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なぜいま「映画館」を顧みるのか──「娯楽の殿堂・世界館」、そして「初期動画」研究としての地方映画(館)史

鳥取市歴史博物館で開催中の展覧会「ここが発信地!娯楽の殿堂・世界館──ノンフィルム資料に残された、鳥取の老舗映画館の足跡」を再見した。その際に感じたことや考えたことを備忘録的に残しておきたい。殴り書きのため、思いつきにすぎない箇所や混乱した箇所も多いが、ここ数年目指してきたことの大枠は描けているのではないかと思う。


展覧会「娯楽の殿堂・世界館」

展覧会「ここが発信地!娯楽の殿堂・世界館──ノンフィルム資料に残された、鳥取の老舗映画館の足跡」は、私が2021年に始めた「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」の共同企画者でもある杵島和泉さんが独自に考案・企画した展覧会で、鳥取市内で現在も営業を続ける唯一の映画館「鳥取シネマ」の前身である「世界館」の歴史を辿っている。私は設営やトークイベントの手伝いをしていたので、すでに展示も見ていたが、今回、あらためて一人の「観客」として会場を訪れ、新鮮な気持ちで作品や資料と向き合うことができた。

「ここが発信地!娯楽の殿堂・世界館」会場風景

鳥取市歴史博物館地下一階の会場に並ぶのは、同館が寄贈を受けた世界館の興行日誌や写真アルバムなどの資料、Claraさんと湖海すずさんによる世界館をモチーフとしたイラスト、鳥取市内の映画館のあった場所を現在の地図と風景から辿る3分ほどの映像作品、そして、かつての新聞広告から引用された「暴れ出した世界館」「本当に面白くない映画」などユニークな文言が記されたパネルである。一文一文は短く、断片的なものでありながら、どこかコピーライター(映画館主?)の人柄が窺えるような、絶妙な言葉の選択が為されており、この展覧会の見所の一つになっている。

「暴れ出した世界館」
(1946年8月31日付『日本海新聞』世界館の広告より)

興味深いことに、杵島さんは——解説文では時系列に沿った堅実な記述を行いながらも——作品や資料を通時的に配置することをしていない。世界館の歴史は一旦ばらばらに解体された上で、空間上に再配置・再構成されている。そのような会場を眺めたとき、私の目には、それがYouTubeやSNSのブラウザ画面と重なって見えた。記録写真やイラストはアイコンもしくはサムネイル、キャプションはタイトルやタグ、解説文パネルは動画の「概要欄」にといった具合である(展覧会全体で統一された赤の色彩が、YouTubeの画面への連想を促したのかもしれない)。

おそらく当時、映画館の外観と新聞記事の文言が一望のもとに眺められるような状況は(ほとんど)なかったはずだ。映画を「見る」ためのメディアである映画館と、ニュースや広告を「読む」ためのメディアである新聞というようなかつての棲み分けは、それらすべての機能を備えた「メタメディア」——すなわちインターネット——の登場によって解体され、一元的に統合された。新聞広告を見て日時を確認し、映画館に出かける鑑賞のあり方から、イメージとテキスト、本編と広告が同一平面上に配置され、1クリックで目的の動画にアクセスできる鑑賞のあり方へ。そのようなメディア経験の変容を、あらためて確認することができたように思う。

Claraによる世界館のイラスト作品と新聞広告の引用パネル

またこの展覧会のメインビジュアルは、杵島さんが収集した様々な資料をもとにして、イラストレーターの湖海すずさんが手がけた。世界館の外観や看板、チケットや刊行物、関わりの深い人物などがイラストの端々に描かれており、図像学的な探索の楽しさがある。このように、展覧会のメインビジュアルとして、当時の映画文化に馴染みのない人にとっての「入口」の役割を果たし、また当時を知る人にとっては、懐かしさと共に、記憶を引き出す「トリガー」としての役割も果たすイラスト制作を、「見る場所を見る」では「イラストレーション・ドキュメンタリー」と名づけた。鳥取のように残された資料が乏しく、また資料所有者と出会える機会も限られている地域において、それでもなお調査研究を進めるために考案した方法論である(詳しくは杵島さんとの共著論文「イラストレーション・ドキュメンタリー——地方映画史を記述するための方法論」を参照)。

湖海すず記憶のかたち》(2023)

各地で行われる「地方映画(館)史」の展覧会

ところで「娯楽の殿堂・世界館」が始まる直前の11月26日まで、香川県立ミュージアムでは「映画のレシピ」と題した展覧会が行われていた。日本で初めて映画が上映された時代を振り返ると共に、香川県内にかつてあった映画館の歴史や分布を紹介するというもので、豊富な地域資料に国立映画アーカイブや早稲田大学演劇博物館からの貸出資料も加えた大規模な展示だった。キャプションの資料紹介の仕方、全国の映画文化と地方の映画文化の接続の仕方など、非常に参考になるところが多く、見応えがあった。

