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さよならピーちゃん

私が子供の頃、小学校の校門近くの道路脇で何かしらを売っているおじさんがいた。
いつもいるわけではなく、たまに現れては学校帰りの小学生たちを狙い商売をしているような感じだった。
今ならきっとすぐに通報されるだろう。

売っている品も子供の興味をひきそうなものばかりで、それが駄菓子のときもあれば、人気のカードだったりカブトムシやクワガタだったりもした。
あまり買っている友達を見たことはなかったが学校帰りに見物するぶんには面白かったし、おじさんも買わない私たちを追い払ったりはしなかった。

ある日、学校が終わって帰ろうとすると、店を広げたおじさんの周りを数人の子供たちが囲んでいた。
今日は何を売っているんだろうと思って覗いてみると、厚紙で出来た平たい大きめの箱に蓋がしてあって、蓋には空気孔が空いている。

箱の中でピヨピヨ小さな声で鳴いているのは、10羽ほどのヒヨコだった。

小さくて黄色いふわふわした羽毛に包まれたその子たちの可愛さに私の目は釘付けになった。
「オスは百円、メスは卵を産むから200円」
おじさんは言った。

駄菓子屋でお菓子をたらふく買っても百円しない時代である。
小学校の低学年だった私には決して安い買い物ではなかったはずだが、私は迷わず1番可愛い(と思った)メスのヒヨコを指差し
「このメス、ください」
おじさんに200円を差し出した。

それが私とピーちゃんの出会いだった。


小さな紙袋に入れてピーちゃんを家に持ち帰ると、母は怒りはしなかったが困った顔をした。
5つ年上の姉はピーちゃんを見て
「ヒヨコなんかすぐ死んじゃうんだからね」
馬鹿にしたように言った。

紙袋から出して廊下へ放すと、ピイピイ鳴きながら歩き回って床をつつく。
以前飼っていたセキセインコの籠から餌箱を取り外して袋に残った餌を入れると、ピーちゃんは餌箱に顔を突込んで食べ始めた。
どうやらお腹が空いていたらしい。

同じようにして水も飲ませ、次はピーちゃんの寝床作りを始める。

藤で出来た蓋付きの丸い小物入れにハンカチとティッシュを敷き詰め、試しにピーちゃんを入れてみる。
サイズ感もちょうど良いし暖かそうだ。
夜寝るときは蓋をすれば、藤製なので隙間から空気も通り寒くないだろう。

小物入れから出してのひらに乗せて頭を撫でる。
ふわふわのピーちゃんはとても暖かかった。
 
次の日学校へ行くと、私と同じようにおじさんから買った同級生のヒヨコが朝起きたら死んでいたという話をしていた。
ピーちゃんは、寝床の小物入れに電気スタンドの光を当てて暖めておいたら朝も動き回っていたので、元気で良かったとひと安心した。


その後もピーちゃんはすくすくと育っていく。

1ヶ月経つとふわふわした羽毛はだんだん羽根らしくなり、色も黄色から白くなっていった。
でも庭に放して地面の何かをついばんで歩いている姿は、相変わらずとても可愛らしかった。



ピーちゃんを飼い始めて2カ月ほどしたころ、ある重大な事実が発覚した。

すでにインコ用の籠では小さすぎて大きめのケージを購入し、餌も配合飼料を食べるようになったピーちゃんは、まだ幼さは残るものの大きさも成鳥と変わらないくらいまで育ち、見事なトサカも生えてきていた。

・・・え? トサカ?!

メスのニワトリに申し訳程度に生えている奴ではない、ベッカムのモヒカンばりの立派な代物で、くちばしの下にも生え始めていた。

メスを買ったのに、ピーちゃんはオスだった。

私はあのおじさんに騙されたのだと知ったが、なぜか腹は立たなかった。
いま思えばあんな場所でメスを売ってるはずがない。
それにもう私にはピーちゃんがオスでもメスでも大した問題ではなくなっていた。


このころ私はピーちゃんに首輪がわりのリボンを巻き、リードをつけて近所の散歩を始めた。
小学生と一緒に道端を歩くニワトリを、すれ違う人々は珍しそうに見て行きピーちゃんは近所でちょっとした人気者になった。


