムと呼ばれる自然との共存関係という思想のもと暮らしてきたが、経済システムを上記に移行させようとする人たちによって、二元論「人間は唯一無二に神に一番近い存在である」というイデオロギーを利用し、人々の存在論(オントロジー)までコントロールした
・世界大戦終結後の復興期、多くの先進国は国民の福利、利益を向上させるために経済成長を利用した(ルーズベルト大統領/進歩的政府)。1980年代からのレーガン大統領やサッチャー首相を主として推進された新自由主義のもと、政府は社会的な目標を使用価値から資本蓄積(交換価値)へと変換した
・生産活動の目的が使用価値を目的としているのが使用価値、資本家が労働者から労働を吸い上げてより多くの利益を蓄積するのが交換価値
・自然も人間の労働力もグローバルサウスの国々も、資本家が搾取するものの対象であるがために、対等ではなく可能な限り安価できれば無料で使用することが理想とされる
・天文学的な成長を求める経済システムにより搾取された生態系はその回復能力を超えて搾取され続けている
・マテリアル・フットプリントを生態系に及ぼすダメージの指標として用いてGDPの成長と生態系への影響の関係を紐解き、GDPの高い国と低い国の格差の縮小を訴える
・現在のCO2の排出量は国の人口規模を反映して評価されるべき。さらには、1980年代以降グローバルノースの国々は工業生産の大半をグローバルサウスの貧困国にアウトソーシングしてきた。地球に与える影響が大きいものとして、これまでグローバルノースが排出してきたものの蓄積。グローバルサウスの国々は気候危機に対してほとんど責任がないにもかかわらず、気候崩壊の影響の大半を受けている
・問題は、成長の限界が近づいていることではなく、成長に限界がないこと。プラネタリー・バウンダリーの範囲内で機能するよう経済を再編成する必要がある。そうでなければ、私たちが依存する地球の生命サポートシステムを維持できない
・成長のための技術革新から、成長要求から解放され別の種類の革新に焦点を合わせる。搾取と生産をスピードアップするためではなく、人間と福祉を向上させるための革新を起こす
・高・中所得国は、成長しなくても全国民に良い生活を提供できる。不平等を是正し、公共財に投資し、所得と機会をより公平に分配する。最富裕層の購買は世界レベルで排出量の削減に影響を及ぼすという試算がある。対して公的サービスのほとんどは民間サービスより炭素、エネルギーの集約度が低い。人間の幸福を左右するのは収入そのものではなく、より良く生きるために必要なものにアクセスできるか。アメリカを例にすると、アメリカ国民一人当たりのGDPは1970年代の2倍になった。しかし40年前に比べ貧困率は高くなり実質賃金は低くなった。世界上位1%の富裕層の年収はこの期間で3倍以上になり一人当たり平均140万ドルに急増。成長主義はイデオロギーに過ぎず、社会全体の未来を犠牲にして少数に利益をもたらすイデオロギーである
・グローバルサウスの多くの国は、平均寿命、公衆衛生、栄養摂取、所得といった多くの重要な指標が望ましいレベルに達していない。けれども、土地、水、エネルギー、物質的資源の消費の点では安全なプラネタリー・バウンダリー内にある。研究により、グローバルサウスの各国はプラネタリー・バウンダリー内かその近辺を維持しながら、主要な人間開発指数を大幅に向上させることができるという結論が出ている
・経済成長が人間の生活を向上させることを期待するのではなく、経済は人間と生態系の要求を中心に組み立てるべき。こうした開発のアプローチはガンジーなど反植民地主義のリーダーが唱えてきたが、もっとも端的に表現したのはマルティニーク出身の革命的知識人ファノン。コスタリカ、スリランカ、キューバ、ケニアなどが先進的な事例
・1950年代~70年代にかけて、グローバルサウスの国の多くで普遍的な社会政策に投資し、医療、教育、水、住宅、社会福祉制度を約束する政策を実施していた。1980年代から始まった構造調整計画(グローバルノウスによるグローバルサウスに対する新たな搾取の仕組み)によってそれらの政策は廃止された。つまりはグローバルサウスの進歩は単に国内政策の問題ではなく、グローバルジャスティスに関わる問題
・世界上位1%の富裕層だけで毎年19兆ドルの収入を得ている。それは世界のGDPの1/4に相当。169か国のGDPの合計より多くその169か国ににはノルウェー、スウェーデン、スイス、アルゼンチン、中東とアフリカのすべての国が含まれる。世界のすべての人が貧困線(1日当たりの所得が74ドル)を上回り、グローバルサウスのすべての人にコスタリカと同との普遍的な公的医療を提供するには約10兆ドル必要。これは富裕層の年間所得の半分でしかない。1%の最富裕層の過剰な年間所得のうち、10兆ドルを世界の貧困層に移すことができれば貧困を一気に終わらせ、グローバルサウスの平均寿命を80歳までに延ばし、世界の健康格差をなくせる。人々の生活を向上させるために全体の成長が必要だという考えはもはや意味をなさない。公平さは成長の解毒剤
・イノベーションを起こすために必要なのは、経済全体の成長ではない。直接投資するか、対象を絞った政策によって投資を推奨する方が理にかなっている
・必要性の低い生産形態を縮小し、強力な社会的成果を支えることを軸として経済を組織する。これがヒッケルさんの説く「脱成長」。脱成長とは経済の物質、エネルギー消費を削減して生物界とのバランスを取り戻す一方で、所得と資源をより公平に分配し、人々を不必要な労働から解放して反映させるために必要な公共財へ投資を行うこと。DGP成長は減速、停止、あるいはマイナスに転じあるかもしれない。不況がおきるのは成長に依存した経済が成長を止めた時。脱成長はそれとはまったく異なる全く別の種類のそもそも成長を必要としない経済に移行すること。際限のない資本の蓄積ではなく、人間の繁栄と生態系の安定。資本主義は使用価値ではなく交換価値を中心とするシステムであることを思いだそう
・移行のステップ
STEP1:計画的陳腐化を終わらせる(製品が定期的に売れるように製品の寿命をコントロールすること)
STEP2:広告を減らす
STEP3:所有権から使用権に移行する
STEP4:食品廃棄を終わらせる
STEP5:生態系を破壊する産業を縮小する
・脱成長は結局のところ脱植民地化のプロセスだと考えざるを得ない。資本主義の成長は常に領土拡大の論理を中心として組み立てられてきた。資本が自然の領域を次々に蓄積の回路へ引き入れるにつれて、土地、森林、海さらには大気さえ植民地化されてきた。過去500年にわたって資本主義の成長は、囲い込みと奪取のプロセスであり続けた。脱成長とはこのプロセスを逆転させること。そして単に経済をめぐる闘いではない。人間の存在論(オントロジー)をめぐる闘い
・人間は驚くほどさまざまな場所で生態系に配慮する言い方を発展させてきた。慈善の精神からではなく、生物が美しいからでもなく、すべての生き物が基本的に相互に依存していることを理解しているから。私たちが「経済」と呼ぶものは、人間どうしの、そして他の生物界との物質的な関係である。その関係をそのようなものにしたいか、と自問しなければならない
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この本を読んで私が考えたこと↓
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★個人的にとてもおすすめな本。たくさんの人に読んでほしい

