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鬱憤の吹きだまり その1

水は低い方に流れるし、風にも吹きだまりが発生します。
物理現象として、どっかに溜まっていく。
俯瞰したときに、人々の感情もそこかしこに溜まる場所が発生する。
小さな吹きだまりから、時に大きな台風まで。

ポジティブな感情はいわゆる”人気”でしょう。周囲の評判などの小さな吹きだまりから、世相の時事ネタによって巻き起こる大旋風まで。
選挙だったり、マーケティングだったりは、それをある程度意図的に作り出すものですね。むしろそれしかなかったりするかも。

まぁそれはとりあえずいいとして、気になってるのが、ネガティブな感情の吹きだまりです。
鬱憤、憤慨、嫉妬、怨嗟、嫌悪・・・
そういった感情が人にあるのはもう仕方がないです。
それらがとある対象の個人に向く、さらには訳もなく、とある個人に集中するものなんだな、と眺めていて感じます。

分かりやすいのが”いじめ”ですよね。
学校でのいじめに限らず、昨今話題にのばる、大人のいじめも含めて。そんなんは昨今に限らず、昔からあったと思います。
誰かに集中しがち、です。

じゃあ何故集中するのか
本質的には”弱い”からでしょう。これには、”弱く見える” ”立場が下” ”マイノリティ”といった概念も含めて。

そして、そもそも何故他者にそれを向けるのか
これも本質的には”弱い”からだと思っています。
攻撃は最大の防御とも言いますが、他者にマウント取りまくってる人は人からマウント取られにくいという現象が発生します。
まぁそこまでの人はたまにしか見かけませんし、1㎢あたり340人がひしめく日本では、他者に悪感情をぶつける事は控えるモラルがあるかと思います。
ましてや弱者は守るべきという価値規範もある。

基本的には皆、押さえてますよね、”鬱憤”
でも人はやはり弱いものです。どうしてもはみ出る”鬱憤”があります。
そして、世の中に強い人などおらず、”強くあろうとする人”がいるだけです。

結果、面白い現象として、
本人も気づかないレベルのはみ出た”鬱憤”が、”強くあろうとする人”に向かう現象が発生する。

はみ出た”鬱憤”の内容物は、コンプレックス、承認欲求、何らかのストレス、等が主で、本来ぶつける対象の人と無関係なものばかりです。

それに対し、”強くあろうとする人”は、全く同様にそれらのものを抱えながらも、親として、上司として、先生として、先輩として、リーダーとして、かろうじて(?)他者への憂さ晴らしは控えています。
(する人もいますが、それは”強くあろうとする人”にここでは含みません)

人は頑丈なサンドバッグを見ると、チョップしたり、回し蹴りしていいものだと感じるようです。
単にそう見られてるだけなのに、関わる人が多ければ多いほど、
強くあろうとする人が、なぜか、鬱憤の吹きだまりになってしまいがちなんだよなぁ、
てなことを、周囲でも、仕事でも、Newsのコメ欄でも感じましたという徒然でした。

たぶん、つづく

※見出し画像は、Stable Diffusionで「soft frustration」って入れてみた

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