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失恋から始めるわたしのはじめかた㊷~あとがき編~(完)


あとがき編。

「お姉ちゃんの第二章の始まりだね」

という妹の言葉から始まったわたしの第二章。
その後どうなっているのか少しお話ししようと思います。


芝居の為に、自分をいい加減に本気で自分の考え方変えなきゃいけないと思って、自分の自信のなさの根源と向き合った2月末。

3月🌸
その後すぐにその成果が表れて自己否定せずに自信もって芝居が出来るようになった・・・
という訳でもなく、どちらかというと絶賛不調だった。
なんで自信もってできないんだろう。
折角わたしは自分の根源と向き合ってきたのに、なんで…!
とさめざめと泣く日々だった。
なんかいろんなことが上手くいかなくて、親への手紙、やらない方がよかったんじゃないか、とちょっと思ったりもした。

でも、筋肉鍛えた時に、筋肉が一回壊れるみたいなやつだったんだと思う。

4月📚
段々と芝居の筋肉が再生されると、前とは違った段階に行けるようになった。

5月🎏
ドラマのレギュラーエキストラのオーディションに合格した。
(主人公の会社の社員役など、メインの人のいつも後ろにいる人)
ほとんど映らないけれど、レギュラーなのでドラマの仕組みなど学べる。
ドラマに出てました、とはなかなか言えないの映り込みだけど、すごく勉強になった。やっぱりメインでカメラを向けられる俳優になりたい。

6月🎐
ふとドラマ撮影と仕事を終えて家に帰っている夜道の途中、
「あれ、わたし幸せじゃん。」といきなり気が付いた。
好きな仕事して、好きなことやって、好きな人と話して、これからやりたいこともある。
売れてないし、結婚してないし、子供もいないけど、
「あれ、わたし今幸せじゃん。」と。

あの時の感覚は今でもよく覚えている。
いつもの帰り道が全然違って見えて、違う世界に足を踏み入れた新鮮な感覚で、踊れちゃうくらい軽い足取りで家に帰った。

今、入れてもらっている事務所に、お願いしようと決めた直後だった。
その前色々な事務所も紹介されたりして色々迷ったけれど、自分の直感で、ここだと思った感覚を信じて入れてもらうことにした。
自分の直感を信じて、自分で選ぶことが出来たことがなんか自信になったんだと思う。

7月🎑
名古屋でワレワレのモロモロ(自分のエピソードを舞台化する企画)の舞台が行われることが分かり、オーディション用紙に「失恋から始めるわたしのはじめかた」のことを書いた。

8月👘
そのオーディション。
→合格!!

10月🍂
「失恋から始めるわたしのはじめかた」を名古屋で舞台化した。

これでいったん一区切りまたつくのかと思いきや・・・


「失恋から始めるわたしのはじめかた」を舞台でやった直後、わたしはインフルと溶連菌にW感染し、1週間ダウンした。
そして、体の不調がめちゃくちゃ心の不調に繋がってしまった。
また過呼吸みたいになるし、焦燥感がすごくて、外に出るのが怖くなった。
オーディションにも怖くて行けない。
マネージャーさんにちょっと休ませてください、と言って少し案件をストップしてもらった。
お芝居のトレーニングも1週間休ませてもらった。

精神科に逆戻りするかと思った。
精神科の予約とるまではしたから。。

でもその後、友達になんとか外に連れ出してもらって、やらなきゃいけない事をしたら、ちょっとづつ回復して、取ってた精神科の予約もキャンセルして大丈夫になった。

思いっきり引きこもったのは2週間弱くらいだと思う。
でもあんなにダウンすると思わなかった・・・
びっくり・・・

「失恋から始めるわたしのはじめかた」を世に出してから、思ってもみない反応がたくさん来て、なんだか傷ついてしまったのだ。
作品を観客にどう見てほしいか決まっているなんて、脚本家あるまじき思考だと思うけど、多分、わたしは自分が思っている以上に、作品を自分と同じ目線で見てもらいたかったんだと思う。

