6歳の娘が言った「1+1=3」を考察。学びの本質が見えた話し
6歳の娘が、小学1年生になり2ヶ月経過。
体力も脳ミソもどんどん成長する子供の姿は、本当に羨ましい。
子供は、大人が忘れかけていた大切なことを日々、思い出させてくれます。
今日は、娘の何気ない一言から学びの本質が見えたお話しです。
娘が放った一言「1+1=3」だよ!という言葉
関東から人口3,000人の豪雪地帯の村に移住し6年経過。自然と共に生活し冬になるとスキーで遊ぶ。2歳から始めたスキーもたいぶ滑れるようになり家族で一緒に雪山で遊べるようになった。
4月の春スキーのある日、一緒にリフトに乗りながら小学校での楽しい話しをたくさん教えてくれた。
そんな中、娘からふとした一言を放つ。
娘「パパ、1+1=3で良いんだよね」
僕「3じゃなくて2だよ」
(と笑いながら答える。)
娘「2じゃないよ。だってママとパパから産まれたから3でしょ」
(と。パパは分かってないねというような全否定口調)
僕「・・・」
何も答えられず。(心の中で足し算ってなんだっけ?!と初めて思う)
1+1=2は常識であるという答え
娘からの一言「1+1=3」
これに何故、僕は答えられなかったのか。帰宅後にたくさん考えたけど答えがでない。
答えがでないことの答えは「常識だから」に最終的にたどり着いた。
つまり僕達は、義務教育の算数で1+1=2は常識だと教え込まれてきた。
常識とは
社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。(Wikipediaより)
本来、常識を疑うのが学問なのでは?という問い
1+1=2だとする学問ならば、1+1=2ではないことも学問なのではという問い。
1つの正解を証明する学問とその正解は不正解であるという学問。両方とも学問としてはイコールであるということ。
僕たちは、義務教育で正しい(常識)答えをたくさん学んできた。しかし、その答えを疑い新たな答えを出すことも学問。
つまり、常識だけではなくそれぞれ探求することに学問の面白さと答えがあるということ。
つまり僕は、常識を疑うという学びの大切な本質を忘れてしまっていたことに気がついた。いつから忘れてしまったのだろう。
では、なぜ1+1=3だと思うのか?!
1+1=2ではなく、1+1=3と答える理由を推測すると恐らく、常識を教え込まれる前に何かしらのジブンゴト化できる実体験が先に来ると常識とは別の答えが発生する。
例えば、
我が家で毎晩、楽しんでいるウボンゴ3Dというパズルゲーム。3つのブロックを上手く組み合わせると下記の写真のように1つのキレイな塊になる。
つまり、先程の理論で言うと「1+1+1=1」であるということ。
もう一つの例だと
下記のキャンプを楽しんでいる家族。お母さんの背中には恐らく0歳の子供がいる。背中の子供が産まれる前は「1+1=4」であり産まれたあと「1+1=5」になる。もはや僕には分からない。
まとめ:学びは覚えるのではなく考えること
娘がリフトの上で言い放った「1+1=3」だという答え。この答えを通じて僕は大人になる途中のどこかで「学びの本質」を忘れてしまっていたことに気がついた。
学びとは、常識を「覚えること」ではなく「考えること」であり教えるとは、「詰め込むこと」ではなく「引き出すこと」だと。
子供は、本当に大切なことを大人にいつも教えてくれる。もう我が家は、子育てという言葉を使うのをやめよう。
親が子育てから学び、子供も親も一緒に成長していく「親育て」と呼ぼう。そして常に常識を疑おう。これこそ面白い学問だ。
そんなキッカケになったリフトの上での娘の一言でした。
ー終わりー
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