認識

認識は情報から生まれる。そして大脳皮質に記録される。
子供見てたらわかるように、A+B+C・・と膨大に蓄積されていく。
人によってA+D+E・・だったり、B+C+D・・だったりで、ソースによってその構成は変わってくるのは当然だよね。

とある常識Dを認識する方法も、人によって、”AとEの間”、”BとCの次”と違ってくるわけである。
それを我々は共有して同じもの。としているんだから、便利にできているよなぁ。
というか、実際には微妙に違うものを同じものと認識して、共同作業ができるようにだいぶファジーにできてる。でないと、社会は成り立たないもんね。またその必要があった。細かい認識の違いより、生存していくためには社会優先なわけだ。

見えている世界が違う。ともいえる。
相手の見ている世界を知るには脳みそでも入れ替えない限り不可能だ。大腸フローラとかも考えたらキリがない。
私は色弱なので子供の頃からみんなと違う色を見ている、と言われてきた。
なんか妙にさみしかったが、それはいいとして、厳密には違う緑を見ているとしても、私はこれを緑と認識しているのだから、「この緑の・・」って話すときには問題は生じないよなーって子供心に思ってた。

共同目的があって、それを果たすために他人とすり合わせる時、認識を超えた集団認識が必要になってくる。でも実はそれぞれ認識は微妙に違う、て事は忘れちゃいけない。
打ち合わせの時間を決める。誰かが守らない。そうなった時、目的を果たすためには非難されても仕方ないけど、その人個人の価値観で時間の捉え方が大体なのはもう、致し方ない事と言える。

まじありえねー
普通さぁ・・
音楽の方向性が違う
このネトウヨがー

全部無効(笑。
日本人が共有してる価値観すべて元来無効である。砂上の楼閣である。そんな上に我々の日常は乗っかっているんだから、よくやってるもんだな。
そんなんじゃあまりにルール無用のフリーダムなので、何とかしようって人類が考え付いたのが、法と金と科学ってとこでしょうか。
時代と価値規範によって不変なものを目指すという点では科学だけかも。

水が氷る温度をとりあえず0℃て事にしましょう。
軽い核種を融合したら重いものになった。
両性生殖はオスとメスで行われる。
のたぐいである。もっともこれも新しい発見などによって更新はされていく。

世界中のオーケストラが合わせられないと再現するときめんどくさいので、A=440Hzとしましょう。てのは、社会的合意ですね。
一人で弾くときは438Hzでも528Hzでもなんでもいい訳です。

脱線しましたが、
すべからく皆、認識や価値観は違う上でなんとかやっている。
それらは皆それぞれ与えられた情報で構成されている。
さらに言えばその情報を元に何かを判断している気になってるけど、それすら何らかの模範解答という情報を元に意思決定しているかもしれない。
んじゃ、その情報、どっから得たの?
ニュースでやってた、偉い人が言ってた、自分でたまたま経験した、
なんかあやふやだよね。

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