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カメラはどこから入れるのが望ましいのか


私たちは、カメラをどこから入れるのが望ましいのだろうか。

鼻か口か、あるいはお尻か。




令和5年11月14日(火)10:00
よく晴れた天気のいい平日。

私は福岡市中央区天神のとあるビルの中にいた。

狭い個室の中でドクドクと音を立てて走り続ける心拍数を抑えるべく、マインドフルネスというさっきインターネットで見たばかりの、覚えたての手法を試みようとしていた。

マインドフルネス、漢字2文字で表現するならば瞑想である。
とあるビル内の私は推しのカラーであるピンクの検査着を着用し、手にはiPhone14proを握りしめマインドフルネスの具体的なやり方を調べていた。


📷

同日9:00。私はとあるビル内の受付を通過。
2日前と昨日の便、そして今朝とりたてほやほやの尿を、笑顔がかわいい受付のお姉さんに恥ずかしげもなく手渡し、第1関門を突破。

がらんとした更衣室で検査着に着替え、待合室で待っていると、突如、背後から「猿荻さま」と声をかけられた。

初対面の方である。もちろんクリニックの方ではあるが、私のことを知っているわけがない。なぜ、私を私と知っているのか。
だれかが私の背中に、氏名を書いたプリントの裏紙をセロテープで貼っているのだろうか。私はこっそりと背中に手を回すが、そのようなものはついていない。
入り口で写真を撮られたわけでもなく、名札がついているわけでもない。
なぜ私の名前がわかるのだろうか、そんな疑問を持ちながら、私は誘導されるがままに、様々な個室へ通された。

視力を測り、眼圧を測り、レントゲンをとり、聴力を測る。
採血をし血圧を測り、エコーも行う。
検査はつつがなく進んでいく。

「靴下を脱いで、ゆっくり乗ってください。姿勢をまっすぐにお願いします」
私は靴下を脱ぐ。
その靴下、左右でほんの少し、いや明らかにわかるぐらいに色が違う。

オシャレで色が違うわけではない。
靴下を履いた時に気づいたのだが、今朝、手に取った靴下のセットは右が濃いグレーで、左は黒い靴下だった。

私の靴下に関心を持つ人間など、この世界にはいない。
別の靴下を取りに行くのが面倒だった私は、左右の靴下の色が違えど何も気にする必要はないのだと言い聞かせ、胸を張って家を出た。
しかし、人前で微妙に左右の色が違う靴下を脱ぐのはなんだか少し恥ずかしかった。
ささっと靴下を脱ぎ、くしゃっと丸めると、何もなかったようにカゴの中に入れた。

そして、少し緊張した面持ちで、体重計の上に乗る。
一週間くらい前から、ほんの少しおかしを控えたおかげで、体重はギリギリ基準値に入っていて、私は張っていた胸を撫で下ろした。

そして、看護師さんが身長を教えてくれる。
「162.7cmです」
私は「ほんとですか?」と驚きを隠せなかった。
なんと身長が161.5から162.7に伸びていたのだ。

43歳にして成長期がやってきてしまった。
ここ25年くらい身長が伸びた記憶は、ない。
まだ伸びしろがあるとは夢にも思わなかった。
きっと、猫背対策でフォームローラーの上に乗っていた効果に違いない。
私は人の無限の可能性を感じながら、体重計からそっと足を下ろす。
そして、足早に靴下を履き、スリッパを履く。

そこで私はスリッパに書かれた数字を見た。
その番号はロッカーのNOと一緒である。
私はそこでやっと気づいた。
ロッカーの鍵は、受付時に渡されたものだった。
私が選んだわけではない。
ここのスタッフの方たちは、あらかじめ来る予定の人の番号を決めておき、その番号で人を認識しているのだ。

なるほど、素晴らしい心遣いである。
これまでの人間ドックでは、スタッフの方たちが、大声で氏名を呼んでいた。氏名が似ていた場合、耳で聞いた名前が自分のものかどうかを判断するのに時間がかかる。
それに待合スペースがいくつも分かれていたりもするので、予想外のところに人がいたりもする。

ここのクリニックは待合室が一つしかない。
確実に人はそこに集まるような仕組みになっている。
大声を出さずともスリッパの番号さえ確認すれば呼び出したい人に声をかけられるし、お互いにストレスがなく物事が進んでいく。素晴らしい、と私は感嘆した。

そして、再び「猿荻さま」と呼ばれた。

ついに来た。
最大の難関、胃カメラである。

私はかつて、幾度となくこの胃カメラに苦戦をしいられた。
初めて胃カメラと対峙したのは10年ほど前だった。
「鼻から入れた方が、カメラが細いのと喉の反射が少ないので楽ですよ」
と言われ、経鼻内視鏡を希望した。
当日、鼻炎持ちの私の鼻の穴は少し腫れていて、鼻から胃カメラが入らない。
仕方がないので、私は鼻用のカメラを口から入れてもらう。

なんてことだ。話が違うではないか。

それはそれは、ただただ、苦しかった。
えずいてえずいて仕方がなかった。
先生が「綺麗な胃ですよ〜」と優しく声をかけてくれるが、「そんなことはいいので、早く終わらせてください」とえずきながら申し出た。
それが私の胃カメラ初体験である。

その日、私の鼻の穴を胃カメラが貫通することはなかった。

鼻から胃カメラの初体験を終わらせることができなかった私が次に選んだのは、麻酔をしながら口からカメラを入れるというものだった。
麻酔は完全には効かせないが、ぼんやりとした状態であれば口からでも喉のえずきが少なくて、楽に検査できるということだった。

