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★学校はこんなとこ

はじめに

「学校に行ったら先生の言うことをよく聞くのよ!!」
私が小中学生を過ごした昭和時代、母親は登校する我が子の背中に向かって、そう呼びかけた。
昭和の親にとって、学校は、子どもを預けておけば、勉強を教えてもらって我が子が賢くなり、さらには、集団生活をすることにより聞き分けが良くなる、つまり、しつけまできっちり叩き込んでもらえる場所であった。また、子どもたちも、学校は毎日行くべき場所であり、授業は静かに受けるべきものであり、先生の言いつけに背いたら、叱責、時には体罰を受けるのは当然の結果であると信じて疑わなかった。

おまけに、先生から怒られて、親に電話された日にゃあ、家に帰ってまで父親から大目玉を食らうことを覚悟せねばならなかった。

そんな昭和時代の学校は、一度就職したら、定年まで、企業戦士として、文句を言わず会社に滅私奉公する人材をせっせと輩出し続けた。その人材は右肩上がりに成長する日本経済を支え続けた。勤勉で真面目な日本の工場労働者が作る「Made in Japan」の商品は世界に輸出され高い評価を受けた。

今から30年前の1989年、時代は昭和から平成に変わった。そして、その年の4月。平成元年度がスタートしたのと同時に、私は教師になった。教師になりたての頃は、古き良き昭和の香りが学校に残っていた。就職すると同時に「センセイ」と呼ばれる立場になった若造の私を、生徒も保護者も温かく歓待してくれた。学校は今よりも世間から厚く信頼されていたため、コンプライアンスなどという言葉は、まだ無く、現在のようなアリバイ証明するための無駄な書類を書く必要はなかった。今の学校よりも確実に「ゆとり」があった。大学で学んだ知識を披瀝するだけの、生意気で、何の威厳も説得力も指導力もない若先生でも、日々楽しく仕事をすることができた。

平成10年を過ぎた辺りから、社会情勢が変わり始めた。インターネットと携帯電話の普及で、情報の集まり方、人間同士のつながり方が変わってきた。ものづくりの拠点は国内から人件費の安い海外に移り、日本の会社では、マニュアル通りに真面目に働く人材よりも、コミュニケーション能力が高い、アイディアを生み出すことのできる人材が求められるようになり始めた。

話を学校に戻そう。平成2年から8年まで。私は都立盲学校(視覚特別支援学校)で勤務した。のちに詳しく触れるが、とある先輩教師と対立した私は、日々感じたことをエッセイに書いた。そして、時は流れて平成30年。20年前に書いた自分のエッセイを読み返した私は、時代の変化についていけていない旧態依然とした学校に愕然とした。20年前、私がエッセイに綴った教育の問題は、そっくりそのまま今も学校にある 。

いじめは無くならずネット絡みで複雑化し、不登校生徒は増え続け、教師の指導で生徒が自死を選ぶ「指導死」なる言葉まで登場していている。学級崩壊はどの学校でも普通に起こり、尊敬に値する管理職には滅多にお目にかかれない。

昭和時代、子どもの頃に観ていた「太陽にほえろ」のボスこと石原裕次郎さんが亡くなった年齢になろうとする私は、松田優作さんが演じる、、ジーパン刑事が殉職間際に叫んだ「なんじゃこりゃあ」を日々何度もつぶやいている。

その結果、現在の学校は子どもと保護者の信頼を失いつつあり、「働き方改革」に逆行したブラック職場と呼ばれ、教師を選ぶ若者は減少傾向にある。時代の先端を行く民間社会人と、昔取った杵柄で飯を食う教師とのギャップは広がるばかり。

学校の情報はインターネットであっという間にものすごいスピードで拡散する。自分が住んでいる地域外、日本全国の学校情報を瞬時にググることができる。生徒たちは放課後も、教師が知らない様々な情報をSNSを介してやり取りしている。

しかし、嘆いてばかりいても世の中は変わらない。学校は子どもたちを大人にする場所として、これからも大きな役割を担う責任がある。今、学校教育や子育てをどのような問題が取り巻いているのかを、冷静に分析し、未来の人材を育てる重要な機関としての役割を果たすために何が必要なのかを本書を通して、考えてみたいと思う。

「教育は国家百年の計」というと、やや大袈裟だか、子どもが健やかに成長し、幸せな大人になることは多くの大人が求める共通の願いである。戦後の焼け野原から、目覚ましい経済発展を遂げ現在の日本を築くために、教育が果たした役割は大きい。つい先日、ロシアW杯では、ロッカールームやベンチを清掃する日本人が賞賛を浴びた。世界的に見ても日本の教育システムは優れているのである。

国家百年の計は政治家に委ねるとして(現政権はあまり頼りにならないならないけれども)、まずは、我が子の子育て、我が子が通う学校をいかに良くするかその方法を微力ながら提案したいと思う。「へぇ、なるほど」「そりゃ違うだろ」とツッコミを入れながら読み進めていただけたら幸いである。


学校教育には矛盾がいっぱい!