★上のサマリーは、だいぶはしょったり、書き方のせいでわかりずらい部分も多いと思いますが、歴史からの今の人間のマインドセットや利権に縛られずに地球と経済システムの現状を素直に捉えて未来に向かって思想と行動を(良い方に)変えようとしたら、ヒッケルさんの提言がひとつの指針になるのではないかと思いました

★社畜にもならず&低所得にあえぐこともなく、地球環境にも負荷をかけず、地球にいる人全ての社会福祉が担保できる経済システムについて、そしてそのシステムへの移行についての根拠、方法、フィジビリティが丁寧に論理的に説明されていて前向きな気持ちになります。どんな反論ポイントがあるのか私の知識ではわからなかったので、ご意見シェアいただける方お待ちしています!

★「資本家による資本の蓄積を目的とした資本主義」への移行についての記述は、資本家や権力者など傲慢で自己中心的でアブラギッシュな人々の姿が頭に浮かびとても気持ち悪くなった

★今の経済システムで生きているということは、自然に負担をかけているということは身に染みて感じられることだけど、「自然は神に一番近い存在である人間が好きなだけ搾取していいもの」という思想に組み込まれているということを知り、頭を机に叩きつけたい気持ちになった

★南アフリカからモザンビークまでバスで移動しているとき、野生のキリンとカバとシマウマを見てから動物がすごい好きになった。動物園は最近全然行っていないけど嫌いだったから。毎月微々たる額だけどWWFに寄附させてもらってるんだけど、もっと地球のためにできることをしたい。全動物さんは友達だと思っている。地球と人間以外の生き物(個人的にはあまり興味がわかないミジンコとかも含めて!)にとってやなやつでいるのはいやだ

★経済システムを変えるというのはとても大きなことだけど、個人が日々の生活の中でできることはたくさんありそう。食品ロスを出さないようにする、できるだけ物は大切に長く使う&シェアリングサービスを利用する、商品と企業を様々な視点で評価する、ごみはきれいに出す、皆さんすでに意識していることだとは思いますがそういう些細な事を大切にすることから取り組んでいく

★カバーを外すと写真通りのライム色。内容とこのライム色がとてもマッチしている気がしてすごい素敵(どうでもよすぎる個人的な感覚w)


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