ピーちゃんは私によくなついた。

庭で放し飼いにしているとき姉や両親が庭を通ろうとすると、猛然と追いかけてきて足をつついたり蹴ったりする。
ニワトリは縄張り意識が強いらしい。

けれど私にはそんな素振りは見せなかった。
むしろ私についてきて、私の周りで餌をついばんでいた。
そんなピーちゃんがこの上なく大切に思えた。


だが程なく、大きな問題が持ち上がって来る。

ピーちゃんはいつしかピヨピヨからコケコケと声変わりして、早朝や夜中に大きな声で鳴くようになった。
漫画みたいにコケコッコーと何回も鳴く。

やがて近所から苦情が来はじめ、ピーちゃんは窮地に立たされた。
これはオスのニワトリの習性だからどうしようもない。
でも近所迷惑である以上、どうにかしないといけない。

家族会議の末、普段はケージごと庭の隅にあるコンクリート作りの物置小屋に入れ、昼間だけ外に出すことにした。
これなら小屋の中で鳴いても音は外に漏れず、迷惑にならない。

こうして問題は解決した、はずだった。


その日、学校から帰ってきた私はピーちゃんと遊ぶため物置小屋へ行った。
しかし、ケージの中にピーちゃんがいない。
姉に訊いても「知らない」とそっぼを向かれ、母は出かけて留守だった。

もしかしたら逃げ出してしまったのではないかと思い周辺を探したが見つからず、泣きべそをかいていた所に母が帰ってきて私に言った。

「ピーちゃんはお父さんが田舎のおばあちゃんちに連れて行ったから、もういないわよ」

おばあちゃんは岩手で農家をしている。
そこでは米や野菜ばかりでなく牛や馬、そして鶏の飼育もやっていた。

住みにくい住宅地より仲間がいる田舎のほうがピーちゃんのために良いと母は私を諭した。
それに、おばあちゃんの家に行けばピーちゃんに会えると言われ、私も悲しかったが納得したのだった。


数ヶ月後、おばあちゃんの家に遊びに行った私は、到着するないなや鶏小屋のピーちゃんへ会いに行った。
しかし鶏小屋にピーちゃんはいないばかりか、他の鶏たちもおらず鶏小屋は空っぽだった。

おばあちゃんは最近、年のせいで動物を飼育するのが大変になってきた為、知り合いに鶏も牛も馬も譲ってしまったと私に詫びた。

ピーちゃんの消息は完全に判らなくなった。



それから十数年が過ぎた。

久し振りに実家へ帰ると、珍しく姉も帰って来ていた。
今は両親しか住んでいない実家に家族が揃うのは数年ぶりだ。

リビングで揃って夕食をとりながら最近の様子などを話していると、何かのきっかけでピーちゃんの話題になった。

私「結局、ピーちゃんは見つからなかったな」
姉「は?あんた何言ってんの?」
私「いや、おばあちゃんの家からさ・・・」
姉「あんたまだそんな話を信じてたんだ!」
私「え?」
母「実はね・・・」

ピーちゃんを田舎に連れて行ったという話は、嘘だった。
母が知り合いの精肉業者に引取って貰い、処分してしまっていたのだ。

私は呻いた。
「ひどい。何でそんなこと・・・」
姉はケラケラと笑いながら
「ひどいって何よ。あんたもピーちゃんの肉ウマいウマいって食べてたじゃない。知らなかっただろうけど」

私は初めて姉と両親に本気で殺意を覚えた。



それ以来、私は鶏肉を食べていない。
と、言いたいところだが、十何年も経ってから真実を言われても、焼き鳥やチキン南蛮や唐揚の美味しさを知ってしまったあとでは如何いかんともしがたい。
何なら今でも鶏肉は大好物だ。

ただ、鶏料理を食べていて、時々ピーちゃんを思い出すと心の中で合掌することにしている。


いつかもし皆さまと飲みに行く機会があって、ふいに唐揚を見つめて涙ぐむ私に気付いたら、一緒に合掌してくれると喜ぶかもしれない。


ピーちゃん、安らかに。





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