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★教師の雑談力

教師には営業マンと同じくらいの雑談力が必要であると私は考えています。教師が毎日行う授業。学習指導要領に基づいて作られた教科書がありますから、その内容を解説しつつ進行して行くのが授業のセオリーなのは言うまでもありません。しかし、教科書しか教えない教師は子どもに好かれることはありません。

私が高校生の時、林田(はやしだ)先生という初老の男性教師が地理を教えていました。林田先生は、全く抑揚のないイントネーションで、お経のように、教科書に忠実に、ひたすら地理の話をし続けました。その話術に引き込まれた生徒たちは、ことごとく睡魔に襲われ、深い眠りの底へと引きずりこまれるのでした。私の地理の成績は…忘れましたが、良くはなかったと思います。いつしか、生徒たちは、林田先生を「催眠術師リンダ」と呼ぶようになりました。

学生時代の授業で何を覚えていますか? と問われると、多くの人は、授業の本題ではない、「先生の雑談」が思い浮かぶのではないでしょうか。

私は、意識的に雑談を織り交ぜながら授業をしています。教材の内容が生徒の生活とかけ離れていれば、それを埋めるような雑談を織り込みます。例えば、竹取物語で五人の貴公子が求婚をする場面があります。かぐや姫はそれぞれに難題を出し、この世にあるかどうか定かでないものを持ってこられたら結婚してあげると告げます。これだけしか教えなければ、生徒は「かぐや姫は自己中な女だ」という印象をもってしまうかもしれません。しかし、当時の結婚制度を雑談で教えると、印象は変わります。当時の貴族は一夫多妻制です。五人の貴公子は、かぐや姫を第一夫人にしたいと思った訳ではありません。美しいから何番目かの妻に欲しいと考えたのです。最近、日本人との結婚を発表した、ギニアのオスマン・サンコンさんのように。

また、子どもの興味が湧かない教材で、授業への集中力が切れてきたら、「そういえば、もうすぐアムロちゃんが引退するよね。もったいないと思わない? 」と、授業を離れた話題に変え2、3分間、教室の空気を変えます。そして、また、授業へと戻ります。

今まで、「雑談」と言ってきましたが、実際には、幅広い知見に基づいた補助説明、あるいは、授業への集中力を持続するためのテクニックです。「雑談」という言葉には、「してもしなくてもいい話」「時間つぶしにする話」というイメージがありますが、授業における「雑談」は違います。あくまで、子どもたちを授業に引き込むための話術であり、落語におけるマクラに相当するのです。決して「無駄な話」ではありません。

授業で魅力的な「雑談」をするためには、子どもたちが、今、何に興味があるのかを敏感に捉え、常にアンテナを張り巡らせておく必要があります。だから、「雑談」がうまいと評される教師は、優れた教師だと言うことができるのです。

我が子を教えている教師達は、子どもそっちのけで、タラタラとお経のようにつまらない説明をし続ける教師なのか、子どもたちをぐいぐい授業に引き込める話術のある、「雑談」がうまい教師なのか、是非リサーチしてみることをお勧めします。

学校教育には矛盾がいっぱい!