香川県立ミュージアム「映画のレシピ」会場風景
香川にも「世界館」があった。

またほぼ同じタイミングで、11月25日からは山口情報芸術センターで「Afternote 山口市 映画館の歴史」と題した展覧会が始まった。こちらも、山口市内にかつて存在した映画館を調査し、展覧会やドキュメンタリーを通じて紹介する試みである。同展の概要文にある「山口市は日本で数少ない映画館が存在しない県庁所在地と言われていますが、かつては10館以上の映画館が存在していました」という書き出しは、「鳥取市内には、映画館が1館しかなかった。県内で見ても、東中西部にそれぞれ1館ずつ、合計3館しかなかった」「かつては鳥取にもたくさんの映画館があり、最盛期には鳥取市内だけで同時に9館が営業していました」から始まる『映画愛の現在』および「見る場所を見る」の問題意識と明確に重なっている。2019年の鳥取銀河鉄道祭で私が『映画愛の現在』のプロトタイプを公開した際に提起した、あえて映画館が少ない地域で「映画愛」や「映画文化」について考えることにこそ意義があるのだという主張は、その頃はまだ類例が乏しく、やや突飛な発想として受け止められた。それから4年が経ち、ようやく当時の問題提起を受け取り、パラフレーズする取り組みが出てきたということなのかなと思う。

もちろん、地方映画史および映画館史を記述する試みは、従来から各地の研究者によって熱心に行われてきた。例えば「見る場所を見る」のプロジェクトを進める上で直接的な参照項としたのは神戸における地方映画(館)史研究で、その成果の一端は『神戸と映画──映画館と観客の記憶』(板倉史明 編著、神戸新聞総合出版センター、2019年)にまとめられている。

特に、同書の著者の一人である田中晋平さん(神戸映画資料館 研究員)が主導する「神戸映画館マップ」は、「見る場所を見る」の原型とも言えるプロジェクトである。田中さんは、神戸の中心市街地の映画館に関する資料の豊富さに対して、その周辺地域の映画館資料は極めて乏しいという偏りに直面し、その問題を打開するために「映画館マップ」を活用。市民参加のワークショップや街歩きツアーを企画して、地図と現在の風景を照らし合わせながら、眠っている記憶や記録の発掘・復元を試みた。

なぜいま「映画館」を顧みるのか

香川、山口、鳥取と、立て続けに地方映画(館)史に関する展覧会が行われたことは——ある程度は偶然のタイミングの一致にすぎないにせよ——そうした同時多発的な取り組みからまた新たな展開が生まれてくるのではないかという期待を抱かせるに十分である。加えて言えば昨年、2022年4月から7月にかけては、国立映画アーカイブで「日本の映画館」と題した展覧会が実施された。東京に限らず、全国の「観客の映画史」を概観しようとするもので、流石に「網羅的」とまではいかないものの、地方映画(館)史研究に取り組む上での重要な論点や切り口を多数提供してくれる、非常に充実した展覧会だった。おそらくこの展示は、従来の調査研究の「集大成」というよりも、各地で独自に行われてきた実践を発見し、結び付け、そこから新たな展開と発展をもたらす「出発点」と位置づけるべきものだろう。

国立映画アーカイブ「日本の映画館」チラシ

以上のような背景を踏まえて、なぜいま「映画館」を顧みるのかを問うてみよう。

1980年代から90年代にかけて、映画研究の領域では所謂「初期映画」研究が隆盛し、トム・ガニングの「アトラクションの映画」やチャールズ・マッサーの「スクリーン・プラクティス」など、古典的な物語映画に偏重した従来の映画研究を刷新するような刺激的な概念が多数生まれてきた。またそうした流れは、テレビ、ビデオ、そしてウェブ動画、SVODと、映画以外の視覚メディア・動画メディアが無数に現れ、競合する時代の到来とも並行したものであると言えるだろう。映画研究の知見を基礎に据え、それを適応・応用するかたちで別の形式の視覚メディアを分析するようなやり方では、カバーしきれないものが膨大にある。もはや古典的物語映画は「主流」の座から降り、ある特定の時代や場所において見られた特殊・例外的な形式だと見做されつつある……マッサーやガニングの「初期映画」研究のモチベーションもそうした現状認識や危機感と無関係ではないだろうし、エルキ・フータモの「スクリーン学」、2019年に日本の若手研究者が中心となって刊行した論集『スクリーン・スタディーズ——デジタル時代の映像/メディア経験』(光岡寿郎・大久保遼 編、東京大学出版会、2019 年)もまた、古典的物語映画を前提としない視覚メディア研究をいかにして構築できるかを問うものであった。

そうした状況下で、いまあえて「映画」や「映画館」の研究に向かうことは、いささか逆行的・反動的な試みに見えなくもない。だが「見る場所を見る」を通じて地方映画(館)史研究に取り組む者の一人として、私はそれが「映画」の復権という時代錯誤な目論みや、ただ古き良き時代の郷愁に浸るための調査研究ではないと断言しよう。

地方映画(館)史研究は、「映画」が視覚メディア・動画メディアの「主流」ではなくなり、多種多様な動画の1バリエーションに収まってから先の100年後、200年後に——現にいま「初期映画」が初期映画として論じられているように——「映画」が「初期動画」として再発見される日の到来を見据えて行われる。そのとき、個々の作品や作家、製作会社などの固有名は波打ち際の砂の表情のように消滅し、かつて人びとは自らの暮らす土地にあった映画館に集い、暗闇の中でスクリーンを見つめたのだ……というように、映画を見る「観客」の姿だけがかろうじて想像されるだろう。ならば、未来の研究者や動画愛好者により多くの手がかりが残せるように、あるいは、安易な理論化や抽象化を拒絶するノイズを少しでも多く残せるように、この百数十年の観客の姿を、その生きた姿を、なるべく克明に書き記しておこう。

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映画館の思い出

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