しかし、期待は裏切られる。
やはり苦しかった。

そしてまだ私の鼻の穴は守られていた。

その後も数回、苦しい思いをしながら口からの胃カメラを行うも、一向に楽にはならない。
苦しい思いをしたくない私は、完全に麻酔で寝たまま胃カメラを受けられるという病院を教えてもらった。

私はかつての胃カメラの苦しさを看護師さんに訴えた。そして多めの麻酔で対応してもらう。しかし、検査の途中であまりの苦しさに目を覚ました。

中途半端である。

「目を覚ましたら胃カメラが終わっていた」というのは都市伝説だったのか。
私は結局途中で覚醒してしまい、苦しい思いをし最終的には休憩室まで歩いて戻った。
寝たままであれば、タンカのようなもので運ばれたりするらしいのに。
休憩室で寝ようとしたが隣で寝ているオヤジのイビキが想像を絶する程にうるさく、私はぼんやりとした頭で二度と胃カメラなんかするもんか、と心に決めた。
あとから聞いた話では、お酒をよく飲む人は麻酔が効きづらいということらしい。

そんな胃カメラ体験により、私の胃カメラへの不信感は福岡市で有名な山、油山より高くつのっていった。

その後数年、私は胃カメラを避け続けた。
しかし今年の夏、私は連日の暑さにやられていたのかもしれない。やっぱり胃カメラは受けておいた方がいいだろうと思ったのだ。
時間の経過とともに、あの苦しさの記憶が薄れてしまったのだろうか。

もしかすると10年前より技術は進歩しているかもしれない。今度は鼻からカメラが入るかもしれない。
そんな期待を胸に、私は経鼻内視鏡検査を予約した。


令和5年11月14日(火)10:00

個室に入ると私の動悸は激しくなった。
イチローあるいはスティーブ・ジョブスになったつもりでマインドフルネスを行う。
感覚を研ぎ澄まし、ただその事実を受け入れるといいらしい。

感覚が研ぎ澄まされた私の意識は顔面に向けられている。
鼻の穴にスプレーを噴射。そしてゼリー状の麻酔薬を鼻の穴に入れられた。ゼリーをすすると少し苦味のあるゼリーは喉を落ちていく。
次第に鼻と喉の感覚が鈍くなった。
喉の内側がぼんやりとしていく。うまく息ができなくなるような気がして、心拍が速くなる。

「皆さん、これが苦手なんですよ〜。私も苦手ですけど、30分くらいで収まりますからね〜」
優しい看護師さんが私をなぐさめる。
私は過去の胃カメラ体験談を話し、胃カメラが苦手なので可能な限り優しくしてほしいと伝える。

「追加で麻酔できますよ。検査中の喉の苦しさは抑えられると思いますけど、麻酔自体は1時間ぐらい効いた状態になります。どうされますか?」
私は一刻も早くこの喉の違和感を取り除きたかった。
「追い麻酔は不要で」とイタリアンレストランで「チーズを追加しますか?」と聞かれ、カロリーを気にして追いチーズを遠慮する客のように私は答えた。
「わかりました〜。では鼻に通してみましょうか。通す穴は4つあるので、どれかに入るといいですね」

そういうと看護師さんは経鼻内視鏡と同じ太さのチューブを私の穴に突き刺した。

え? 痛くない!! やばい! イケる!!

鼻から胃カメラを入れるのは全く痛くなかった。
私はそのまま経鼻内視鏡で検査を受けた。
看護師さんは、検査中ずっと私の背中をさすり、そして、ゲップが出そうになると私の喉をぐっと押してくれた。
確かに苦しい場面もあったけれど、案外平気だった。
私は今度から経鼻内視鏡を選択することに決めた。鼻に多少の痛みを伴うが、喉が苦しくないのが非常に助かった。

麻酔をしても起きてしまう私にとって、胃カメラの苦しさの大きさは

鼻からカメラ < 口からカメラ+麻酔 < 口からカメラ

だった。


令和5年11月14日(火)
私の鼻の穴は無事に内視鏡を受け入れた。
鼻の穴処女の喪失記念日だ。

朦朧とした意識の中でぼんやりと苦しい印象を植え付けられるより、はっきりとした意識で、苦しいながらも乗り越えた経験は私に自信を与えてくれるだろう。

もし次回、胃カメラをどこから入れるかと聞かれれば「左の鼻の上から」と答えようと思う。


🍩

そして全ての検査を終え、満足感いっぱいで帰宅した私の右手にはI’m donutの箱。
いつもは並ぶ気が失せるほどの行列なので、決して買うことはないと思っていたが、この日はかなり人が少なかった。
生ドーナツ、初体験である。

初めての生ドーナツはとてもおいしかった。
ぎゅっと握ってしまえば、その大きさが半分以下になるのではと思うくらいに、たっぷりの空気を含んだ生地。
歯を入れるとふんわりとしていて、そして、滑らかな舌触り。程よい甘さが口の中に広がる。
舌と上顎で口の中の生地を押しつぶすと、柔らかい生地が解けていく。
柔らかいクロワッサンのように層になった生ドーナツの生地は口の中からあっという間に消えていく。

気がつけば、皿に乗ったドーナツたちもいつの間にか消えてしまっていた。


穴のあいていないドーナツを眺めながら、お尻の穴にカメラをいれるのって大変らしいんだよね、なんてことを誰かが言っていたのを思い出した。




結局のところ、私たちは望む望まないに関わらず 、医師が言うとおりの穴から内視鏡を入れることに臨まなければならないのかもしれない。









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