コウキ

ミュージシャン、作曲家、夢想家

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最近の記事

【シタールでカバー】そして僕は途方に暮れる

耳コピ、練習、アレンジ、録音、ミキシング、etc・・ 自分で締め切り、課題曲決めて、仕事にまつわる諸々の技術向上の為にトライアル作成してる動画シリーズです。 限られた時間でベストをがテーマ 映像と被写体としての自分にはあまり自信がありません。 今回はJ-POP(当時そう呼ばれてなかったですが)から、 大沢誉志幸氏の「そして僕は途方に暮れる」(1984) 氏のアルバムは今聴いても時代を感じさせない、とてもかっちょいいエキセントリックな曲が多く、とても勉強になります。 そんな

    • 【シタールでカバー】And Your Bird Can Sing / The Beatles

      耳コピ、練習、アレンジ、録音、ミキシング、etc・・ 自分で締め切り、課題曲決めて、仕事にまつわる諸々の技術向上の為にトライアル作成してる動画シリーズです。 限られた時間でベストをがテーマ 映像と被写体としての自分にはあまり自信がありません。 1966年The Beatles 7作目アルバム「Revolver」B面2曲目 フザけた曲ですよね、もちろんいい意味で。 「Revolver」は、音楽的な面が汲み取られないライブ活動にほとほとうんざりしてたメンバーが、レコーディング

      • 鬱憤の吹きだまり その1

        水は低い方に流れるし、風にも吹きだまりが発生します。 物理現象として、どっかに溜まっていく。 俯瞰したときに、人々の感情もそこかしこに溜まる場所が発生する。 小さな吹きだまりから、時に大きな台風まで。 ポジティブな感情はいわゆる”人気”でしょう。周囲の評判などの小さな吹きだまりから、世相の時事ネタによって巻き起こる大旋風まで。 選挙だったり、マーケティングだったりは、それをある程度意図的に作り出すものですね。むしろそれしかなかったりするかも。 まぁそれはとりあえずいいとし

        • 認識

          認識は情報から生まれる。そして大脳皮質に記録される。 子供見てたらわかるように、A+B+C・・と膨大に蓄積されていく。 人によってA+D+E・・だったり、B+C+D・・だったりで、ソースによってその構成は変わってくるのは当然だよね。 とある常識Dを認識する方法も、人によって、”AとEの間”、”BとCの次”と違ってくるわけである。 それを我々は共有して同じもの。としているんだから、便利にできているよなぁ。 というか、実際には微妙に違うものを同じものと認識して、共同作業ができる

        【シタールでカバー】そして僕は途方に暮れる

          日本語できてません

          ここ数日「私、宇宙人なんですみません」を連発している笑 仕事柄、久しぶりの方や初めての方とプロジェクトを進める事が多いので、相手の事を良く知らずに込み入った話になる事が多い。 共演内容やコンサートの構成などその方の感性に関わる事なので、初めてだと本当にわからない。 不躾な事を尋ねてしまう可能性に軽く予防線を張ってます。 自分では当たり前と思ってる表現、進行が、「あ、当たり前じゃないんだ」って気づく瞬間でもあるので、決して悪い事ではない。 長くやってる方は察してくれるので、問

          日本語できてません

          音楽の練習会

          かれこれ10年くらい前から年に数回、インド音楽の練習会というものを主催しています。 様々な動機があって、これは今後も続けたい、というより、もっと拡張していきたい活動のひとつです。 まずは私自身が基礎練習が嫌い。っていうのがなにしろ大きいです笑 その重要性を十分身に染みて実感しているので、毎日欠かさずやっていますが、苦手なんです。すぐ”遊び”になってしまう。反復してるつもりが、ぼーっと他所事を考えながらしてるので、気が付くと自分の好きな感じに弾いててあらら、ってなってます。

