日本語できてません

ここ数日「私、宇宙人なんですみません」を連発している笑
仕事柄、久しぶりの方や初めての方とプロジェクトを進める事が多いので、相手の事を良く知らずに込み入った話になる事が多い。
共演内容やコンサートの構成などその方の感性に関わる事なので、初めてだと本当にわからない。
不躾な事を尋ねてしまう可能性に軽く予防線を張ってます。

自分では当たり前と思ってる表現、進行が、「あ、当たり前じゃないんだ」って気づく瞬間でもあるので、決して悪い事ではない。
長くやってる方は察してくれるので、問題になる事はほとんどない。
「私も宇宙人なんで大丈夫ですよ」ってな感じで

じゃあ、なんで書いてるかと言いますとね、
失礼と受け取られてしまう事を、無自覚で言ってしまったり、話がかみ合わない事がたぶん平均的な日本人より多いと感じております。
上記のような仕事のシチュエーションではなく、主に日常のやりとりでですね。仕事でも専業でない方と話すときに起こったりします。

例えば待ち合わせで、相手が遅れました。
つい「なんで遅れたの?」って言ったりしちゃう。
とか、「メール見てなかった?」なんて聞いちゃったりもする。

どうやらそれは現代日本会話的にNGなんですって、知ってました笑?
まぁ、当然よね。って感じなんでしょうね。

私的には、
「なんで遅れたの?(問題あった?大丈夫かな)」
「メール見てなかった?(見てる前提で進めてすまん)」
なのだが、どうやらこの( )の方を先ず言わないといけない様なのだ。

他にも山ほどある。
×いらない → 〇今~だから大丈夫、ありがと
×知らないの? → 〇こんなマニアックな話知らないよね
×こうするといいよ → 〇そもそも説教に聞こえるので言わない
×こう思うなぁ~ → 〇そもそも説教に聞こえるので言わない

最後2つ被りましたが、そう最強の対処法は、何も言わない!
しゃべらない!

そう思ってた時期が私にもありました笑
いやまぁ、確かに仕事のシチュエーションではやはり重要なメソッドだとは思っていますが、ここまでは高校生の自分も確か感じてた事で、この現象はなぜ起きるんだろう。とかこの年になって考えるわけです。

話を拡大すると、いわゆるコンプライアンスでしょうが、
”配慮”のウェイトが時代的に大きくなっています。
それ自体は素晴らしい事ですし、デキる現代人のマストマターなのでしょう。
でもなんとなく、表面上の対処法に思えてしまいます。
そう思うのは、私自身が”言葉”に対するウェイトが平均値よりも低く、いつもテキトーな事をしゃべってるからだと思います。

10年くらい前、なぜ日本人は、最悪の事態を想定できないのか――新・言霊論(祥伝社新書289) | 井沢 元彦 |本 | 通販 | Amazon
を読んだときに目から鱗だったのだけど、日本人って言霊教なんですよね。
そんな中、言葉に魂を宿さない私のようなテキトーにしゃべる人間は不適合者なんでしょう。

擁護気味に自己分析すれば、バイトだけど若い頃接客業に携わる事が多かった。なので、接客業の方とは概ね”テキトー”な会話が弾む。
だけど接客業の方はプロなので、”配慮”スキルも当然マスターしている。
引き換え、自分は音楽をやっているせいか、共演者の言葉より、その方の出す音からその方を知る事が多い。
本質は言葉にない。って結論になってしまっているようだ。

雑談はともかく、人との交流で必要な事は私にとっては”事実の確認”が最優先だけど、多くの方は”相手への気配り”なのでしょう。
こう書いてるように自覚はあるので、私の言葉は、”事実確認”と”配慮”が混ざってしまうので、相手を混乱させてしまったりもあると思う。

ぶっちゃけ生きづらいです。
先の時代的なコンプライアンスで言えば、言葉を隠すよりも、臭いものも、香しいものも、本質的な問題そのものをできるだけ社会が認識して、その両方を認めて、対策するなり、受け入れた方がいいと思うけど、まぁ理想論なのでしょう。

最初の例で言うと、
「なんで遅れたの?」
「それは責めてるのですか?」
「違うよ、心配しただけ」
「そか、遅れてごめんね」

とかだとできる気がするんだけどな。

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