自分と温度差が違う感想を聞いたり、でもそれって結構ある事だよね、と言われたりすると、自分が本当に苦しんできて7年が、たいしたことない事で過剰に苦しんでた大げさな7年に思えて、自分がみじめに思えてしまったのだ。

多分、作品と作者の距離が0で、ダイレクトにダメージを受けすぎたんだと思う。
作品はあくまで作品であって、わたしの生み出した創造物であるから、わたしの人生そのものではない、ややわかりやすく脚色されたものだし、すべてを書ききっているわけでもない事を自分で理解出来ていなかった。

なんかちょっとやらなきゃよかったんじゃ、とかまで思ったりもした。
7年来の願いがやっと叶ったお芝居だったのにこんなこと思ってしまう自分にまたショックを受けて、動けない。

でもまた、筋肉鍛えた時に、筋肉が一回壊れるみたいなやつだったんだと思う。

なぜならこの毒を出し切った後、わたしはとても自分に正直になれるようになったから。


2024年1月🎍
お正月で実家に帰った時、私的に思いっきり親に甘えられた出来事があった。
姪と甥を寝かしつけられなかった時だ。
あまりに寝かしつけられなくて、親の前で大泣きしたのだ。
「どうせわたしなんか姪甥を1日でも寝かしつけられませんよ。」と。

今までの私なら、家族の前では我慢してニコニコして涙を見せず、自分の部屋に帰ってから声を殺して泣いていた。
わたしが不安定になっている姿を見せてこなかったのだ。

でも、その時は、もう親に思いっきり泣きついてやろう、わたしのありのままの不安定な様子をみてもらおうと、号泣して早口で「私なんてもうダメだ。どうせ結婚なんかできないし、子供も持てないし、子供産めたとしても子育てなんかできないんだ。もう私なんか生きている意味ない…エトセトラ」と言えた。(笑)

父は「お前も大変だな…」
と言ってくれて
母は「そりゃ(34歳は)焦るよね…」
と受け止めてくれた(笑)
(引いてたのかもしれない笑)

それがどうしたって感じかもしれないけれど、私にとってはまたすごい大きな一歩で、親に甘えられた!!今年は実家に帰った時に純粋に親の事を好きだなと思って過ごせた!!と、とても喜んでいた。

前回の記事にも書いたけど、やっぱり幼い頃の「おとーちゃんだいすき、おかーちゃんだいすき」の感覚を取り戻したいのだ。

別に好きかどうかはどっちでもいいと思っているけれど、安全基地として無理やり機能させた感じだ。自分の安全基地をもう一度ちゃんと作り直せている気がする。

ワレモロの演出家で私がとても好きな劇団主催の岩井さんに、それを報告したところ
「水谷さん(私)はそうやってどんどん軽くなっていくんだね。」
と言ってもらえた!
すごく嬉しい言葉だった!そして素敵表現!さすが!
わたしはあの嬉しさを一生忘れないと思う。

それから私は今年はどんどんいろんなことにチャレンジする年にしようと思い、思いついたら旅行に行きまくり、震災直後の金沢にも行き、仕事を変えることにして、住む場所も変えることにした。
なんだか、今いる場所でやることが終わった感じがすごくしたのだ。

2月🤎🤎
その後なんだかまたどんどん性格が明るくなっている。
引っ越しやジョブシフトで忙しいし、相変わらずお芝居のトレーニングも大変だ。
今まで住み慣れたこの街から離れるのは結構寂しい。
でも、甘えたいときは甘えるし、嫌なことは嫌と自分で判断できるようになってきた。
今はまだ何かを成し遂げたとか、お芝居で活躍で来ているとかはないけれど、絶対にこれから私はいい方向に向かうと思う。
だって、自分の一番の味方が自分でいられているんだもん。

3月🌸🌸🌸
そしてこれから、引っ越しもして、新たな場所でまた、私をどんどん素敵にさせていけると思う。
わたしはわたしを最大限に輝かせるために、これからも頑張っていこうと思います^^
応援よろしくお願いします!!

「失恋から始めるわたしのはじめかた」(本当に)完!!

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