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うんを拾えなかった後悔 #28


後悔の念に駆られている。


通勤時のことだった。
私は自転車を立ち漕ぎで漕いでいた。
傾斜15度程度の坂道だ。
右に左にと、それはもう競輪選手のように身体を左右に揺らしながら自転車を漕ぐ。

私の自転車は電動ではない。
ただのママチャリである。
マウンテンバイクでもなければ、ロードバイクでもない。
ただのママチャリである。

ママチャリ。
パパが乗ったら、パパチャリなのだろうか。いや、ババが乗ったら、ババチャリなのだろうか。それとも、チャーリーシーンが乗ったら、チャーリーチャリなのだろうか。はたまたチャーリー浜が乗っても、チャーリーチャリなのだろうか。

いや、正式名称はシティサイクルだ。
誰が乗ろうとも、私が乗っているのはシティサイクルである。

私はシティサイクルを漕いでいた。
三段切り替えのギアを一番軽いヤツにして、坂道を漕ぐ。
降りて押したくはないが、重いギアでは坂道を越えられない。ギアは最軽量にしておき、小刻みに足を回転させ、坂をのぼる。


坂道をのぼり終えふうと一息ついた時、路肩に靴がきちんと揃えておいてあるのが目についた。

じ、自殺?

しかし、それはあり得ない。
飛び降りるところもなければ、車通りも少ない。
事故が起きた形跡も、人型に描かれた白いチョークの跡もない。

私はまじまじと丁寧に揃えられた靴を遠目に見る。
おそらく27〜28cmくらいだろうか。
キレイめではあるが、革靴ではない。
おそらく、カジュアルな洋服に合わせるタイプの靴だろう。

私の脳が勝手に妄想を始めた。

スウェード素材の靴を見つめると、ぽわわんとくるぶしから上の人物像が浮き上がってくる。黒のチノパンに、グレーの丸首の薄手のニット。ニットの首元からちらりと見える清潔感のある白いTシャツ。手にはポーターの黒のナイロンバック。髪は黒髪で清潔感がある少しくせ毛のショートヘア。
顔面は……おしい。私のタイプではなかった。

中肉中背の男性である。身長175.6cm。
齢31歳。

忘れるなかれ。これは妄想である。

そして、さらに凝視する。
私は気づいてしまった。

は!
うんこだ!!
靴の内側にうんこがついている!!

靴底ではない。
靴の挿入口とでもいうのだろうか、靴に足を入れる出入り口あたりの内側部分に、それはもう、たっぷりとついている。

うんこが。

漏らしたんだ。
そして、靴をおいて帰ったんだ。
それも、ご丁寧に揃えて。

中肉中背のキレイめアラサー、身長175.6cmめ!!

と思ったのは一瞬のこと。

うんこの靴を放置しなければならない状況を想像し、私は、手を合わせるような気持ちで、その場を後にした。

どういう状態になったら、靴の内側にうんこがたっぷりとつくのだろうか。
パンツを超えて、ズボンの内側を経由して、靴まで到達することが果たして可能なのであろうか。

悶々とうんことズボンと靴の関係性を考えながら、職場についた。
しかし、私が集中すべきはうんこの靴ではない。
仕事に集中しなくてはならない。

仕事中、すっかりうんこの靴のことを忘れていた私は、帰り道でまたうんこの靴に遭遇する。

ああ、まだある。

そりゃあるだろうさ。
うんこをした本人が、現場にでも戻り片づけでもしない限り、誰かが処分するなんてことはあり得ないくらいの有り様なのだ。


その次の日も、
その次の次の日も、
その次の次の次の日も、
その次の次の次の次の日も、
うんこの靴はずっとそこにあった。

誰が片付けるのだろう。
私はそんなことを考え始めた。

行政の人が片付けたりしてくれるのだろうか。
地域の方が清掃で片付けたりしてくれるのだろうか。
動物の死骸であれば、行政の委託先に電話をすればすぐに片付けてもらえることを私は知っている。

しかし、うんこの靴を片付けてくれる連絡先を、私は知らなかった。

毎日、毎日、うんこの靴を眺めていると、もしかしてこの靴は幸運の靴ではないか、というわけのわからない思考が私の中に芽生えた。

松下幸之助はトイレ掃除をしていたではないか。
目の前にうんこの靴があり、それを見逃してしまうということは、人間のあり方として正しくないのではないか。
もしかして、私はこのうんこの靴を片付けることにより、私の中で新しい意識が芽生えるのではないか、と。

だがしかし、うんこの靴を片付けるのは容易ではない。

そもそも私はうんこの靴を入れる袋を持っていない。
もし奇跡的に燃えるゴミの袋を持っていたとして、燃えるゴミの日に持ち帰ることができても、自宅までは自転車で15分かかる。

ということは、前かごにどこの誰のものかもわからないうんこの靴を入れなければならない。
前かごに入れるということは、私はうんこの靴の風下に15分間、い続けるということだ。
どこの誰のものかもわからないうんこの風を15分間浴び続けることになる。
そして、うんこの靴半径1m以内の空気を15分間、吸ったり吐いたりしなければならない。

ハードルが高い。
これにより何か新しい意識が芽生え、新たな私に生まれ変わるとしても、ハードルが高すぎる。

高すぎるハードルはくぐれというのが持論ではあるが、安易にくぐるのは、はばかれる。
厳しい。非常に厳しい。

私の中の松下幸之助が、それでいいのかと問いかける。
それに対し私は、口をつぐんだままである。

そんなことを思いながら、その後も私は毎朝、毎夕、うんこの靴を眺め続けた。


とある夕暮れのこと。
「今日も、うんこの靴はそのままだろうか」
と独りごちながら自転車を漕ぐ。

私はいつもどおり、路肩に目をやった。

ない!!
どこにもない!!
うんこの靴がどこにもない!!

犯人が自責の念に駆られ現場に戻り、回収をしたのだろうか。
それとも、どこかの親切な素晴らしい精神の持ち主が処分したのだろうか。

とにかく、もうそこにうんこの靴はなかった。


ああ、今日片付けようと思ったのにな〜


なんてことを思ったか思っていないかは覚えていない。
ただ一つ言えることは、もし私が積極的にうんこの靴を片付けていたら、何か人生が変わっていた可能性もあるかもしれないということだ。

私の人生は変わらなかった。
いつもの日常を繰り返す日々に戻ってしまった。
ただ、それだけだ。
次第に寒くなるこの季節、冬を知らせる風が私のぽっかりと空いた胸の穴に吹きすさんだ。

私はそれ以降も毎朝、シティサイクルを右に左にと振りながら坂道を登る。
そして登りきった後、路肩にあったうんこの靴を片付けなかったことを後悔するのだ。



うんこの靴を片付けた人に、幸運が訪れますように。

この記事内の総うんこ数、28回。

あっとるか知らんけど、めんどくさいので、また明日。






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