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多数決の恐怖

★この文章を書いてから20年。全く進歩が感じられない世の中に愕然とする。先日行われた衆院選。多数決が出した結果は、前政権の継続である。私はこれが最良解であるとはどうしても思えない。

無関心は民主主義を麻痺させる。投票率が50%に満たない選挙では真の民主主義は機能しない。政権与党はそれが分かっていてあえて何も手を打とうとしない。60年、70年安保の時代。多くの大学生が政治に反発して行動した。今よりも民主主義は機能していたのかもしれない。

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多数決。読んで字のごとく多数の意見によって議決を行う方法である。「多数決=民主的な決め方、正しい決め方」と考えている人は多いのではないだろうか。しかし、多数決は、使い方を誤ると、悪意のある独裁主義に陥りかねない危険をも合わせ持っている。

 世の中いつも正義が多数になるとは限らない。例えば、オウム真理教の場合、多数の信者は「自衛隊は我々を毒ガス攻撃している。」とか「公安当局は、我々に不当な弾圧を加えている。」あるいは、「ハルマゲドンが起こる。」という教祖の言葉を真剣に信じていた。その中で、自分のしていることの愚かさに気付いて脱会しようとした信者が何人も殺されている。しかし、殺人を行った信者は、その時、罪を犯しているという意識をほとんど持っていなかったという。多数の論理が引き起こした恐るべき事件である。

これは宗教法人という特殊な組織だけのできごとではない。会社や学校等、私たちの身の回りのどんな組織にでも起こりうることである。例えば、学校での「いじめ」の問題。過日のTBS系ドラマ「金八先生」でも取り上げられていたが、「いじめ」のあるクラスの中では、「きちんと注意する」というごく当たり前の考え方が少数派となり、異端視されてしまう。これは身近な問題だけに、さらに恐ろしい事実である。

 民主主義とは、多数を尊重して少数を無視することではない。少数派の意見にも耳を傾け、多数に反映させていくことである。特に組織の管理的立場にある方、あるいは学校の先生方は、その点を強く肝に銘じて人に接してほしい。

 日本は民主主義が始まってまだ50年である。日本に真の民主主義が根付くためにはあとどのくらいの時間が必要なのだろうか。



学校教育には矛盾がいっぱい!