          音楽の練習会

          見下す

          “あなたは、最も一緒に過ごす時間の長い5人の友達の平均になる” アメリカの起業家ジム・ローンという方の言葉だそうである。 最近よく目にする。 日本にも”朱に染まれば赤くなる”って言葉があるので、さして目新しい概念でもないとは思うけど、忘れないようにしたい事柄です。 こういった言葉を主体的に捉えれば、 「悪いオーラを放つ人とは距離を置こう」 「高年収の人たちと付き合おう」 みたいな話になるんだと思うけど、割とそれはどうでも良いと思ってて、むしろ他者に対して 「あの人の価

          音楽たち その1

          音楽理論の本をよく読む。 古代ギリシャでは奴隷ではない市民の嗜みとして算術、幾何学、天文学などと並んで音楽を学ぶことが推奨されていたそうだが、これは実際に奏でるというより、音の神秘を机上で学ぶといった趣だったようである。 即ち、ピタゴラス音律のような、ドの3/2の音はよく調和する、それをソと名付けて、そのソのさらに3/2の音をレとして・・みたいな んで、それを続けていったら、元の音になった・・あれ、ならねェ~ちょっとずれてるぅ!おお神のいたずらよ~! みたいな話が大好きだ。

          音楽たち その1

          (責任とりたくない)

          忙しいよね。 この案件が終わったらあっちの案件を片付けなきゃならない。 今日はあそこに行ったら、こっちにも寄らなきゃ。 ああ、あのメール返事しなきゃ、洗濯ものも溜まってたっけ・・ ひとつひとつの事柄が矢のように過ぎてゆく。 矢のようにこなしてるオレ、ワタシ、って結構有能だよね。 結果、 ・・・ う、薄い! ここまで前フリ。 これは、仕事の打ち合わせでよく感じる事柄です。具体的にはライブや作品作りなどの不定形かつ、正解もなく、それでいて対価を払って下さるオーディエ

          (責任とりたくない)

          再生

          Dhongri

          整数、16進数のデジタルの世界と、音律なり生音のアナログの世界にはシントニックコンマのような、21.51セントのズレが生じるわけで、神様は何故この世界を数学的にスッキリ、すっぱり分かりやすく作らなかったんだろう、とか、皆さんも日頃感じてらっしゃると思います。え、ない? そのズレを感じるのは、整数の定規があってこそ、とも言えるわけで、 完全なアナログの世界も心地よいものですが、デジタルの定規の上にアナログを置くことは可能なんじゃないか、という思いを込めて作成した・・・ 嘘です。てきとーに書きました、ごめんなさい。

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          怖れ

          明らかにバグな気がしている。 DNAの初期値的に。 元々は個体の危機管理の為に設定されたのであろうか。この怖れるという感情は何故こんなにも容易に操作されやすくなってしまっているのだろう。 日常、怖い事ってなんだろう、って考えてみる。 里山に暮らしているが、クマが出るわけでもないので夜もあまり怖くはない。 お化け的なものも、このかた経験がないもので怖くない。 ネットのおかげで孤独もあんま怖くない。 失うものがほぼない立場にいるので、なにかを失くす怖れもない。失くしてしまったら

          何もしてないのに

          Youtubeをよく見る。一人で食事するときは必ず見ている。 音楽系が多い。私の師匠から音楽はご飯食べながら聴くものじゃないと教わっているので、悪い弟子である。 まぁ、他にもかなり多種のジャンルを見ているのだが、一時、「スカッと系LINE動画」というものから抜け出せなくなった時がある。 あまりお勧めしないので、詳細は省くが、怖いもの見たさにズルズルと観ていた。 お決まりの進行があって、実際にあった話と謳い、清廉潔白な主人公は誰かに苛まれている。浮気旦那、嫌みな姑、常識のな

          何もしてないのに

          人それぞれ

          漠然と雑然としている。 何がってこの世界だ。 丸いものもあれば、四角いものもある、柔らかいものも、固いものも。 さらにその丸いものだって微妙にいっこずつ歪んでいたりする。 全部に名前とIDつけたらきりがない。 だから”丸いもの”と表現してグループ化する。 さらに上の例で言えば、”もの”というグループだ。 言語化、定義づけ、カテゴライズ、科学・・ 自然物理の世界では当然のように受け入れられる事であるけど、とかく人間の社会や感情においては、分類する事が肯定されない場合が多い

          人それぞれ