業スーの焼き鳥を焼く冬の日に、愛について考える。
誰か私に焼き鳥を!
灼熱地獄に落とされ熱い鉄の上でのたうち回っている鶏ではなく、串刺しの刑と火炙りの刑のコンボを食らっている鶏が食べたい。
それも、ねぎま。
鶏がネギしょって串刺しになっている鶏とネギのコンボを食らいたい。
あとはビール。
八寒地獄で氷漬けにされたグラスに、生のビールを注いで、周囲との温度差に高揚しながら、喉がしゅわしゅわとした刺激に支配される快感を味わいたい。
でも、焼き鳥屋に行くのはなぁと考える。家族四人で行って、がっつり食べてがっつり飲むと、結構なお値段になるのだ。
ということで、業務スーパーの焼きとりを買ってみた。
レンチンするかフライパンで焼いたら食べれるってことやったけど。
やっぱり焼き鯛やん。
いや、こいつは焼き鳥やん。
誰が焼くのか。
それは、夫。
七輪の火が遠く、五本焼くのもそこそこ時間がかかった。冬の寒空の下、夫は日が暮れても焼き鳥を焼き続ける。焼き鳥を食べたいと言った私のために。愛だ。ここに愛がある。
私は台所で料理をする。焼き鳥だけではどう考えても足りないので、しっかりとした食事や明日の食事の下ごしらえをする。そして私は、焼けた頃合いを見計らって、ビールを持って庭に出る。「焼けたよ」という夫の手から串を受け取り、焼き色のついた焼き鳥でビールを飲んだ。
肉もネギも柔らかめ。歯応えがないとか、グニャッという感じではなく、少し怠惰な若鶏なのかな?という印象。冷凍の焼き鳥だし臭いかなと思ったけど、そこまでの臭さはなく。下味はついてるようだけど、一応塩をふって焼いた。息子たちはタレをつけて食べた。
冷たい風が吹くなか、七輪で暖をとる。ちょうどいい塩加減の焼き鳥を一口二口で口に入れ頬張る。そこに冷たいビールをぐびりと流し込む。まるで冬をそのまま飲み込んだみたいに、体がまた冷えていく。
私は「ああ、美味しかった。ちょっとキッチンでごはんの用意してくるね」とにこりと笑って、暖かい部屋へと消えていった。
私の愛はどこにあるのか。
きっとそれは、炊飯器の中で保温されているに違いない。
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