AZEN

中学校国語教師。バイク乗り。時々、旅人。

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中学校国語教師。バイク乗り。時々、旅人。

マガジン

  • 蟻を見つめていた頃

    20年前に書いたエッセイ。一部加筆修正。 ★は2017年以降、新たに書き下ろしたエッセイ。

  • Kaori Hada

    中学2年生の羽田香織さんが院内学級の国語の授業で書いたエッセイ。原文は点字。佐瀬が墨訳。

  • 短編集

    短編小説

最近の記事

本好きな生徒を育てる

先日、いかに、学校図書館を活用するかという、区の学校図書館司書教諭研修を受けながら考えていた。中学校段階で本に縁が無い生徒を、教育の力で本好きな生徒に豹変させることは可能だろうか? 私は、可能性は0ではないが、かなり難しいのではないかと考えている。 今や、生徒の周りには、本よりも安易に楽しさを享受できるアイテムがあふれている。スマホ、ゲーム、アニメ、インターネット、漫画、etc。それらの楽しみよりも、本を読む方が楽しいと考える中学生は、かなり少数派になるのは自明の理である

    • 中学生と規則

      今日、授業をしていたらこんな場面があった。 1年生の文法単元。前の時間に、次回は問題集を使うことを予告していた。そこで、「これから問題集を使うので出しなさい」と言うと、「(教室前の廊下にある)ロッカーにありますが、廊下に出ると、着席違反になるので取りに行けません」という答えが返ってきた。 1年生では、授業開始のチャイムが鳴る前に、授業に必要なものを準備して着席することが規則として指導されている。違反すると、生活委員にチェックされ、帰りの学級活動で反省の弁を述べねばならない

      • ★教育という営み

        「校長のパワハラと闘っています」と人に話すと、「とてもアグレッシブな方ですね」「パワフルですね」という反応が返ってくることが多い。 しかし、私自身は、人よりアグレッシブであるとか、パワフルであるという自覚はまったく無い。というか、元気なときも、たまにあるが、落ち込むことも多い。ごく普通の人間である。 ではなぜ、校長のパワハラと闘うのか?というと、「許せないから」である。 それは、自分に対してパワハラしてくる校長が許せないのではなく、子供をそっちのけでパワハラにいそしんで

        • ★人柄の善し悪しと仕事の能力

          「あの人は性格が良くて仕事ができる」こんな人がいたら、文句のつけようがない。 普通の職場には「性格は悪いけど仕事はできる」人と、「性格は良いけど仕事はできない」人が多く存在する。 周りを見渡して見ると、日本人は、他人を判断するとき「仕事の能力」よりも「人柄の善し悪し」の方に重きを置いているのでないかと思われる。利害の伴わない友達同士ならばそれで良い。長く付き合っていく上で、最重要ファクターは人柄である。 しかし、職場の人間関係となると仕事の能力も無視できない。 民間企

        本好きな生徒を育てる

        マガジン

        • 蟻を見つめていた頃
          79本
        • Kaori Hada
          3本
        • 短編集
          3本

        記事

          ★国語科教師の本分

          国語科教育とは何か?私は、大学卒業以来30年間、国語教師として国語を子どもたちに教えてきた。国語を英語に翻訳するとjapanese。つまりは、中学生に30年間、日本語の授業をしてきたのである。 そして、今もって、「国語の授業は、他の教科に比べて、指導法があいまいで、教師の力量(教え方の善し悪し)に左右される」教科だなと感じる。数学や英語、理科、社会は、教師が変わっても指導法が180度違うということは起きない、と思う。でも、国語にはある。もちろん、教え方のうまい先生では理解が

          ★国語科教師の本分

          ★子どもに不適応な学校システム

          子どもが不登校になるのは、子どもが学校に不適応を起こしているのでは無く、今の学校システムが、子どもに不適応だからであると感じています。 「学校は先生が子どもに勉強を教える場所」日本人なら誰でも知っている神話が、今崩れようとしている。子どもたちが学校から去り始めている。 学力重視の日本の教育機構。その中にすっかり組み込まれて歯車と化した教師、原動力となる親の期待。今の学校は、正に秀才製造機と呼ぶにふさわしいマシーンでる。機械に入れられた子どもという素材は、まず個性と自由をそ

          ★子どもに不適応な学校システム

          ★教師の雑談力

          教師には営業マンと同じくらいの雑談力が必要であると私は考えています。教師が毎日行う授業。学習指導要領に基づいて作られた教科書がありますから、その内容を解説しつつ進行して行くのが授業のセオリーなのは言うまでもありません。しかし、教科書しか教えない教師は子どもに好かれることはありません。 私が高校生の時、林田(はやしだ)先生という初老の男性教師が地理を教えていました。林田先生は、全く抑揚のないイントネーションで、お経のように、教科書に忠実に、ひたすら地理の話をし続けました。

          ★教師の雑談力

          ★教員採用試験の倍率が下がるということ

          団塊世代の大量退職期に伴って、10年ほど前から大都市圏では新規教員の採用数が増加している。東京都の小学校全科で見ると、毎年1300人前後の採用数で、応募者数に対する採用者数倍率は3から4倍で推移している。30年前は約10倍。比べるまでもなく低倍率である。東京都では、教師養成塾と称して優秀な教員志望者を大学4年生から青田買いする施作を実施しているが、焼け石に水である。 教員採用試験の倍率が下がるということは、教員の質が下がるということを意味している。昨今、新規に設立された

          ★教員採用試験の倍率が下がるということ

          ★学校はこんなとこ

          はじめに 「学校に行ったら先生の言うことをよく聞くのよ!!」 私が小中学生を過ごした昭和時代、母親は登校する我が子の背中に向かって、そう呼びかけた。 昭和の親にとって、学校は、子どもを預けておけば、勉強を教えてもらって我が子が賢くなり、さらには、集団生活をすることにより聞き分けが良くなる、つまり、しつけまできっちり叩き込んでもらえる場所であった。また、子どもたちも、学校は毎日行くべき場所であり、授業は静かに受けるべきものであり、先生の言いつけに背いたら、叱責、時には体罰

          ★学校はこんなとこ

          ★「楽しく生きる」か「楽に生きる」か

          皆さんは、「楽しく生きていますか?」と質問されたとき、自信を持って「はい!」と言いきれるだろうか。 私の周りの多くの人は、「本当は○○がやりたいのだけれど、それでは食べていけないので、何となく今の仕事を続けています」と答える。つまり、「楽しく」生きるよりも「楽に」生きる道を知らず知らず選択している。あるいは、選択しなければ生きていけないと、思い込んでいる。 彼らに「人生やりたいことをやって生きましょうよ!」と言うと、ほぼ寸分違わず「私には無理です!」という、自信に満ちた言

          ★「楽しく生きる」か「楽に生きる」か

          多数決の恐怖

          ★この文章を書いてから20年。全く進歩が感じられない世の中に愕然とする。先日行われた衆院選。多数決が出した結果は、前政権の継続である。私はこれが最良解であるとはどうしても思えない。 無関心は民主主義を麻痺させる。投票率が50%に満たない選挙では真の民主主義は機能しない。政権与党はそれが分かっていてあえて何も手を打とうとしない。60年、70年安保の時代。多くの大学生が政治に反発して行動した。今よりも民主主義は機能していたのかもしれない。 ------------------

          多数決の恐怖

          ★宗教と人間 ~創価学会考~

          私の叔父は創価学会員である。幼い頃から叔父は仏法の話をしてくれた。教員になってからも、折伏を受けた記憶がある。 私が小学校3年、4年の時の担任も熱心な創価学会員である。やはり何回かお誘いを受けて、若い頃は集会にも参加した。「創価学会という宗教の本質とは何か?」を知りたかった。 一度、巣鴨の大講堂に行ったことがある。200畳はあろうかという広間に、信者がびっしり座っている。壇上に久本雅美氏が登場すると万雷の拍手。「~ではありませんか!」と久本氏が呼びかけると、また、万雷の拍

          ★宗教と人間 ~創価学会考~

          ★思考フレーム

          人は誰でも、今まで生きてきた経験に基づいて、おのおの思考のフレームを持っている。経験は人生の長さに応じて増えるので、年長者は若年者より比較的広めのフレームを持っているのが「普通」である。 しかし、これは、あくまで「普通」なのであって「絶対」「必ず」ではない。人の中には、自分に厳しい経験を糧にして自己研鑽できる人と、他人のせいにしてスルーしてしまう人がいる。前者は常に成長を続けて思考のフレームを広げていけるが、後者はある時点で成長が止まる。 と言うわけで、学生時代には目立た

          ★思考フレーム

          ★温故知新

          私が好きな諺に「人間万事塞翁が馬」と「禍福はあざなえる縄のごとし」がある。 どちらも。「幸不幸は交互に訪れる。幸福が不幸の契機になったり、不幸が幸福の入口になっていたりする。その只中にいる時には分からない」と言う意味である。 この三日間、10年ぶりに持病の発作(と言っても命に関わる病気ではありません)で休んでいる。10年前に初めて発作が起きたときは、学校では無く教職員研修センターで研究生という仕事をしていた。別の文章に書いたが、その時は慇懃無礼な指導主事と闘っていた。その

          ★温故知新

          ★慇懃無礼(いんぎんぶれい)

           慇懃無礼とは、言葉や態度などが丁寧すぎて、かえって無礼であるさま。あまりに丁寧すぎると、かえって嫌味で誠意が感じられなくなるさま。また、表面の態度はきわめて礼儀正しく丁寧だが、実は尊大で相手を見下げているさま。  私は約30年教師をしている。学校で働いている限り、あまり、慇懃無礼な人物に出会ったことがない。しかし、役所で働いたとき、あるいは、役所の人間と関わるときに、慇懃無礼な人物に遭遇する確率が高い。  約十年前、私は、道徳の研究をするために、教員研究生という立場で、

          ★慇懃無礼(いんぎんぶれい)

          ★次元上昇を阻むもの

           本田健さんのセミナーに行ってきた。今回で三回目。テーマは「次元上昇」について。  社会で成功を収めている人は、それまでの人生で何度か次元上昇を体験している。次元上昇とは今まで生活していたレベルから一つ上のステージへ引き上げられる現象である。日本の平均サラリーマンの生涯年収は2億円程度と言われている。それ以上の収入を望むなら、"普通”の生活をしていては難しい。  次元上昇に伴い、物事の考え方が変わり、結果、付き合う人のタイプが変わり、趣味嗜好が変わり、行く場所が変わり、ビ

          ★次元上昇を阻むもの